2023年3月日本、桜を追いかけて

「外国人入国者に対する規制緩和」

この日本からの朗報に「夫と二人、今年こそはお墓参りに行けるかも!!」と、年明けとともに日本一時帰国の準備を始めました。

まずは飛行機のチケット。

フェニックス、成田・・・

高い!

高くてこれだと飛行機代だけでかなりの出費になります。東京近郊ならまだいいのだろうけれど、成田についてから新潟の実家までの列車代も半端じゃないし・・・

二人で帰るとなると旅費だけを計算しても40万円は軽くかかりそう・・・

と、うなっていたら、夫が「そんだけ旅費をかけて帰るなら、たったの2週間とかじゃなく3か月ぐらい滞在して日本各地を旅してまわろうよ(^^)/」と、ニコニコ。

さっ、さんかげつ~!?

でも、夫の言うことにも一理ありなのです。結婚してからこれまで何度か日本に一時帰国してきましたが、大金をはたいて日本に飛んでも、2週間ほど実家に滞在し家族や友人に会うだけで一度も観光をしたことがありませんでした。

特に娘が亡くなった2014年以降は、娘のお墓参りと実家の母と弟に会うために帰国するだけでした。そして、それさえも新型コロナの流行でできなくなり、今回は7年ぶりの日本一時帰国です。

でも、3か月滞在はヤバイでしょ。日本のホテルや旅館は超高いから、宿泊費だってバカにならないはず。

すると夫が「JRパスを使って移動し、Airbnbで民泊したら滞在費はそんなにかからないと思うよ」

なるほど・・・でも、さすがに3か月もの間、旅して歩くのは経済的にも体力的にもきつそう。なにせ私はコロナ前からずっと引きこもりでしたから。そこで、妥協案として2か月に短縮して計画を練ることに。

と、いうことで、日本のゴールデンウィークの連休前、桜の季節の3月の初めから4月の終わりにかけての2か月間を日本に滞在し各地を観光して回ることにしました。

実は、3月の初めにしたのは理由がありました。弟の命日が3月9日なのです。が、もう何年もお墓参りに行っていなかったので、この機会に命日にお墓参りに行きたいと思ったのです。

さて、まずは飛行機のチケットを押さえなくてはと、二人で色々とネットで検索。シアトルやロスアンゼルス発の便は比較的安く、一人10万円以下の格安往復券が出ていたりするのですが、フェニックス発の日本行き直行便は出ていないため、ロスアンゼルスやサンフランシスコ経由の成田直行便となり、すると突然倍ぐらいのお値段になってしまうのです。

そこでロスアンゼルスから成田までの国際線と、フェニックスからロスアンゼルスまでの国内線を別々に購入することに。これだと、国内線と国内線を別々に購入することになりますが、フェニックスから成田まで通しで買うより20万ほど飛行機代を節約できます。

難点は、スーツケースを預ける時の基準が国内線と国際線では違うので預け荷物のサイズと個数に気を付けなければいけないことと、通しで買わずに別々に買った場合、国内線の便に遅れやキャンセルが出た場合でも国際線の便はお構いなしに出発してしまうので国際線の便の返金はしてもらえないというリスクが伴うことです。

そこで一日早くフェニックスを出て、ロスアンゼルス空港近くのホテルに一泊し、翌朝そこからホテルのシャトルバスで空港まで送ってもらって成田に向かうことにしました。アメリカは日本と異なり宿泊者数ではなく部屋数でホテル代金を支払いますので二人で一泊しても一万円ちょっとで済みます。

次は宿泊先です。

当初は経費節約のため到着後何泊かは新潟の実家に、とも考えたのですが、母は83歳と高齢、コロナは下火になったとはいえまだまだ安心できない状況。フェニックス空港、ロスアンゼルス空港、機内、成田空港、列車内に駅構内、と、大勢の人と接触する場面が予想され、たとえマスクを着用していてもどこで感染するか分かりません。もし感染を知らずに母に会い、母が感染したら大変です。そこで、大事を取って新潟についても直ぐに実家の母に会いに行くことなく、到着後の自主隔離という意味でAirbnbで見つけた新潟市内のアパートに一週間滞在し、まずは娘の墓参り、そして様子を見ながらこの間に運転免許証の更新手続きをおこない、その後に母に会いに実家に行くことにしました。

「運転免許証の更新」と、書きましたが、実は、コロナで帰国することが困難になり更新手続きができずに切れてしまい、特例再交付手続きをおこなう必要がありました。これまた色々事前に調べて必要書類を用意しておかなければいけないという面倒な事態になっていました。その一つに「入国時にパスポートに入国スタンプを押してもらうこと」という事項がありました。出国スタンプと入国スタンプの日付を確認して「特別な事情で更新が出来なかった」証明とするということなのです。私も知らなかったのですが、今は、全てデジタル化して入国カウンターで特別にお願いしないとパスポートにスタンプを押してもらえないのですね。ビックリ。

