怒りがふつふつと蘇る

感情を手放すことって難しい

もうとうの昔に手放したと思った怒りの感情がまだ自分の中にあることに気が付きちょっぴり驚いた。

先日「座間9遺体・・・」という毎日新聞のオンラインニュースを読んでいた時の事、

警察庁によると、2016年に行方不明になった人は約8万5000人。このうち「犯罪に巻き込まれる危険がある」「遺書があり自殺の恐れがある」など6項目のいずれかに該当すると判断した場合、各警察は「特異行方不明者」として捜査レベルを引き上げ、イチタンや防犯カメラ映像の収集などを進める。

というくだりを読んだ瞬間「嘘ばっかり!」と私の心の奥底で泣き叫ぶような声がした。それとともに、どろどろとした怒りが込み上げてくるのを感じた。

あの日・・・

2014年9月26日午後、娘は、散歩に出かけると祖父に言い残し家を出た。そして、何時になっても帰らなかった。居間のテーブルには、娘が片時も手放したことのなかった彼女の携帯電話とお財布が置かれてあった。

午後三時を回り昼寝から目覚めたおじいちゃんが異変に気づきすぐに近所を車で回ったが娘の姿はなかった。

午後七時、別れた夫で娘の父親が警察に「行方不明者届」を提出し警察に協力を求めた・・・、が、しかし、警察の回答は「普段の見回り時にそれらしい女性がいないか、見かけたら連絡をする」というものだったらしい。

その三日後、元夫から「娘が行方不明」という連絡を受けた私は、不安と恐怖に震えながら一人アメリカから日本に飛んだ。元夫と娘の祖父は散歩に出かけると言って出たきり帰らない娘について「川に入った」となぜか確信を持っていて、娘の友人やボーイフレンドには全く連絡を入れておらず地元の人に頼んで船を出してもらい川の捜索に力を入れていた。

唖然とした。

『なぜ、元夫と娘の祖父は、自殺するために娘は川に行ったとわかるのか?』

娘のそばにいなかった私にはわからないことが多すぎた、が、混乱しながら、悪夢の中でオロオロと歩き回るように娘が最後に歩いたであろうと思われる土手を今にも消えてしまいそうなわすがばかりの希望の光を求めて娘の名を呼びながら歩いた。

『自殺の可能性があるというのならなぜ警察はもっと真剣に捜索に協力してくれないのか…』、いらだちと怒り、そしてわらにもすがる思いで私は元夫に頼んで再度警察にお願いに連れて行ってもらった。

返事は、冷たいものだった。

「お母さん、遺書があるとか、橋のたもとに靴が脱いであったなどしない限り、成人した人が自分の意志で家を出ていった場合は、警察は特別な捜索はしないんですよ」

まだ、30代と思われるその警察職員の女性は淡々と言った。

「でも、娘は行方不明になる直前『死にたい」と家族の者に話していて自殺の可能性があるのです。自殺ではないとしても、もしかしたら散歩の途中に犯罪や事故に巻き込まれ、川に落ちたのかもしれない。家族だけでは限界なのです!どうか力を貸してください!!」

私は、半ば泣き叫ぶようにして懇願した。

するとその警察職員は、「お母さん、テレビのニュースで見るようなダイバーが出ての捜索は明らかに事件性のある時だけなんですよ。行方不明者の方は大変多いですから、警察がその人一人一人を捜索して回るわけにはいかないんですよ」と、冷淡ともいえる口調で言った。

そして驚いたことに、隣に座っていた元夫がその警察職員ではなく私に向かって怒りをあらわにこう言ったのだ。

「警察の人だって忙しいんですよ!!。それがわからないんですか!!」

一瞬言葉を失って、その娘の父親である元夫の顔をまじまじと見つめた。

『この人は誰なの?この人が父親なの?娘が行方不明で自殺の可能性もあるのに?川に入ったと思うと言ったのはこの人ではなかったか?』

元夫は、警察職員にぺこぺこと頭を下げ、あろうことか愛想笑いまでしてまるで私が気違いででもあるかのように私を部屋から追い立てた。そして、警察署の建物の外に出たとたん、彼は私に向かって、

