暑い、暑い夏

気が付けば8月。

今年のアリゾナの7月は文字通り焼けつくような猛暑の連日、カシ110度を超える日が31日間続き、119度の日もありました。セッシに換算するとカシ119度は48度です。暑いと言うよりは焼けるような日差し。この暑さで、亡くなる方も多数出ています。

日本でも今年になってようやく外国人の入国規制がとかれ、3月の初めに7年ぶりにアメリカ人の夫と共に帰国、娘のお墓参りに行くことが出来ました。本当は、2020年の春に一時帰国する予定で、宿も押さえ飛行機のチケットも購入していたのですが、コロナの世界的大流行に泣く泣くキャンセル。そのときは、まさか、これほどになるとは夢にも思わず・・・

今回は、夫の「せっかく高い飛行機代を出すのだから、この機会に日本各地を回って観光してこようよ!」という言葉に、あまり気は進まなかったものの実家だけではなく名所旧跡を訪ねて歩く二カ月間の日本大旅行をすることになりました。これほどの旅行は、生まれて初めてで、真の意味での観光旅行になりました。このときのことについては、自分の覚書という意味でもいつか詳しく書き残しておきたいと思うのですが、なにせ最近物忘れがひどくなり、記憶がちゃんとたどれるかどうかも怪しい(T_T)

この旅行では、日本に着くなりコロナに感染し、一週間の自宅療養という思いもよらぬハプニングに見舞われましたが、念願の娘の墓参り、そして年老いた母にも生きて会うことができ、昔から一度は行ってみたいと思っていた安芸の宮島にも行けたし、思い切って二か月間日本に滞在することに決めて本当に良かったなあと思います。

それにしても皮肉なのは、この三年間、5回のワクチン接種、外出は極力控え、やむを得ず出かけなければいけない時はN95マスクをしっかり着用、外出から帰ったら徹底的に手洗い消毒、日本と比べればはるかに感染者数も死者数も多く危険であったアメリカでコロナ感染を免れ、感染の心配もなくなってきたから安心、と、出かけた旅先の日本でコロナに感染したことでした。

最初に症状が出たのは夫。日本について3日目の事です。そして、その3日後に私が。夫は高熱と鼻水鼻づまりで5日ほど寝込みましたが、その後はすっきりと回復。私の方は、症状は夫より軽く微熱程度でしたが、ヒリヒリとのどの焼けるような痛みと倦怠感が続き、家から持ってきたホーム検査キットでは、5日たってもまだ陽性。ということで、予定していた母との再会を先送りにし、ホテルでの自主隔離生活となりました。

コロナ患者を診察してくれる医療機関やその他のサービスについて私の実家がある新潟県の相談機関に電話をしてみましたが、日本人でも日本に住所がない旅行者については県は関与しないということで冷たく断られてしまいました。『では、重症化した時はどこに行けばいいの?』と、いっとき不安になりましたが、結局、薬局で買い求めた風邪薬を飲んで寝ていたら重症化することなく回復し、やれやれ。

ところが、それから数日したある日のこと、通りを夫と二人で歩いていると「コーヒーのいい香りがするね」と夫がいうのに私には何も匂いません。この時初めて臭覚を失っていることに気が付いたのです。噂には聞いていましたが、本当に一切匂いがしなくなるとは驚きでした。結局、臭覚が戻るまでに一月かかりました。

予定外の一週間のロスはありましたが、二カ月の自由な旅を予定していましたので、その後は日本各地の名所を列車でのんびりと旅してまわり、行く先々でネットで予約した地元の一般住宅に民泊、近所のスーパーで買い物をして自炊、3日から10日ほど同じ場所に滞在しお洗濯が出来る時に一気に洗濯、そして荷物をまとめて次の場所に移動という倹約旅行を満喫。旅費の節約のために歩いて行けるところはどこまでも歩いて行ったのでかなり疲れはしましたが、その分普段だったら見落とすような地元の名所や小さな地元のお店もゆっくり見て歩くことができ、足腰が丈夫なうちにしかできない貴重な旅となりました。

と、ここまではよかったのですが・・・

帰って来てからが大変。

長旅と時差ボケで疲れ切ってようやくアリゾナの我が家に着いたのは4月の26日午後10時過ぎ。「やっとゆっくり足を延ばして眠れる」と思いきや、夫が「家の鍵を車庫のどこかに隠したはずなんだけど、隠したと思っていたところになくて、どこだか思い出せない」というのです。