日本国籍があっても海外在住者にはマイナンバーカードの交付がされないため、運転免許証は私にとってパスポート以外で日本国内で使える唯一のIDなのです。それに母に何かあって介護のために日本に帰国するとなった時、運転免許証がなければ車の運転ができず困ったことになります(実家は田舎にあるのでバスや電車の便が悪いため買い物や通院に車が必須)。ですから、どうしても保持しておきたかったのです。

と、まあこんな感じで二カ月かけて旅費や旅程の綿密な計画をたてました。

ふっと気が付いたのですが、2020年の春に日本一時帰国を計画した時よりも今回は「計画をたてる」ことが脳の負担になっていませんでした。実は、3年前にも日本一時帰国観光を予定し飛行機のチケットも押さえていたのですがこのときはコロナのせいで泣く泣くキャンセルする羽目になったのです。

何かで読んだのですが、子供の死など大切な人を亡くすことは大変なショックなことで、外傷に等しいトラウマとなり脳に多大な影響を与え、前頭葉(物事を判断したり計画を立てたりする)の機能が著しく低下する場合があるそうなのです。娘を亡くす以前の私は旅行の計画を立てたりするのが好きで大得意でした。ところが、娘を亡くしてからは、判断力、記憶力がともに低下し、何か計画を立てようとしても頭にもやがかかっているようで考えがまとまらず、とても億劫になってしまっていたのです。

今回も最初のうちは「どこから手を付けたらよいの!?」と、なかばパニックでしたが、それでもやっていくうちに少しずつ脳の機能が回復して来たのかなんとかかんとかできました。しかし、記憶力は相変わらずでなかなか覚えられないし、すぐに忘れるしで、何でもかんでも書いて整理して・・・と、言う具合で・・・

(つづく)

機上からの一枚。遠くには雲から地上に降り注ぐ雨が見えます。

(参考)

グリーフが脳に与える影響についての記載(いずれも英文)

Healing Your Brain After Loss: How Grief Rewires the Brain

What Does Grief Do to Your Brain?

How Coping With Grief Can Affect Your Brain

2023年3月日本、桜を追いかけて」への7件のフィードバック

  1. 雅子さん 私達夫婦も90前後の家内の両親、90前の私の母が居るので、介護の大変さは分かりますよ。
    訪問介護やショートステイ等を積極的に利用してやり繰りしてます。

    2年間、どうして過ごして居たのか、娘の関連した事しか記憶に無いよ。
    四九日、百箇日、初盆、一周忌、誕生日、その日の事や、娘に会いに来てくれた人達との会話さえ覚えているのに、娘が亡くなって2ヶ月後に行った、父の十三回忌の事すらほとんど覚えていません。
    ただ ひたすら辛く 悲しく泣いてた日々ですが、2年間経ちました。
    Kikiさんのプログに出会い、自死遺族にしか分からない辛さがある事を 受け入れてもらいました。
    辛さをここで吐き出しながら、「必ず穏やかに過ごせる日が来るよ」って言ってくれたKikiさんの言葉を、時には夫婦で「そう言ってくれた」よねって言いながら乗り越えてきました。
    又、私達より、辛い日々を長く過ごしている方達のコメントにも共感し、同じ風景を見てるって悲しくも安堵します。
    Kikiさんのプログ上で、コメントをされない方達ともつながっています。

    私は辛くてしょうが無い時、ここに訪れ辛さを吐き出して コメントを書く事で気持ちを整理してます。
    Kikiさんからの温かいメッセージも、もらえるので一石二鳥です。

    でも、今更ながら思うのです。
    数年間にわたり、自死遺族の方々の辛いコメントを受け入れてくれるKikiさんは、大丈夫なのか?
    Kikiさん、家族じゃないから 言えない事も言えるよ。

  2. 初めまして。コーさん。
    2回目の命日…私にはまだ未知の世界です。
    キキさんは久々の日本は少しでもエンジョイ出来ましたか?
    少し長くなりますが、私は再婚して主人で福岡に転勤になり、その間に母はケガで入院繰り返し、歩けなくなり施設へと。地元に居た息子に母のお金の管理してもらってたのですがら亡くなった後の通帳は数百円しか残ってませんでした。
    息子が使い切ったのでしょうね。
    悲しいのだけど、これからの母の事もこれから私にのしかかってきました。
    毎日毎日母と私と2人早く迎えに来てくれないかな?って事ばかり思ってしまいます。
    本当憂さ晴らしに使い込んだのならこんな頼りない母でも頼って欲しかったな。

    • こんにちは、雅子さん。
      そうですか、そんなことが・・・事実を知られたときはショックでしたでしょう・・・
      頼ってほしかったですね・・・

      6月に息子さんを亡くしたばかりで辛い中、お母さんの介護も加わり、生きる希望が見えず「早く迎えに来てくれないか」と考えるお気持ちがとても良く分かります。
      私も最近、というか、ずっとそのように考えて生きてきました。
      先を見たら暗闇しか見えない、子供もいない、体の調子も悪い、知らぬ土地で、世話をしてくれる人もおらず、頼る人もいない、何のために生きているのか、と、辛いだけの人生ならば死んだほうがいい、と・・・

