5回目の誕生日と地震

震えがおこる

六月十八日は、娘が亡くなってから迎える5回目の誕生日でした。友人や夫の両親親戚の誰にも伝えることなく、自死遺族の友人、シャーロンに同席をお願いして、娘が生きた27年間を偲ぶ会をタイ料理レストランで開きました。とはいっても、シャーロンは生前の娘の姿を知らず、私がこれまでに話した思い出話と写真で知るだけですから、結局のところせめて誰かに娘が生きていたこと、そして今も娘は私の心の中で生き続けていることを聞いてもらいたいという、その気持ちだけでした。

五年も経つと誰も話は聞いてはくれません。日本人のお母さん達の集まりにでも、他のお母さん達が自分の子供の話で盛り上がっていても、私は子供の話はできないのです。話をしたら、潮が引くように皆その場から立ち去っていきますから。

寂しいです、正直。私だって「お母さん」なのに、その子の誕生日が来ても話せない。

シャーロンがいてくれなかったら、どんなにか寂しい日になっていたことでしょう。たった一人でもこの日そばにいてくれる人がいてくれ、今も生きているかのように娘の話が出来て、娘のためにと用意してくれた小さなプレゼントの箱を私が娘の代わりに開ける・・・

タイが大好きだった娘。辛いものは苦手なのに、タイ人の彼氏の勧める本場のタイ料理を、一生懸命食べている娘の幸せそうな笑顔。写真の中の娘は世界中で一番幸せな女の子というかのように笑っています。

この半年後には死んじゃうなんて、この時誰が想像出来たでしょうか。

震撼とする出来事

Bitter-Sweetな、かさねのお誕生日会を終え家に帰り、その日は落ち込むこともなく、眠りにつくことが出来ました。

翌日、朝の庭仕事を終えパソコンを開けると「新潟でM6.7の地震、村上は震度6強」のニュースが飛び込んできました。一瞬心臓が止まったかのように感じました。日本時間を確認すると既に夜中の零時をまわっていて、NHKのネットニュースでは「停電が発生している地区がある。電話もつながりにくくなっている。被害状況は夜間のためはっきりとはわかっていない」等々伝えていました。

心の中で「どうしよう、どうしよう」と、震えながら繰り返し言っている自分の声が聞こえました。

連絡が取れない、直ぐに飛んでいけない、何が起きているのかわからない、安否がわからないという「あの日」の恐怖が再燃されパニックに襲われていました。PTSDです。

「大丈夫、母と弟は大丈夫、報道でも大きな地震の割には被害がさほど出ていないようだし、実家は地盤がいいところにあるから」と、気持ちを落ちつけようとしても心臓がドキドキし、落ち着いていることが出来ず、頭の中は真っ白で何も手につかず、一人でいると不安からおかしくなりそうでした。

ありえないことが起きてしまった私の人生では、他の人には「まあ、大丈夫さ」ということも「大丈夫じゃない」ことになっているのです。ありえないことは、ありうることになってしまっているから、地震と聞いて「もしかしたら母と弟は・・・」と考え、不安に襲われるのは当然のことと言えば当然で、この状況で落ち着いていられる人はいないのかもしれません。

現地の夜明けを待って母に電話をすると繋がりました。

母のいつもと変わらぬ声を聞き、弟も、家も大丈夫だと聞き、体から父からがぬけていくようでした。

娘の誕生日の夜に起きた地震は、自分がPTSDを抱えていることを再認識させられる事件でした。

幸い、大きな地震の割には被害は予想したほどではなく、けが人はあったものの死者は出ていないと知り安堵しました。

ground squirrel with banana

庭で一人でのんびり朝食をとっていると、時々遊びに来てくれる野生の動物がいます。この日は地もぐりリスでした。バナナの皮のごちそうに一生懸命です。

 

 

5回目の誕生日と地震」への15件のフィードバック

  1. kikiさん、
    土曜日に悲しい事故がおきました。
    うちの裏手の線路で小さな男の子が亡くなりました(/ _ ; )
    まだ3歳。
    警察の方々、消防の方々が手を尽くしていましたが結局亡くなってしまいました。
    お母さんはしばらくしてから
    警察の方に連れられてきましたが、見ていられないくらい取り乱していました。
    近所の人は親が目を離したからだ。とか
    小さい子1人で外に出ても気がつかなかったのか?などと言っていましたが、
    私は全く違う事を考えていました。
    あのお母さんは私だ。
    小さい息子を(体は大きいし、大人だったけど。サポートが欲しい時に自分の人生を優先させた) 1人で外に出した。
    側で見ていたら小さな変化も分かったかもしれない。
    どうか、どうか小さな男の子が助かって欲しい。
    私が代わりになってもいい。
    悲しいお母さんをふやさないで。
    そんな事を考えていました。
    まだ立ち直れず、会社は行きましたが、
    どんよりしてます。
    あのお母さんは自分を責めるでしょう。
    出来る事なら肩を抱いて一緒に泣いてあげたい。
    気持ちは痛いほど分かるから。
    マイナスな事を書いて皆さんごめんなさい。
    kikiさんの判断で削除してくれてもけっこうです。
    ショッキングな内容なので。
    ごめんなさい。