しじゅうものを失くす夫の不注意さは今に始まったことではないので「またか」と思いましたが、さすがにこの時ばかりは声も出ませんでした・・・

それから夜中まで車庫じゅう探しましたが見つからない。疲労困憊で頭も回らないから、とにかく少し寝よう、寝たら思い出すかもしれない、という夫の言葉に車庫の車の中に潜り込んで仮眠することに。でも、結局眠れず私は横になっただけで朝の四時には起床。

夜明け前の庭を見ると、雑草が腰の高さほどに生え、それが広い庭一面に広がっています。2か月間留守にしていた間にアリゾナにしては結構な雨が降ったらしく、玄関までの通路も雑草を両手で掻き分けていかなければ入れないほどになっていました。

『これを全部刈り取らなければいけないのか…』と考えただけでぐったり。

眠ったおかげかそれから間もなくして夫が「待てよ、もしかしたら・・・」と行って手を伸ばしたところに鍵がありました!

荷物も何も全部後回しにしてベッドに直行。この日は二日分は寝たかも。

しかし、時差ボケはいつものとおりで、翌日からは昼は倦怠感と睡魔に襲われ、夜中には目が覚めるという日々。なぜなんでしょうね、アメリカから日本に行ったときはそれほどではないのですが、日本からアメリカに帰ってきたときはいつもこの調子。一か月は時差ボケで苦しみます。

その中にあっても、乾燥注意報が出ているアリゾナ、山火事が出た時の延焼防止のために、家の周りの枯草はできるだけ刈り取っておかなければ危険ということで、既に暑さがやってきたアリゾナの太陽を背に毎日夫と二人で草刈りに励みました。

そんなこんなで5月の第二週になりました。スーパーに食料品の買い出しに行ったついでに夫の勧めで帯状疱疹の予防接種を受けました。それまでにコロナも含めインフルエンザの予防接種を何回も受けていましたが特に副反応は出なかったので、何も考えずスーパーの薬局でワクチン接種。筋肉注射でいつもより痛いとは思ったのですが、これがその後約三週間にわたって私を苦しめることになろうとは。

最初は、全身の筋肉痛。そして次第に熱が。一週間後には38度台の熱が出たり引いたり。そして肩から首へとひどい痛みが続き夜も眠れず。症状は2,3日と聞いていたのに、10日経っても高熱は下がらず、解熱剤を使ってもひどい頭痛が続き、ひどい時は熱が39度にもなり、食べるものも食べられず、だんだんと体も弱っていきました。痛みに耐えるのも限界になってきて目もかすんできたので、夫の「40度までは熱が出ても心配ない」という言葉を振りきてER(日本の救命救急センターのような施設)に連れて行ってもらいました。

そこで色々と検査をしてもらいましたが、やはり原因は分からず。「非常にまれなケースだが帯状疱疹予防接種の副作用が非常に強く出ているだけだろう」という医師の見立てで、点滴と熱さましをしてもらい、ステロイド剤を処方され帰ってきました。ただ、医師が「目のかすみ」と「ひどい頭痛」が予防接種が原因となる他の重篤な病気に進んでる可能性もないとは言えないので「念には念を、出来るだけ早く眼科医に診てもらう様に」と最後に言ったので「じゃあ、熱が下がったら」と考えていたら、それからも熱と頭痛が続き結局トータル三週間寝込むことになってしまいました。

「ああ、ようやく熱も頭痛も消えた、言われていた眼科の予約をしなくちゃ」

と、思ったら、今度は体のいたるところに赤い発疹が!

薬疹!?

最初は、お腹やふとももに星のように細かい赤い湿疹が出るだけで痒くはなかったのですが、それが三日後になったら今度は痒い。

痒い、痒い、かゆーい。

それでも「じんましんなら一週間も我慢すれば消えるはず」と、我慢していたらどんどんひどくなり、痒みで夜も眠れない!

これは一体どうしたことか、と、ホームドクターに予約を入れて診てもらったのですが、「薬のアレルギーか何かのようだが調べても恐らく原因は分からないだろうから、かゆみ止めの塗り薬を薬局で買って様子を見てください」と言われ帰宅。

いったんは、おさまったように見えたのですが、また二日もするとひどくなりまたまた眠れない。こんなに長く続く湿疹は生まれて初めての経験です。

その間にERのドクターに言われた目の診察の予約も入れました。そして、予約日に自分の番を待っていたら受付の人から「ホームドクターから紹介状が届いていないので保険が効きませんがいいですか」と聞かれ、ホームドクターに問い合わせをしたところ直ぐには出せないということで出直し。そうなのです、アメリカは日本と違い国民健康保険のような制度がないので、個々人がかけている健康保険会社が定める規則に沿わないと全額自己負担、なんでもないただの診察でも何十万と請求されることがあり気を付けないといけないのです。