「あなたは迷惑なばかりだ!!ホテルに帰ってください!捜索は私と親戚でやります。川から(娘の遺体が)見つかったら連絡しますからそれまでホテルで大人しくしていてください!!」

何もかもが悪夢だった・・・

絶望感と無力感だけだった…

それでも、私はいてもたってもおられず、ホテルから知人に電話をかけ捜索の協力を依頼し、翌日にはレンタカーを借りると一人で娘を探し回った。

「生きていて!」、私の心の中にはその言葉しかなかった。

しかし、・・・元夫が予言したとおり、それから二日後に娘の遺体が川下から見つかった…

警察は、衣服に乱れがないことから犯罪に巻き込まれた可能性は低いとして自殺と処理、全ては終わった・・・

・・・

あれから、丸三年が経った。

あの時の警察と元夫に対するどうにも言いあらわせない憤りと無念さは、抱えていても自分がみじめに感じるだけだと思いずっと前に捨て去ったつもりだった。

しかし、今回の「座間の9遺体」の警察の言い分を読んだとき、ふつふつと怒りがこみあげてきてどうしようもなくなる自分を見た。

今さら、どうしようもないのに…

現実を受け入れ、許し、とうに手放したはずだった怒りの感情のきれはしが今も残り、こうして時折私の心を乱す。

あの時警察が捜索を手伝ってくれたとしても、おそらくは娘は既に死んでいて発見が一日二日違うだけだったろう…

わかってはいる、もうどうやったってあの子はかえってこないのだから

しかし、それでも、それでも…

母である私は、やはり「もしかしたら・・・」と、ちょっとしたことがきっかけとなり今でも心のどこかで思ってしまうのだ。

この感情は、なんとか心の平穏を求めて生きようとしている今の私の害にしかならない。

だから、手放そう。

大きく息を吸って、そして吐く息とともに、涙と共に、流しされ。

「神々が宿る地」、その名にふさわしいモニュメントバレーを訪れた時の一枚です。

怒りがふつふつと蘇る」への19件のフィードバック

  1. Kikiさんへ
    今日の午後は横になったりしながらKikiさんのブログを読んでました。
    かさねさんのお写真も何枚か拝見させて頂きました。
    亡くなる前の娘に会えるなら自分の命なんかいつでも差出せるのに、それが叶わない現実が地獄なんですよね。
    初めてみた娘の夢は、大勢の人が同じ方向へ向かって歩いていく中に私と末娘も居ました。コンサートが終わり駅へ向かっているような人の波でした。
    私たちの腕を突然つかみ「ママ、こっち」と私達を人の波から外してくれたのが娘でした。
    翌朝末娘に話したら「ママもやっとネエネに夢で会えたんだね」と話してました。
    それから10日ぐらい過ぎて末娘が「ママも自分も、パパも皆んな余りに辛すぎて一家心中したほうが楽になれるんだろうな」と悶々と考えてた時にママが夢を見てネエネが向かってる 方向が違うよと教えてくれたんだと思ったと…私は悲しみと苦しみの中にいて、
    周りを全く知らないでいたのです。
    愛する娘が姉の自死で一家心中を考えていたなんて、恐ろしさに震えながら大泣きです。
    生きなくては、這ってでも生きなくてはと誓った日でした。
    何故か、ki kiさんのブログを読んでたら
    話したくなりました。
    初めて人に言えました。
    有難うございます。

  2. Kikiさんへ
    昨日納骨しました。
    娘の隣に私が入れるスペースがある事に安堵してしまいました。
    位牌は家にあるのに…矛盾してますよね。
    お墓?位牌?娘はどこにいるでしょうね。ただただ逢いたい。
    私の高校時代からの友人が、知人の奥さまが自死で亡くされて苦しみ…一年後にそれまでの苦しみと、これからの思いを書いた手紙を読ませてくれました。
    娘にいつか「ママ頑張ったね」と褒めてもらえるために、生きていこうとしている私がいる事を伝えてと話しました。
    先にも、後にも私達と同じ苦しみはあるのであれば、お互い支えあって生きていく勇気をもらい…いつの日かは勇気を少しでも返せれば娘の死も意味を持たせる事になるのでは?と思ったりしてます。
    自死遺族として何が出来るのだろうと考えたりしてます。
    でも、娘が恋しくて毎日泣いてます。