    • 由紀子さん
      ニュースで知りましたが由紀子さんのご近所だったのですね
      悲しい事件があるたびに胸が張り裂けそうな痛み…私達は遺族が後悔と自責で苦しまれる事が想像できるから自分の事のように感じてしまいますよね
      由紀子さん、私も同じ気持ちです
      辛い思いをしているご家族を静かに支えてあげられる優しく社会になれるように願うばかりです

    • 由紀子さんの気持ち、痛いほどわかります。
      自分が子供を失くしていなかったら、きっと、こんな風にはこの悲しい出来事を見ることが出来なかっただろう、感じることはなかっただろう痛み・・・
      そのお母さんの肩を抱いて一緒に泣いてあげたい、私も同じ気持ちでいます。

      本当に不幸な、不幸な出来事・・・
      もし、裏に線路がなかったら
      もし、子供が出て行ったことに気が付いていたら
      もし、誰かが気が付いてその子を止めていたら

      私もどれだけ同じように考えたかわかりません。
      もし、裏に川がなかったら
      もし、祖父が娘が散歩から帰って来ないことにもっと早くに気が付いていたら
      もし、通りがかりの人が声をかけていてくれたら

      本当に辛く悲しい、止められるものなら止めたいけれど、止めることが出来なかった現実は、本当にやるせなく辛く悲しいばかりです。
      どうかそのお母さんが生きて、生き延びてくれることを心から祈ります。

  2. kikiさん
    春に娘の友人がお子さんの入学式の写メと近況を知らせてくれたので、娘もしたであろうとささやかな贈り物をした
    娘に会いたいと連絡を頂き、お返しの品を届けてくれました
    本来なら娘も一緒に祝って楽しい時間となるのでしょうが…
    娘の友人は娘を支えられなくて悔しいと涙し、周りの人たちを大切にしていた娘本人が皆を苦しめる事になってしまい不本意だったろうにと胸が張り裂けそうでした
    私の知らない娘との思い出を聞くのは楽しくもあり、切なくもあり
    少しだけ前を向いていこうと思ってたのですが、今はあの日に引き戻ってしまい毎日をどう過ごしていいのか分からず落ちてます
    違うのは娘の後を追うことを諦めたことです
    こんな繰り返しで娘のお迎えを待つしかないと自分に言い聞かせてますが、しばらくは落ちたまま飽きるまで透明人間になります(笑)

    • 美響さん、お友達も苦しんでいらっしゃいますね・・・
      本来であれば、楽しい時間が「そこにいるべき人がいない」と言う現実に涙・・・

      自死遺族会で、お父さんを亡くされた娘さんが結婚式を挙げたことを報告に会に久しぶりに来て下さったのですが、祝いの席も「祝ってくれるはずの人がいない」ことに悲しみと怒りを新たにしていました。
      何年経とうとも「そこにいるべき人の姿が見えない」ことは、普段は痛みと上手く付き合えていても、感情の嵐につかまります・・・

      「しばらくは落ちたまま飽きるまで透明人間になります」と言う言葉が身に染みて分かるだけにすごくいいです(*^_^*)

  3. Kikiさん。新潟の地震、ただ祈るだけでした。とりあえず人の被害が少なくて良かった。
    でも、ももさんじゃないけど、色々な出来事に心が震えても、少し冷めてしまう自分もいます。私、自己中なんです。娘のことで、感覚が変わったとこと、全く関係ない元の自分と…。
    Kikiさんとかさねさん、お二人に感謝します。来世があるなら、違った形で出会いたいですが、かさねさんがいて、Kikiさんがいて、この場所で出会って、やっぱりありがとうです。

    • とり子さん、私もです。
      こんな形で出会うことになってしまったことは本当に残念ですが、でも、こうしてかさねととり子さんのお嬢さんが繋いでくれた縁に感謝しています。
      一人じゃないって知るとき、生きる希望と勇気をもらえます。

  4. かさねさん、お誕生日おめでとうございます。
    タイ料理、一緒に楽しまれたことでしょう。
    すぐ近くに気持ちが通じるお友達がいらして羨ましいです。お話しできるのは嬉しいですね。
    私も思いっきり娘の話をしたいです。
    新潟の地震、心配しました。
    私もお友達がいましたし、心の中でどうか無事でと祈っていました。
    もう自分は終わっていいと思っていますが、何が起こるかわからない世の中ですね。