痒みと闘いながらまた一月。アレルギーの専門医にも診てもらうことに。ホームドクターの紹介状を転送してもらい予約の電話を入れると、一月後しか空きがない・・・アメリカではよくあることで仕方なし。待つことに。

仕切り直しの眼科医で色々と検査してもらった結果、ERドクターが心配していた目の病気はなかったものの、持病の緑内障が左目で悪化している様子が見られること、そして新たに「加齢黄斑変性」という次第に視力が落ちていく病気の予兆が見られることを告げられ、今のところ手術も薬も必要がないが進行を遅らせるために今後の観察が必要ということで半年ごとに目の精密検査をすることに。

一方、湿疹の方は相変わらず一進一退、いえそれどころか、悪化する一方で、特に夜寝ついた頃になると無性に痒くなってきて、かいてはいけないとはわかっていてもあまりの痒さにかいてしまい、ますます悪化。アレルギーのお医者さんからいただいたステロイド剤も背中やお腹に星のように次から次へと出てくる湿疹に間に合わず、お薬が効いているのか効いていないのかさえ分からない始末。かゆみで気が狂いそうになったある日、オハイオにいる夫からBanedrylという抗ヒスタミン剤が家にあったはずだからそれを試してみたら、と、勧められ、緑内障を抱える私には良くない薬と分かってはいたけれど背に腹は代えられず服用。

効いている!

明らかに湿疹の数が減ってきて、痒みもおさまってきている!

三日服用し、ようやく夜も眠れるようになりました。

それから一週間、ずいぶん落ち着いてきたのですが、夕方になると相変わらずひとつふたつと湿疹が出るので、今は緑内障の人でも飲めるClaritinに切り替え毎日服用しています。これでなんとか次の診察日まで生き延びてアレルギーの先生に会い、この間の血液検査の結果何か治療法がわかったら嬉しいのですが・・・

それにしても、60歳を超えたらどこもかしこもおかしくなってきた感じです。目の病気もアレルギーも母方から来ています。糖尿病も母方。違うのは、緑内障を除いては、母は70歳を超えるまで糖尿病も含め特に体の不調は無くいたって健康だったことです。実際80歳を超えても自転車に乗って近くのスーパーに買い物に行っています。

私といえば、娘が亡くなる前年に突然両膝に水が溜まり歩けなくなったのを皮切りに、様々な病気が出てきていて、50代にして糖尿病予備軍となり、次には目の病気、母より10年は早く老化が進んでいるようです。

若い頃の仕事のストレス、そして娘が亡くなってからの悲嘆とストレス、と、生きる気力が低下しそれと共に老化も他の人より早く進んでいるのかもしれません。

訪ねてきてくれる家族もなく「〇〇のために生きる」というような「未来」のない私にはどうやら生きようとする気力が足りないようです。

今の人生の目標は「最後まで元気で、夫より早く死ぬ」です。

それでも、お薬が効いてきて心穏やかに眠れるとき、私は「満たされた気持ち」で喜びを感じ一日を終えることが出来ます。

ただ、翌朝になると「また一日が始まったか・・・」という気持ちになります。そして何とも表現しがたい寂しさはいつも心のどこかにあって決して消えることがない・・・

きっとこの寂しさや孤独は生きている間ずっとついてくるものなのでしょうね。特に子供を早くに亡くした親には。

当初は少し落ち込みましたが、ひざの故障も、緑内障も、加齢黄斑変性も老化に伴うもので、進行を遅らせるためにメンテナンスをしながら死ぬまで病気に追いつかれないように共存していけばそれで良いのだと考えたら楽になりました。

そういう意味では、かえってあまり長生きをすると困ることになるのでしょう。

娘を自死で亡くし一つ学んだことがあります。それは、失ったものはどんなに頑張っても元にはもどせないということ。だから失ったものを取り戻そうと嘆き苦しみながら闇を見て生きるより、日々の暮らしの中に小さな光をみつけ故人を感じ心満たして生きていく方が良いということ。そして、どちらを選んで生ききるかは、私の選択。私は、現実をありのままに受け入れ、愛し、亡くなった人と魂のレベルで共に生き、悲しみも寂しさも全部娘と共に抱きしめ生き切ろうと思います。

老化も治ることのない病気もこれと同じことなのかなあと思います。出来ることはやり、あとはあらがうことなく病気を受け入れ、来るか来ないかわからない未来を憂うことなく、その日その瞬間を生き、「ああ今日もまだ見えている、痛いところも痒いところも無くて眠りにつける」と、感謝して床に就く。

