それぞれのグリーフワーク: 自死遺族の喪失との向き合い方

息子さんを自死で亡くされたあるお母さんの大切な時間

家族を亡くしたことのない人にとってお墓にいくとかお寺に行くということは恐らく日常的なことではなく、ましてや墓地でお茶をすると聞いたら「え!?」かもしれません。でも、友人のシャローンが誘ってくれた時私は不思議にも何の違和感も感じず、「ああ、シャローンの亡くなった息子さんと三人でお茶するのも悪くないなあ」と直ぐに承諾しました。

三月十一日はシャーロンの大切な息子さんビンセント君の八回目の命日でした。そして、大切な人を亡くしたことのある人ならわかると思いますが命日が近づいてくると気持ちが何とも言えずざわつきそして沈んでくるのです。去年自分が経験してみてそのことは良くわかっていたので、シャローンの息子さんの命日が近づき精神的に不安定な彼女のそばにいてあげたいと思っていました。

ということで、命日に先立つ三月九日午後二時に、霊園内にある葬儀場の入り口で待ち合わせることにしました。この日は31歳で癌でこの世を去った私の弟の命日でもあります。

シャーロンとの出会いは一年前の冬、私が娘の自死と向き合う中で助けを求めて参加した子供を亡くした親の集い、Compassionate Friends でした。その日私は初めての参加で心細くしていました。他の親御さんたちは病気や事故でお子さんを亡くしていましたが、自死で子供を亡くしたのは私一人のようで何となく自分は場違に感じ居心地が悪かったのです。そんな時シャーロンが「私の息子も7年前に自らの命を絶ったのよ。あなたは、まだ一年も経ってなくてどんなに苦しい気持ちでいるかと思うととても辛いわ・・・。私でよかったら話を聞くからいつでもメールを頂戴ね」と、彼女のメルアドを手渡してくれたのです。それから時々会ってお互いの亡くした子供の話をするようになりました。

人の亡くなった暗い陰気な話は聞きたくないという人が多いアメリカでは、何の遠慮もなく自死したわが子の話ができ、かつ、共感を持って聞いてくれる彼女の存在は私にとって大変な救いになりました。彼女も息子さんの死から8年が経ち周りの者が忘れてしまったかのようにふるまう中、一生懸命に耳を傾けてくれる私の存在がありがたいと言ってくれます。

悲しい新たな喪失

実は、待ち合わせた墓地にはビンセント君の亡骸は納められていません。別の霊園に納められていました。アメリカでは土葬もしくは火葬が一般的ですが、火葬の場合は日本と異なりお骨が残らずほんのわずかの灰だけが残されます。そして、霊園にある特別な施設の一区画(日本のアパートの郵便受けのように壁にいくつも並んだ小さな箱状のスペース)を買い取りそこに納められるようです。

シャーロンは、誕生日、バレンタインデー、そして命日などの記念日ごとにビンセント君が埋葬されているその場所を色々なもので飾り付けることを心の癒しとし亡くなってからずっとそうしてきたのです。ところが、霊園の経営者が変わったとたんに遺族によるいっさいの飾り付けが禁止されたのです。お花さえあげることができなくなってしまいました。これに対して、シャローンは何度も抗議し最後には泣いて懇願したのだそうですが、聞き入れてもらえずとうとうビンセント君の遺灰をその霊園から引き上げることにしたのだそうです。これはシャーロンにとってようやく見つけた癒しの時間と場所を失うという新たな喪失でした。その後今回待ち合わせた霊園に区画を再度買って移そうとも考えたそうですが、また同じことが起きて悲しい思いをするのは嫌だと感じたシャーロンは、ビンセント君の遺灰を現在家の特別な場所に安置しています。

それでも、やはりビンセント君が生きていたことをみんなにも知ってほしいとこの日待ち合わせた霊園に記念プレートと、記念バタフライプレートを作って記念日には少しだけ飾ってビンセント君を思う特別の場所にしたのです。

記念のバタフライを設置できる霊園の片隅に設けられた石の記念塔

記念のバタフライを設置できる霊園の片隅に設けられた石の記念塔

黒が好きだったビンセント君のために作られた青銅のバタフライです。名前と日付が刻まれています。

黒が好きだったビンセント君のために作られた青銅のバタフライです。名前と日付が刻まれています。

この石の塔の傍らには小さな丸テーブルと椅子がありお参りに来た人がそこで休めるようになっていました。私たち二人は近くのドリンクスタンドでお茶とコーヒーを買いそこに腰かけビンセント君の話をしました。私はこの日のためにブルーベリーマフィンを焼いて持参しビンセント君がそこにいるかのように話しかけながら一緒に食べました。もちろん、私は生前のビンセント君を知りません。でもシャーロンからビンセント君の最後の日だけではなく、在りし日のビンセント君との楽しい思い出話をたくさん聞いているのでまるで昔からビンセント君を知っている隣のおばさんのような気持ちがするのです。それは、不思議な感覚です。ビンセント君の面白い逸話を聞きながら二人で笑い泣きました。

「きっと、ビンセント君と私の娘も一緒になって『もーう、うちの母親達は困ったもんだね』と苦笑している」、そんな風にも思える時空を超えた時間でした。

そんなシャーロンですが、最初の1年間は、18歳で突然自らの命を絶った息子さんの死のあまりのショックに息子さんの死を受け入れられず心と体が分離したようで泣くことさえできなかったそうです。そして、本当の痛みはその翌年から襲ってきて数年間は毎日泣き暮らして過ごしたそうです。そして、その間には子宮がんにもなり手術もするという不幸にも見舞われました。

八年たった今、シャーロンはビンセント君が生きていたことをみんなに知ってほしい、忘れてほしくないとカイドネス・プロジェクトにも参加し小さな親切を日々心がけています。カイドネス・プロジェクトはお子さんを亡くされたお母さんが立ち上げたプロジェクトだそうでネットから参加者が広がり今では多くのお母さんたちが参加する亡くなった子供たちを永遠に残そうと慈善活動を行っている団体となっているようです。シャーローンは、例えば、見知らぬ人に一杯のコーヒーを御馳走し亡くなったビンセント君の名前の入ったカードを渡すなどして活動に参加しています。少しでも笑顔になってくれる人がいたら嬉しいし、そのことでビンセント君を知ってくれたらもっと嬉しいと言います。

シャーロンは誰かの役に立つことでビンセント君と共に新たな人生を送ろうとしています。涙は今もシャーロンの目から消える日はありません。それでもビンセント君との絆を深めながら心の傷をいやそうと日々頑張ってているシャーロンは誰よりも心優しく美しいお母さんだと思います。

愛する人を自死で失った家族の傷は深く決して癒えることはないのかもしれません。それでも人それぞれいろいろな形で愛する人の死と向き合い自分に合ったやり方でグリーフワークに取り組む姿は、たとえ悲しみ涙していても決して弱いのではないのだと感じます。

広報誌

シャーロンとビンセント君が中学生だった頃の写真が入った寄せ書き。カイドネス・プロジェクトの年間活動誌の1ページです。

 

それぞれのグリーフワーク: 自死遺族の喪失との向き合い方」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: リアリティチェック | Kiki East2AZ·

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください