季節の変わり目は嫌い
持病のめまいが出て三週間、まだ目が回る
いつものこととわかってはいても回転性のこのめまいは気持ち悪くて日々の暮らしにも支障をきたす
やりたいこと、やってしまいたいことが思う様に出来ない苛立ち
いつになったら治るのかという不安
医師からきちんと診断されたことはないが、恐らくは「良性発作性頭位めまい症」
頭を動かすとその後数秒ひどい回転性のめまいがするから。かと言って動かないでいるといつまでたってもめまいが軽減しないので、気持ち悪くても体を動かし、頭を動かすように意識する
耳の中にある三半規管や耳石といった平衡感覚をつかさどる器官が生まれつき弱いらしく、子供の頃からめまいに襲われているので私にとっては、古いお突き合あいの有難くない友達
私の場合は、ストレスと自律神経失調が関係しているようで、季節の変わり目、疲労がたまるなどした時に不意に襲われる
30代の初め、子育てと仕事で忙しく毎日4時間ほどの睡眠、それでも笑顔で頑張っていた
しかし、体は正直で自分の意志に反して「もう駄目、頑張れない」とでも言いたいかのように朝起きたら突然目がぐるぐる回って天と地、右も左も判断がつかなくなり、四つん這いで動こうとしても床に転げた
笑えたけれど、ひどい吐き気に襲われ笑っている場合ではなくなった
緊急入院
脳梗塞も疑われ、ありとあらゆる検査を医師は行ったが、結局原因が分からず、めまいは残っていたが検査の結果どこも異常がないということで二週間して退院することとなった
当時は、まだ医師の間でも「良性発作性頭位めまい症」の存在が浸透していなかったのか、耳鼻科も含め色々な専門医をまわって歩いたが、結果は同じ
「どこにも異常は認められません」
挙句の果てに「あなたの気のせいです。もう来ないでください。神経内科、若しくは精神科にでも行ってください」とまで言われた
この時は、めまいよりも「苦しみを訴えても分かってもらえない」悲しみと絶望感の方が大きかった
(ああ、これって娘を自死で亡くし誰にも理解されずもだえ苦しんでいた時に似ている・・・)
仕事も子育てもあり、休むわけにもいかず、ふらつきと吐き気を抱え泣きそうになりながらそれでも半年我慢、なんとか普通に暮らせるようになった
しかし、それからも年に一二度、突然のめまいに襲われる
仕事をやめてからは、起き上がれないほどのひどいめまいはそれほど経験しなくて済むようになったが、更年期を迎えて、めまいのおこる頻度が増してきた気がする
アメリカでは、予約を入れても一月後でなければ医師に診てもらえないということがざらにある
今回も最初から諦めネットで調べためまい体操をしながら自然治癒をまつ
気持ち悪いし、不快、でも頭を動かさないとこのめまいはおさまらないことも経験から知っているので、我慢して家事をこなす
亡くなった娘のことを思い出した
『もっと丈夫に産んであげていたら…』母親である自分の責任、今でも時々そんな風にかんがえてしまうときがある
私は神様でもなんでもないのだから、自分を責めても仕方がない、責めたところで娘は帰ってこないのだから、と、分かっていても私はやっぱり母親、心が弱るとついつい考えてしまう
娘は、私に似て、背も高く見た目は私同様体格が良く丈夫そうなのに、その実は子供の頃からアトピーや喘息、夢遊病などに、悩まされた
子供が小さい時は毎朝四時半に起きて家族が起床する前に家じゅう拭き掃除をした
そのせいか、有難いことに娘の喘息は3歳を過ぎると治った
娘がめまいに襲われたのは、大学時代
私と同様、突然の回転性めまいで救急車で運ばれ、その後もふらつき感が残り、めまいというよりは不安症が悪化し大学に行けなくなり、休学した
このときは、私もアメリカから飛んで帰って東京の娘のアパートで一月ほど娘の世話をした
治ったかのように見えたのだが・・・
HSP
めまいの予防エクササイズをネットで検索していたら、なぜか「HSP(Highly Sensitive Person、とても繊細な人)」「心が疲れやすくて生きづらい…それは「HSP」かもしれません」というページにたどり着いた
HSPには、特徴的な4つの性質「DOES(ダズ)」があります。
■ D:Depth of Processing/深く処理をする
簡単に結論の出るような物事であっても、深くさまざまな思考をめぐらせる
■ O:Overstimulation/過剰に刺激を受けやすい
刺激に対する反応が強く表れやすく、疲れやすい
■ E:Emotional response and empathy/全体的に感情の反応が強く、共感力が強い
他人との心の境界線が薄く、相手の感情の影響を受けやすい
■ S:Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
他の人が気づかないような音や光、匂いなど、些細な刺激にすぐ気づくHSPの人は、感覚的な刺激に対して無意識的・反射的に対応する脳の部位、「扁桃体」の機能が過剰に働きがちで、HSPではない人と比べて刺激に強く反応し、不安や恐怖を感じやすいことが分かっています。相手の気持ちを察知して行動したり、物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまうこともあります。
https://kenko.sawai.co.jp/mental-care/202103.html より
あ、これ、私だ
亡くなった娘もきっとそう
生きづらい・・・そっか、そうだよね、うん、当たってる・・・
10年前にこのことを知っていたら違っていたかな・・・
Hindsight is 20 20
これは「あとになって見れば物事は良く見えるもの」というアメリカのイディオムで、初めてこの言葉を聞いたのはある自死遺族の方が亡くなった方の話をしていた時
そう、今だからこそ見えるのであって、過去の自分には将来何が起きるかなんて何一つ分からなかった、悲しいけれどこれが私の現実、誰のせいでもない、誰も責めることはできない
今日は、Thanksgiving Day
めまいの専門医が「80%で良しという気持ちでめまいと付き合うことも大切です」というようなことを書いていた
そうよね、多少めまいがあっても何とか普通に動けるのだから今の状態を受け入れ感謝しながらゆっくり生きるほうが、ストレスが少なくていい
夫と二人だけのThanksgiving Dayは、手間と時間がかかる割にはさして美味しくない七面鳥はやめてポーク・リブ、昨日からマリネしておいたから後は自家製バーベーキューソースを付けながら焼くだけ
Thanksgiving Dayのデザートの定番、パンプキンパイも夫が好きではないのでやめ、代わりに低炭水化物でノンシュガーの手作りアーモンドケーキ
あとは、サラダでもあれば、80%完璧な二人の感謝祭
Kikiさん娘もそうでした。
「物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまうこともあります。」
些細な事の積み重ねが、自分だけではどうしようも出来ない。自分はダメだと自己否定するスパイラルに入っていったんじゃないかと思っています。
その娘の県外にある部屋を先週引き払いました。
夫婦で1週間の休みを取り、業者さんと打ち合わせから、引っ越し、不動産屋さんとの最終確認迄、なんとか終わりました。
亡くなって2年かかったけど、私達夫婦には必要な時間でした。
荷物を整理し、少量の衣類と書籍を手元に残しました。
私は家内の心情、ストレスを思って部屋の中に入るを止めたけど、最後は見届けたいと整理業者の方と気丈に仕分け作業をしてました。
全て部屋を片付けた後、空っぽになった部屋に持ってきた小さな花束を置き、お香を焚いて二人静かに泣きました。
家内は空っぽの部屋を見て「もう一度娘が死んだみたい」って泣きながら言ってました。
家内もストレスからくる自立神経失調で眩暈等の症状が時たま出てたのですが、この2週間程酷く辛そうです。
私は娘の部屋の事がずっと頭の中にあったので、片付けが出来ていないっていう思いから解放されました。
でもね、娘がいない寂しさ、悲しさは変わらないよ。
そうですか、コーさんの娘さんもそうだったのですね・・・
優しくて、繊細で、それだけに人生に疲れてしまいやすい・・・
娘さんのお部屋の片づけ、荷物の整理、さぞかしお辛かったことと思います。
奥様の言葉を伺い、娘が亡くなった一週間後に訪れた娘の部屋を目の当たりにした時の驚きを思い出しました。
別れた夫は、コーさんご夫婦とは真逆のやり方をしていました。
娘の彼氏さんと一緒にはいった娘の部屋は、空っぽでした。
本当に何一つ残されていませんでした。
まだ初七日もあけていないと言うのに、別れた夫は娘の使っていた寝具、本やノート、衣類等々、いっさいがっい全てを処分していました。
本当にショックで声も出ませんでした。
あの時の「空っぽの部屋」を見た時のショックは今でも忘れることが出来ません。まるで、最初からかさねは存在していなかったかのように、奇麗に無くなっていたからです。
恐らくは、あれが別れた夫の「苦しみ」を消し去るやり方だったのだと思います。思い出したくないから、娘を思い出させるものは目の前から消し去ったとしか考えられません。
アメリカの自死遺族会でも同じように「即処分した」という方がいらっしゃり、少しでも娘の生きた証を残し、娘を感じていたいと思う自分とは全く違う人もいるのだと驚きをもってその方の話を聞いたことを思い出します。
コウさんの奥様もめまいに苦しんでおられるのですね。
心労が重なってお体に出ているのですね・・・
お察しします。
そうですよね、ずっと気かがりだった部屋の片づけが終わっても、肩の荷が一つ降りただけで、寂しさ、悲しさは何一つ変わらないですよね。ただ、一日一日、少しずつ「わが子が手の届かないところにいってしまった」という現実が日常になって行き、その寂しさの中にも何か光を見つけ生きることが新らたな生き方になっていく・・・
寂しいですね、本当に・・・寂しくて悲しい・・・
娘の引っ越しを終えた日から、訳もなく悲しさ 寂しさから涙が出てしまいます。
引っ越し前は3時間睡眠も平気だって言ってた家内は、寝れないのが怖いからって、以前は薦めても嫌がってた睡眠薬(通常の半分)を服用する様になりました。
祭壇も片付け、引っ越しを終えたら、前を向けるって思ってたのに
全然 違うよ
やっぱり寂しいよ。悲しいよ。
娘の部屋の引っ越しで、リアルな娘の物に触れた事で、家内も私もめちゃくちゃダメージを受けてます。
特に家内は側にいるのが辛位ほど、めげてます。
ただ ただ娘がいないから寂しいって 動かずに泣いています。
横で見守るしかない。
私は、家内より1日休みを多く取り、こうやって辛さを吐きだし、号泣してます。
でも、この気持ちもなんとかやり過ごすしか無いよね。
普通が普通じゃ無くなった私達には、そうやって生きていくしかないよね。
でも、この先には穏やかに悲しめる時が来るんだよね。
今回の事で、一時的に気分は娘が亡くなった時に戻ってしまったけど、時間が経てば大丈夫だよね。
コーさん、大丈夫ですよ。
穏やかに悲しめるときが必ず来ます。
コーさんが言うとおり、今は辛くてもそれは一時的なものです。
2年間触れられずにいたものと向き合ったのだから感情の大波に襲われても、それは当然の事です。
それよりも、その大変な作業をを成し遂げた二人を私は誇りに思います。
時を経ただけに、なおいっそう辛い作業だったことと思います。
悲嘆の波はひいては押しを繰り返し、時には大波となってやってくるときもありますが、必ず引いていきます。
今は、その波にあらがうことなく溺れないように泳いでください。
奥様、睡眠薬を服用されるようになったのですね。
良かった。
眠ることで心も体も上向きます。
息子さんを亡くされたアメリカの友人が話してくれました。
六か月間睡眠薬のお世話になったけれど、眠ることができてその後の回復にも良かったと、そして、その後はお薬が無くても大丈夫だった、と。
自死遺族の会でご主人を自死で亡くされた若い奥様が「先日事故を起こし、夫が乗っていた車が駄目になったのだけれど、夫を失うようで処分できない」と話し悲嘆にくれていました。
その言葉を聞いていたグリーフカウンセラーが、彼女に向かって優しく、でも、はっきりと言った言葉が「車は、車、あなたの愛する人ではないのです。処分してもご主人がもう一度亡くなることはないし、ご主人の思い出が消えることもないですよ、だから大丈夫」
コーさんは、感情を表現する力を持っている、だから大丈夫です。
今は泣いて泣いて悲しみを吐き出してください。
悲しみは消えてなくなることはないけれど、ふっと楽になるときが必ず来ますから。