    • 美響さん、納骨が済んだのですね。
      そうですね…、わが子達はどこにいるのでしょうね。
      不思議なのですが、私は、お墓参りに行っても娘がそこにいるとは感じられないのです。
      それは、最初からそうでした。
      なぜか、『ああ、ここに娘のお骨が埋葬されているけれど、娘はここにはいないな…。でも、今日は私がここに来ているので娘もそばに来ている』と感じました。

      恋しいですよね、会いたいですよね…
      ふっと、空を仰いで今日もそう思いました。
      見えないって本当に寂しい…

      私の時が満ち、いつか娘に会えるその日まで、この気持ちはどこにもいかずに私の中に住み続けるだろうと、それだけは確信を持って言えます。

  3. 今日娘を納骨します。
    小さくなってしまった娘でも手放してしまう寂しさは苦しくて…
    そんな時、小学6年の女の子が自宅の庭で亡くなったと知り胸がはり裂けそうです。
    娘が笑っていた小学の時の想い出がよみがえる悲しみと、幼くして亡くなった女の子が自死を選択するほど苦しまなければいけない学校生活とはなんなのでしょうか。
    交通事故を心配するように、自死を考えしまう前に誰かに打ち明けるのよ。と親は子供に教えていく必要があるように思えます。
    娘を亡くして初めて身近になった自死。でも自死は確かにあるのです。
    命の大切さや残された家族がどんなに悲しむかを、きちんと幼いうちから教えてこなかった自分を後悔してた所にこの事件…辛すぎて涙が止まりません。
    ご両親が今どんなに苦しんでおられるかを思うと、ただ涙です。

  4. Kikiさん、こんにちは。

    座間市の事件は私も気持ちがざわざわします。
    うちの子も警察にお世話になったけど、
    かなりキツい事を言われました。

    親子関係の行き違い、普通ならそれで済む話しだったのに、友人に宛てた遺書と、私に宛てた遺書だけを見て私が母親失格の様なことを言われました。
    ただ、呆然と息子の突然の死に何も考えられず、ただただ泣いていたのを覚えています。

    早いものでもうすぐ1年が経ちます。
    Kikiさん。
    怒り、憤り、自責、後悔、色々な感情がありますね。
    そんな中でも今日は少し幸せ。
    そんな風に思える日が出てきたのは
    進歩でしょうか。

    • 由紀子さん、こんにちは。

      「親子関係の行き違い、普通ならそれで済む話しだった」…
      自死遺族の集まりに出席し、皆さんの最後の日のやり取りを聞いていると本当にそう思うことが何度も何度もありました。
      私もそうです。
      もし、娘があの日自死していなかったら翌年には覚えてもいない些細な言葉のやりとり、いえ、実際「行き違い」があったかどうかさえわからない「やりとり」だったであろうと思います。
      「なんでもないやりとり」であったはずが、大きな意味があったかのように迫ってくる…
      でも、それさえ事実はわからない…

      誰にも事実はわからないのに、結果だけ見て他人から憶測されるのは悲しいですね。

      「母親失格」だなんて遺書だけみて警察がそのようなことを言うなんてなおさらです。
      子供が死んでそれこそ一番辛いときに…

      由紀子さん、大変でしたね、さぞかしお辛かったことと思います。

      私も別れた夫から私のせいだと言わんばかりに嫌味を言われて娘のお葬式にさえ参列できませんでした。
      あの日のことを思い出すたびに苦しさで胸が締め付けられます。
      何であの時あの人の顔を一発ぶん殴ってやらなかったかと(T_T)