ほんと、痛くもかゆくもないとは、なんとありがたいことか。

経験して初めて知るありがたみです。

夏のお客様第一号です。ずんぐりむっくりのとかげ。名前はないですが、結構長いお付き合いです。
夏のお客様第2号。全長1メートルは超えるだろうという蛇さんです。毒蛇ではないですが、有名なラトルスネークに良く似ているのであまりお目にかかりたくないお客様です。うちの中庭に住んでいて時々遊びに出てきて私を驚かせます。写真は撮れませんでしたが、この他にコヨーテや、ボブキャットという大型の野生動物も時々餌を探してやってきます。寂しくてもあまり遭遇したくないお客様です(>_<)

暑い、暑い夏」への6件のフィードバック

  1. お久しぶりですヤムヤムです
    日本にこられていたのですね
    民泊なら、うちに泊まってキキさんが好きな山登り、外国人にも大人気の高尾山や御岳山に行けたのに(笑)
    夫が6月に亡くなりました。癌でしたが、癌治療の薬を使うと心臓に影響がでて、これ以上薬が使えない。ということで治療が進まず緩和ケアの自宅療養に入り死にました。
    色々あって怒りと絶望で何度も死のうとしたのに生きています。うんざり。
    瑛生くんがいたらなんがなんでも何にしがみついても生きようとしたのにな、あーあ。
    と、何度思ったかしれません。
    日本でもフェニックスの異常な暑さのニュースが取り上げられていましたよ。日本も異常な暑さです。アリゾナで、オフシーズンに野球のキャンプするらしくテレビで話題になります。アリゾナと耳にするとキキさんのことを考えるクセみたいなのがあるみたいです。
    お元気で。

    • ヤムヤムさん、なんと言っていいのか言葉さえ見つかりません。
      ご主人まで・・・
      2017年にあきおくん繋がりでヤムヤムさんと繋がり5年、「久しぶりにヤムヤムさんからのメッセージ!」と、喜んで読み始めたのに、まさか6月にご主人が癌で亡くなられていたなんて・・・
      ヤムヤムさん、ヤムヤムさん、今ヤムヤムさんのそばに入れたら、飛んで行って肩を抱いて一緒に泣くのに!
      怒りと絶望で死のうとしたヤムヤムさん、それでも生きていてくれて、こうしてコメントを寄せてくれて・・・
      ああ、ごめんなさい、私が泣いても何の役にも立たないのに、それでも「なんて理不尽なんだ! なんてこの世は不公平なんだ!こんなに一生懸命生きているのに!!!」と、何かに向けて叫びたくなります。
      ヤムヤムさん、生きていてくれてありがとう、辛くても生きてこうしてメッセージを寄せてくれてありがとう・・・
      それしか言葉が見つかりません・・・

      • 死は、等しく誰にでも訪れます。
        夫が死んだことは辛くありません。わかっていたこと、だから。
        優しいkikiさん。
        正直に生きることで何かが緩和されるといいと思います。なかなか、厳しいけど。ふふっ。

      • ヤムヤムさんこそ、優しい、そして真っ直ぐな方。
        どうぞお体に気を付けて。
        ご自愛ください。

      • ごめーん

        たとえ、私が死んだとしても

        キキさんにはなんにも関係ないから。

        そういうわけにはいかないのかな

        ごめんね 毎日、死にたいんだよね。瑛生君の側に逝きたいんです。

      • ヤムヤムさんが死んだら、関係あるよ~、そういうわけにはいかないよ~、だから死んだら駄目だよ~
        でもね・・・、正直死にたい気持ちもわかるから、息子さんの傍に行きたい気持ちねわかるから、辛いです(;_;)
        10年経っても時々ふっと思う時があるから、ヤムヤムさんにも「そんなこと考えないで」とは言えない・・・
        でもね、年をとってあちこち体が壊れてきて「急がなくてもあともう何年もないのかなあ」と思うときが最近多くなってきたから、そろそろ身の回りの品物の整理をしたほうがいいのかなと思う今日この頃です。
        ヤムヤムさん、その時が来たら瑛生君が迎えにきてくれるから、それまでは勝手に逝っちゃだめだよ
        私はね、30年前に弟が癌で死の床に就いていた時に弟に「私が死ぬときは迎えに来てね」って頼んだの。そしたら、弟が「わかった」って言ってくれたから、それまで頑張るつもり。勝手に逝って弟が迎えに来たときに私がいなかったら約束違反だから。

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