新しい出会いと癒し
自分が変わろうと思うと周りも変わるのでしょうか。わが子を自死で亡くした母親として現実を受け入れ全てを受容し慈愛の心を持って自らを許し生きようと決めたときから世界が少しずつ変わって見えてきました。
それまでは、母親でありながら娘を救えなかったという「自責の念というめがね」を通して世間をみていたせいか、他者も自分を「娘を自死させてしまった母親失格者」として見ているに違いないと感じ、根拠のない恐れを抱いていたように思います。また、娘を失ったという悲しみだけではなく、立ち直れない自分の存在が恥であり間違いであるかのように感じ自分が存在すること自体を恐れ世間に背を向けていたのかもしれません。
イェディーとの出会い
トレシーに出会った翌日、ヨガの練習後ジムの中にあるドライサウナに入った時のことです。これまでに何度かジムで見かけた小柄なアジア人の女性が先に入ってベンチに腰を掛けていたので、いつものように軽く挨拶をしました。
Hi, how are you?
Good! How are you?
I’m OK.
いつもだったらこれでおしまいなのですが、その日は自分から話しかけてみました。
「毎日来てるの?」
「以前はね、でも最近は年を取ったから毎日は疲れて(笑)。上の子は17才なんだけど、下の子がまだ手がかかるから。あなたはお子さんは何人?」
「二人」
何の戸惑いもなく娘が生きていた時と同じように「二人」と普通に即答できたことに自分自身少し驚きました。
「何歳?」と、彼女が聞くので
「上の子が27歳で、下の子ももうすぐ27歳になるの。上の子は2014年の秋に自死で亡くなったの」と、答えました。すると、一瞬沈黙した後、彼女が目にいっぱい涙をためてこういったのです。
「どうして!?」
この質問にはちょと困りました。自分自身もわからないからです。
「たぶん、何かに悩んでいたのだと思うのだけれど、自分もどうしてあの子が自殺したのかわからないの。思うのは、すごく苦しんだうえでの決断だったんだろうということ。私も娘を亡くした後、死にたいぐらい辛かった時があったから・・・。でも、わが子を忘れるなんてできないから、今はこの痛みと一緒に生きていこうと思って練習中」
と、正直に答え、ちょと微笑みました。彼女は、流れる涙をタオルで拭きながら、
「私は、自分の子供を亡くしたことがないから、あなたの痛みのちょっとさえ理解できないと思うけれど、自分がもしわが子を失ったらと考えるだけで悲しくなるんだから、あなたの痛みは想像を絶するものに違いないわ。忘れるなんて、立ち直るなんてできっこない。苦しくて悲しくて当然よ。だって、おなかを痛めて生んだ子だもの」と、言ってくれたのです。
『私のために、娘のために、この人は泣いてくれている』その気持ちが嬉しくて、涙が出ました。
「私のオーストラリアに住んでいた友人も自殺したの。とても辛かった。どうして、なんでって。辛いときは泣いていい。何年たったって、忘れることなんてできないんだから…。だから、無理しないでね。あなたは、他に家族はアメリカにいるの?」
彼女は、インドネシアからの移民でした。ご主人と子供さんだけがアメリカで唯一の家族でした。見知らぬ土地で孤独を抱えながらも一生懸命明るく生きていたのです。
「私は、家族は夫だけ。だから寂しいけれど、友達がいるから。もっとも、何人かの友人は子供を自死で亡くしたと言ったら、よそよそしくなってしまったけれど・・・。きっと、なんといって声をかけていいかわからないうちに時間が経ってしまったんだと思う。それも無理のないことだと思うのよ。だって、こればかりは経験した者でなければ痛みはわからないから。それに、今日はあなたに会えてこうやって話ができてとてもいい日になったし。ありがとね」と、私も涙をいっぱいためながらその人にお礼を言いました。
「私の名前はイェディー。これからは、私もあなたの友達だよ。一人は寂しいからね」と、大きく手を広げてその小さな体で大きな私を抱きしめてくれました。生きていればいいこともある、と、心から感じた日でした。
Kikiさんへ
トレシーさんとイェディーさんとの出会いとトマトの赤い実の画像
私には、まだまだ先のことになりそうですが、読ませていただき
温かい気持ちをいただきました。ありがとうございます。
受容と自らを許すのは、長い時間がかかりそうです。
現実は受け入れつつあるつもりなのですが・・・
時々、本当に受け入れられているのかさえわからなくなります。
リンさんへ
こちらこそ、温かいメッセージをありがとうございます。とてもリンさんの言葉に助けられました。受容と自らを許すことは、簡単なようで本当に勇気と忍耐が必要だと感じています。一番大切なのは「誰のためでもなく自分のために、不安や恐怖ではない心の平安を求めるために必要なんだ。そしてそうすることによって、なくなった子供も生きている周りの者をも救うことができるんだ」と悟ることのようです。そういいながら、私もまだまだヨチヨチ歩きの赤ちゃんで、『今日は良くても明日はどうかな』、程度の悟りですが(^^;
「現実を受け入れる」こと、理性では理解しても感情がついてきませんよね・・・。私の場合、最初の数ヶ月は「娘は死んだんだ」と頭では理解しているのに「娘のために何かしよう」と必死でその何かを探してはやろうとしていました。そうすればまた以前のように「お母さんへ」と忘れた頃にメールが来るようなそんな気がして。結局、感情では受け入れてなかったんです。何ヶ月か経ち「どんなにしても帰ってこない、もう会えない」と頭だけではなく心が理解し娘の死を受け入れ始めた頃から本当に悲しみがやってきて、とてもとても苦しくなりました。ちょうどその頃から今度は周囲の人から「悲しむな」「がんばれ」「早く忘れて前に進め」メッセージが(もちろん直接その言葉をつかっているわけではありませんが)送られるようになり、別の意味で「立ち直れない自分が悪い」ように感じ本当に辛かったです。悲しいのに悲しむなといわれているようで、怒りと悲しみがまぜこぜになったような。自分の怒りに気づくことが一番時間がかかりました。自分は怒ってなんかいないって思っていたんです。でも、本当は自分にも世間にも怒りではちきれんばかりだという事実に気がつきその自分を受け入れたんです。「私怒ってる」って。そうしたら、怒りたいんじゃない、ただ娘を思って泣きたいんだから怒るのはやめって、初めて思えたんです(^^;自分でも自分の感情に気がついていなかったんですね、私。
本当に癒しの道は時間がかかります。でも、私の前を歩く多くの自死遺族の方に出会いその方を見ていると、ふっと和らぐ時間が必ずやってくる、そしてその和らぐ時間が徐々に徐々に長くなっていくって信じることができます。辛いですが焦らずまずは何より自分を大切にゆっくり今日一日を生きる、それだけで今は十分なのだと思います。それが、許しであり受容でもあります(^^)