      もう一年ですか…
      由紀子さんからメッセージを頂いたことをつい昨日のことのように思います。
      娘がこの世を去ってから時間の感覚がおかしくなった気がします。
      娘の親友さんが「かさねさんが亡くなって以来、『かさねさんが亡くなってから何日…』『かさねさんが亡くなってから一年…』と、私の時間はあの日が起点になりました」と語っていたのを思い出します。

      「今日は少し幸せ」
      とてもいい言葉ですね(*^_^*)
      私もこれから由紀子さんのその言葉を使わせてもらいます。
      ありがとうございます。

      • Kikiさん.
        どうしたらいいのかわからなく、
        縋るように書いたメッセージから
        もうすぐ1年。
        あの日のKikiさんの言葉に
        ちゃんと母として息子を送らなければ。
        と思いました。
        お正月休み明けだったため、火葬場が空きがなく普通より長く側にいられたし、
        その分お友達などが最後のお別れにきてくれました。

        Kikiさんも辛かったですね。
        Kikiさんのようにヨガやお庭の手入れ、
        パンを焼いたり…
        色々見習って気持ち良いことをして生きようと思います。

        以前より、今日は少し幸せ。と思う日が増えてきたと思います。

        息子を忘れるのではなく、息子が居なくなった日常が少しずつ出来つつあるのかと思いました。
        まだ涙が出て仕方ない日もあるけれど、
        愛した証拠。
        向き合って生きます。
        泣くと少し楽になりますね。

        Kikiさんのブログに集う皆さんにささえて
        もらってます。

        ありがとうございます。

      • 由紀子さん、そうですか…、もうすぐ一年なのですね…
        お正月明け・・・
        では、これから12月を迎え、突然強い悲嘆に襲われる日があったり、心が沈んでどうしようもなくなる日が多くあるかもしれません。
        でも、だからと言って「せっかく気持ちの良い日が続いていたのに、やっぱり駄目なんだ」と落胆しないでくださいね。
        命日近くになるとどうしても落ちてしまうのはごく普通の事ですから。
        毎日の生き方はこれまで練習してきたのでだんだん上手になってきて「愛する者を失った後の日常」がわかってきているので、うまくその日を過ごせるようになってきていると思いますが、命日、特に初めての「特別な日」の過ごし方は、まだ練習していないのですから(^_^.)

        不思議なもので、当日よりその前がきついです。
        私など、三年たった今でも、皆が家族で集まるクリスマスが来ると思うときついです(^_^;)

        泣くと少し楽になる、由紀子さんのおっしゃる通りだと私も同感です。
        これからも泣きたいときは泣いて楽になりましょうね(^_^.)
        そして、「以前より、今日は少し幸せ」という日を積み重ねていきましょうね(*^_^*)

  5. Kikiさんのお陰で、私も外の世界へ少しずつ戻っていかなくてはと思い始めてます。
    昨日次女が「今のママは、ネエネを余計に悲しませるだけだよ」と外へ連れ出してくれました。
    まるで異国ように、以前とは全く違う景色ですね…でもその世界に慣れていかないといけないのですよね。
    残された遺族が生きていく世界ですものね…娘が戻らない限り、昔の世界は存在しないから。
    我が家も悩みましたが、今週末に四十九日法要、納骨する事に決めました。
    娘の居ない、家族三人での未来を歩いていこうと励ましあってます。
    頭で分かっていても、感情ではまだまだ無理ですが毎日を生きていつか娘が「ママ迎えにに来たよ」と笑顔で来てくれると信じて。

    • 下のお嬢さんが、お母さんを思いやって頑張っている姿が目に浮かびます…
      お姉ちゃんを亡くしいろいろな感情が渦巻いているだろうに、それでもお母さんを支えようとしているけなげなお嬢さん…
      ありがたいですね、涙が出ます。

      美響さんも、家族四人のNormalから家族三人のNew Normalを探して歩きはじめたのですね…
      それは、まるで亡くなったお嬢さんを一人おいていくようでとても辛いことだと思います。
      しかし、姿は見えずともいつも傍にいて見守っていてくれることと思います。
      その声が、必ず聞こえる日がやってきますので、今は辛くても堪えて今日を生きてくださいね。