    • 新月さん、地震ではご心配いただき、ありがとうございます
      久しぶりに心臓が止まるかと思う恐怖を味わいました。

      本当にシャーロンに出会えて良かったと思います。
      彼女に出会ったのは、かさねを亡くして半年後だったと思います。
      苦しくてこのまま一人でいたら自分も死ぬと感じ、勇気を振り絞って行った「Compassionate Friends – 子供を失くした親の集い」でシャーロンが声をかけてくれて、連絡先を書いた紙切れをくれたことが友達になるきっかけになりました。
      これまでにも、何人かアメリカで自死遺族の人と出会うことがありましたが、一回話をするだけで終わるケースばかりで、シャーロンのように長く交友関係が続くことはありませんでした。
      そういう意味では、シャーロンの存在には本当に感謝しています。
      そしていつも思うのは『こんなに優しくて思いやりのある人の息子さんが自死してしまうなんて信じがたい』ということです。

      もしあの日彼女から声をかけてもらえず、子供を自死で亡くした心の痛みを抱えながら心の支えもなくアメリカで一人ぼっちで生きていくことは出来なかったと思います。
      もちろん、夫はいましたが、子供のいない今の夫にはどうしても私の痛みは理解できずそういう意味で私の心の支えにはなれないですから・・・

      そうですよね、わが子の話を思いっきりしたいですよね・・・
      私も、シャーロン以外に聞いてくれる人は一人もいなくなりました。
      そういう意味でもこのブログでの集いは私にとって本当に貴重な場所です(*^_^*)

      • Kikiさん

        本当にそうです。
        Kikiさんのブログにどれだけ助けられてるか。こちらに繋がる皆さん、私にとって大切な出会いでした。
        感謝しかありません。
        娘の姿を思い今朝から涙が止まらなく、傾聴電話してみようかどうしようか迷っています。
        どうしようもなく虚しいです。
        娘が亡くなってもうすぐ半年、引きこもりの私には一歩の勇気が必要かもです。
        シャーロンさんとの出会いは、きっとかさねさんからのプレゼントですね。

      • 新月さん、半年、良く頑張ってここまで生きて来られましたね(;O;)
        まだまだお辛い日々か続いていること、察するに余りあります。
        私は、正直言って、その頃は絶望の淵にいて、毎日が孤独で悲しく一番辛かったように振り返って思いますから。

        傾聴電話というのがあるのですね!
        私は命の電話に電話したことがありました。
        聞いてもらえたことで、その日をなんとか生きたように思います。

  5. Kikiさんのご家族がご無事でなによりです。
    日本から遠く離れたアメリカという距離もなおさら遠く感じることでしょう。
    かさねさんの行方不明になった時と同じ気持ちで、不安な一日だったのは無理もありません。
    いまわたしはどんな悲惨なニュースを聞いても気持ちが動くことがなくなってしまいました。
    親子が亡くなった交通事故。
    小学生の殺傷事件。
    娘の自殺も単なる過労自殺事件とされて、
    あのニュースはどこか知らない人でもはや自分自身ではないような気さえしています。
    自分自身が自分でないような気がします。
    このままいつまで生き続けなければいけないのか?と、思うと気が遠くなります。
    せめてKikiさんとここにいる皆さんのことを思うと、私はひとりぼっちじゃないと思えます。
    どうかKikiさんに心静かにかさねさんを思う時間がありますように。
    そしてかさねさんお誕生日おめでとう!

    • ももさん、メッセージをありがとうございます。
      私は、ももさんと反対で、遠い日本での事件でも、ここアメリカでの悲しい事件でも、以前より強く心が揺さぶられ、ひどいとその重たい気持ちを一日中引きずってしまうことがあります。
      心がかい離してしまうと痛みを感じなくてすみますが、同時に虚しさだけで何も感じなくなってしまうのかもしれませんね(._.)
      それも辛いですよね・・・
      私は、子供の頃の父からの虐待が原因でかさねを亡くすまで心と体がかい離していたので、何も感ずることなくロボットのように生きてきましたが、今はその50年以上の感情の波が襲ってきていて、喜びも悲しみも感じますが、波が大きすぎてきついです。
      ももさん、かさねの人生を祝って下さってありがとうございます。
      はい、これからもずっと、ずっと思って生きていきます。
      一人ぼっちじゃないから、私も生きていけます(*^_^*)

  6. kikiさん
    私も同じ気持ちで過ごしました。
    震えているのに、なかなか情報も入ってこない。
    イライラするようなもどかしいような。
    でも現実を知りたくないような。
    不思議な感じだった。
    まずは、kikiさんのお母さんが無事でホッとしました。

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