      それでもふっと頭をあげると青い空が広がり、こんな灼熱の砂漠でも生きる草木と動物がいて、みんなその日を一生懸命生きている、いや、楽しそうにさえ見える、奇跡だと思ったら、なぜか涙が出て、思わず手を合わせました・・・
      私もその「奇跡」の一部で、なぜだかわからないけれどこうして生きている、自然の力を感じる時生きる喜びと光を見ます。
      それは、娘を失う以前の私には無い事でした。
      今日、この瞬間、今は平穏、明日のことは何も分からない、明日私は死ぬかもしれない、誰もわからない・・・

      雅子さんお辛いことと思います。
      どうかお体ご自愛ください。
      Kiki

  3. Kikiさん
    娘の2回目の命日を昨日迎えました。
    亡くなった時間は一昨日(推定なのが悲しい)なので、自分で死を選び けっこうした時間帯の夜は寝れなかった。
    家内も同じ風景を思い苦しみ寝れなかって言われました。
    去年は一日中泣いてた。
    だから敢えて 夫婦徹夜明けで家内の好きなギャラリー、カフェ、パン屋さん巡りをしたよ。

    実は、間を挟み8時間ぐらい描いたコメントがこちらのミスで一瞬で消え去ってしまいました。
    最後の長文になってって入れた所で消えた。
    けっこう、私達の夫婦間の事や娘への思いが詰まったコメントだったんだけど、娘が嫌がったのかな?

    • コーさん、2回目の命日を・・・

      コーさんもコーさんの奥さんも本当にこの一年良くここまで生きてきてくださった、と、感謝の念に堪えません。
      徹夜明けのギャラリー、カフェ、パン屋さん巡り、『ああ、いいな、コーさんたちがコーさんたちなりの「自分に優しいその日の過ごし方」を見つけたんだ!』と、嬉しく拝見しました。

      そうですか、最後の最後のところでコメントが消えたのですね。うーん、そうですね、お嬢さんが「このコメントは、私がもらう~」と、空の彼方に持っていてくれたのかもですね。書くことで、そしてまさしく空の彼方に「Let it Go」したのですね。なんだか、私にもコーさんと同じような経験があっ他のを思い出しました。時間をかけて書いたメッセージが「最後の行」というところで一瞬にして消えてしまい、それまでの感情も「あれ?」という感じで、再度同じ内容を書く気持ちになれずにそのまま終わったということが何度かあった気がします。コーさんのように考えたことはなかったのですが、言われてみればわが娘が「ちょっと、ちょっと、何書いているの、私に見せて」と、私から取り上げたのかもなあと思ったら、あの子がやりそうなことでちょっと笑えました。

      命日当日よりその前がとても苦しかったのではないでしょうか。もう、あの日は終わりました。今日はゆっくりお休みください、コーさん、コーさんの奥さん。

      • 徹夜明けの強固軍は、好きな物を見たり、美味しい物を食べてる時は娘の事を忘れられる。
        って家内が言うその為にだけ頑張ったよ。
        亡くなって一年間は毎日泣いてた。
        でもね、すこしずつ泣かない日、娘が頭の中に居ない日が増えてきた。
        家内は日々諦める事だよねって言います。娘が生きていないという事を、日々感じる事だと思います。
        そうかもね、でも悲しいなぁ。

        娘の死を受け入れるって事って、どうゆうことかな?
        以前 Kikiさんにも問うたよ。

        夫婦で話した事は、死を認めて前向き進め出した時が、その人の死を受け入れるって事かなって事です。
        2年私達が生きた。
        その事が前へ進んだ事なのかな?
        仏壇も買えず 娘のアパートの引っ越しも出来ない私達は、私の中では、1 ミリは進んでも1センチは進んでないと
        感じてる。
        その事が済めば私は、私は区切がつき、進んでって思えるけど、家内に
        言ったら、それは貴方のケジメねって言われました。
        私は反論したんですけど、話を聞くと
        家内は母親として、娘と接して見た風景が私とは全然違う残酷な物でした。
        「家族だから敢えて言えない事がある」でも、家内には言った事がある。でも、それ以上に言えない事がある
        だから家内は日々苦しんでいます。

        時が経てば薄らいでいく思いと、衝動的に襲われる苦しみ 家内にとっては娘の死を認めているけど、前に進むって思える事が無いって言います。

        後、何年かかるかな?
        私も娘のアパートの引っ越しで区切りが着くと思うけど、実際どうなのかわからないな。
        でも、私だけでも進まなければ。
        家内も付いて来てくれる事を信じて。

      • コーさん、前に進むってきついことだよね。
        私の場合、前に進んでると思ったら逆戻りしてたり、まっすぐ歩いてると思っても穴に落ちたり。
        そんな感じです。
        息子を亡くして、来年のお正月で7年。
        今も前に進んでいるのか?横道に逸れているのか、分からない日々です。
        2年間、生き抜いてくれてありがとうございます。

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