      • Kikiさん、本当に有難うございます。
        Kikiさんと出会えた事が、今日生きている私だと思います。
        感謝しかありません。
        次女がロス(中学)サンノゼ(高校)と留学をしていた事もあり、亡き娘と私にとっても想い出のある地です。
        心の準備が出来たら、次女と娘が好きだったグランドキャニオン、ヨセミテ国立公園へ行こうと話してます。
        近くでKikiさんが頑張っていると思ったら元気をもらえる気がします。

  6. kikiさん おひさしぶりです。

    そうですか、やっぱりあのニュースご覧になったのですね。ちょっと気になってお邪魔しました。
    被害者についてもかなり報道されてるし、関連するTwitter凍結や削除案も出て、対処が違うと問題になったり。
    高校生が三人もいて、見てると娘と重なって具合悪くなってテレビ見ないようにしてます。

    kikiさん。辛いですね。
    私たちは、子供の自死をなかったことにも、時間もどすこともできないもの。思い出して引き戻されてしまう。

    今夜は仏壇前で夕飯お供えして、ふとかさねちゃんとママが気になったんです。そういうことかな~

    私は少しずつ、母親でも娘でもない、私だけの時間をつくってます。
    で、心理学実習でストレスコーピング、風景構成法、YG性格検査体験して思いました。
    kikiさんがおっしゃる通りだったと。一気に喪失三つに引き戻し向き合うはめになり、泣きながらレポート書きました。

    やっぱり心の専門家は無理みたい。先生から、基礎だけしたら、専門家ではなく、寄り添いとか、他にもいろいろあるから、一歩ずつ考えながらゆっくりと、とアドバイスもらいました。

    うまくいってると油断してたらころんじゃう。
    スケートリンク歩くみたいにボチボチいくしかないし
    まだ大事な判断はしないほうがいい
    模索期間中って思ったがいい

    ストレスコーピングで、ストレスに向き合い過ぎるので、距離を置いたり、気分転換、健全な逃避を心がけていこう、頑張りすぎることは美徳ではない、と学んだ実習でした。

    今私がなんとか生きてるのはkikiさんのお陰です。
    お身体大事にしてください。
    いつも感謝しています。

    • しろちゃんさん、お久しぶりです(*^_^*)
      心理学学習がしろちゃんさんの「気づき」に繋がっているのですね。
      しろちゃんさんが以前のしろちゃんさより肩の力を抜いて喪失と向き合い始めたことを感じます。
      それってそばらしいと感じます。

      ほんと、みんなそれぞれですね…
      何がグリーフワークを進めるうえで助けになるかは、人それぞれ違う…
      自死遺族同士支えあうことはできるけど「これをしたら一気に回復できるよ!」などという後から来る人に授けられる魔法の杖がないのですよね。
      あったらいいのにといつも思います…

      しろちゃんさんにとっては、心理学学習に取り組むことが助けになっているようで、それを発見されたしろちゃんさんのお話が聞けてとても嬉しいです。

      実は、私も娘を亡くした翌年、自分が心理学学士を取得した大学で「グリーフセラピスト」になるための講座を見つけてその講座を取ろうとしました。
      しかし、そのクラスを教えている教授は、私が娘を自死で亡くして一年しかたっていいなことを知ると、私に対する深いいたわりの言葉と共に、やんわりとではあるもののはっきりとこの講座は私にはきつすぎ無理だろうと言ってきました。
      今から考えると教授はわかっていたんだと思います。
      まだその時期ではないということを、今は自分のことに専念しなければいけないという事を…

      「健全な逃避」という表現、いいですね!
      私が学んだタイム・アウトですね(*^_^*)

      私も「健全な逃避」をいっぱいしました。
      そして、三年が経った今、悲しみが消えたわけではないけれど、喪失から学んだ事をバックボーンに、人生の悲しみを良く知る新しい自分を創造中です。
      しろちゃんさんも新しい自分を創造中ですね!(*^_^*)

      一緒にこれからも歩き続けましょうね!

  7. こんにちはkikiさん
    なんか、初めてこんにちはと書いたような気がします(^_^;)
    先週、息子の納骨が無事済みました。
    息子が旅立った直後、色々な方々がいたわりから、お墓があっても納骨は急がなくていいんだよ、気持ちが落ち着くまで何年も置いとく人もいるのだから。等とアドバイスしてくださいました。私もその時は混乱していたこともあり、一生手元に置いておくとか、離さないとか思っていましたが、2週間を過ぎた辺りから気持ちに変化が起き、翌月末の誕生日過ぎたら納骨すると、周りに伝えました。驚く人もいました。
    段々、耐えられなくなっていたのです。
    お骨を見るたび、色んな感情にさいなまれ、特に夜は苦しくて何度もおかしなことをしそうになりました。
    お墓には息子の祖父母がいます。会ったことの無いおじいちゃん。ホームに入ってからも何度も訪れて車イスを押してあげていたおばあちゃん。いいのか悪いのか、私はお墓をセカンドハウスと呼び、戒名もセカンドネームとして受け入れていれています。戒名をつけると言ったとき旦那は反対しましたが、私は、私のつけた名前そのものが墓詞に刻まれることを想像したときおかしな貧血に襲われてしまったのです。
    しかもこの子は18才と刻まれる。耐えがたいことでした。祖父母と並んで同じ様に戒名ならば少しは休める気がしてお願いしてつけてもらいました。ステキなセカンドネーム頂きました。
    お墓の横にモニュメントを置きました。あの子が大好きだったアーチェリーをしている姿の。
    納骨してから、心が少しは落ち着いたのか、毎日、死にたいから、生きよう…と、思い始めてきました。
    それでも、様々な感情のなかのひとつである、怒りの感情は消えません。今現在足をケガしていることもあり、お酒を一切飲んでいないのに、怒りは突如爆発的にきます。怒りの原因は様々。その一つに、あるSNSがあり、TVの報道やコメンテーターの無神経な発言等があります。怒っても怒っても、解決がつかない相手に日々怒っている。
    納骨1週間前はTVを一切見ませんでした。いいことだったので、怒りで疲れたくないときはTVを見ません(笑)
    しかし、SNSは忘れた頃に通知がきます。やりきれなくなるのですが、最近学んだことでやり過ごす技?を、身につけました。
    kikiさんのブログと今ケーブルTVで見ている大草原の小さな家での言葉から、ミックスして、

    あの子を思い出すときは笑っている顔を思い出す。悲しくて泣いても、思い出すのはあの子の笑顔。
    悲しみは無くならないし否定しなくていいものだから悲しくて泣いてもいい。
    でも、思い出す顔は笑顔。満面の笑。

    ここまで2ヶ月。まだ、2ヶ月なんだ…と色々と思うところはありますが、
    kikiさんのブログに出会えたおかげで生きています。kikiさんとブログに寄せていらっしゃる方々のコメントに感謝しています。
    ありがとうございます。

    • ヤムヤムさん、こちらこそありがとうございます。
      納骨を終え、少し心の整理がついたのですね、良かったです。

      人それぞれ、本当にみんな違うので、ずっとそばに置いておく方が心が休まる人、納骨して心が落ち着く人、ほんと様々だと沢山の潟の話を伺ってそう思います。
      「亡くした人を思うやり方は、何が良くて何が悪いという事は一つもない、自分の心の声に従っていくのが一番良い」と、娘の死から三年が経ち振り返って見て本当にそう思えます。

      そういう意味で怒りも大切な心の声。
      ヤムヤムさんが書かれた通り、どんな感情であってもそれは自分のもの、否定することも変えようと頑張る必要もないと私も思います。
      他者に害をなさないように上手に手放す方法を会得するには押し殺してしまっては会得する機会もないですからね(^_^;)

  8. ki kiさん、泣かないで下さい。
    私は娘が亡くなってから、ニュースも情報番組も見ないようになりました。
    テレビで流れていても、理解も出来ないし、何も感じなくなりケーブルテレビの旅番組か音楽だけです。
    主人が、今日は心が重くて仕事が出来ないからと早くに帰宅しだ時が、座間の事件がニュースで取り上げ始めた日です。
    ki kiさんが警察への怒りで苦しむのは私の怒りとは違うものでしょうが、でも私達は娘が亡くなったことで初めて経験した怒りなのでしょうね。
    娘を亡くしてなければ、ここまで傷つく事も悲しむ事もなかったのでしょうね。
    娘達の為にも、私達も心穏やかに過ごせますようにと日本からお祈りします。

    • 美響さん、優しいお言葉をありがとうございます。

      ブログに怒りを表現したおかげか、それともヨガに行ってきたせいか、今日は心穏やかです(*^_^*)
      カウンセラーにも以前言われたのですが、感情は自分のもの、どのような感情であろうとそれは大切なものだから上手に表現しいつまでも引きずらないように努力しています。
      その方法は、皆さん違いますが、私には「書くこと」「泣くこと」「話すこと」そして「ヨガ」と「瞑想」が一番効くように思います。
      あ、それと呼吸法も(*^_^*)

      そうですね…、わが子を自死で亡くす以前には考えられないような様々な感情をこの三年間で経験しました。
      特に辛かったのは罪悪感と自責でした…
      一年間苦しみとおしました。

      そして、憤りや怒り
      これは、亡くなった娘にも周囲の人の無神経な言葉にも時折ひどく怒りを覚えることがありました。
      それも今はずいぶんと少なくなってきました。
      自分を許しあるがままに受け入れられるようになったとき、他者も許し受け入れられるようになりました。

      悲しみ、絶望感、無力感、罪悪感、孤独感、怒りに自責、どんな感情であっても、頑張らず肩の力を抜いて感じるほうが本当は楽で、かえって抑え込もうとすればするほど鬱になるという事も学びました。
      心穏やかに過ごすためには、矛盾しているように感じらるかもしれませんが…、湧き上がる感情を感じるきること、泣きつくすことも大切なのだと知りました。

      そうして苦しんでいるうちに、ある日罪悪感と自責が後悔に変わっていることを知りました。

      でも、悲しみや寂しさ、そして心にぽっかり穴が開いてしまったような空しさは、私の娘に対する愛が形を変えたものなので大切にこれからも抱いて生きていこうと思いますし、涙は気持ちを楽にし優しさを思い出させてくれるので何年経とうが娘を思って泣くことは良しとします(^_^.)

      それ以外の感情は手放したいですね。
      辛いだけて自分を苦しめるだけだから…

      そうするためにも、何よりも自分を大切にそして自分を許し優しくあることが一番… (^_^.)
      美響さんもご主人も今が一番辛く苦しい時期だと思います。
      どうか、無理をなさらず、心と体を大切にしてください。
      周囲の人がなんといおうと、何よりも誰よりも自分をいたわってくださいね。
      長い目で見れば、心の癒しを得るための一番の近道になりますから。

      • Kikiさんへ泣かないで下さいと言ったのは、泣いているKikiさんをハグできない自分が情けなくて出てしまった事です。
        言葉足りずに悲しませてごめんなさい。
        事件より、Kikiさんが悲しみでいっぱいになってるのが私には苦しくて読みながら声を出して泣いてました。
        Kikiさんのブログは今の私にとって救いなんです。
        思いのままに書きとめてください。

      • 美響さん、かえって心配おかけしたようでごめんなさい(^_^;)
        私は、書き込みしたその日にしっかり泣いたのですぐに復活しました。

        実は、美響さんの「泣かないで」と言う言葉を読んだとき、もしかしてこれは美響さんご自身がご自分にいつも言っている言葉なのではないか、そうだとしたら辛いだろうなあと心配になって自分の経験を書き込みました。
        だから、私は大丈夫ですのでどうか気になさらないでくださいね。
        お子さんを亡くされたばかりの美響さん方が私よりずっとずっとお辛いはずですから・・・

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