10年目の罪悪感

思わぬ日はないけれど

久しぶりにシャーロンとランチに出かけた日のことです。

シャーロンは18歳の息子さんを10年前に自死で亡くしています。自死遺族先輩と言ってはなんですが、闇の底にいた私に明かりを照らして導いてくれた私の先を歩く恩人です。

その彼女から思いもかけない言葉を聞きました。

「最近罪悪感に苦しんでいる」というのです。なぜ、思いもかけなかったかと言えば、私が娘を亡くして一年も経たない時に「罪悪感にさいなまれて、生きていることさえ苦しい」と話したところ、彼女は「私はずっと良い母親だったから罪悪感はない」と言っていたからです。

では、10年経った今どうして罪悪感を感じているのかと不思議に感じながら、彼女が話を続けるのを待っていました。

シャーロンには他に二人のお子さんがいます。罪悪感の原因は、最近その二人の将来について心配事が続き、そのことに心を奪われていて、これまでのように亡くなった末っ子のビンセント君のことばかりをいつも思っていることが出来ないからと、今にも泣き出しそうな表情で話してくれました。

そうなのか・・・と、思いました。

彼女が「罪悪感は感じない」と4年前に私に話したのは、寝ても覚めてもビンセントくんの事を考え、在りし日の姿を思いだし、そのことを言葉にし家族や友人に語るために人に会い、一瞬たりともビンセントくんの事を思わぬ時間はなく、文字通り彼女の生活の中心はビンセント君で、シャーロンが信じる「いつも子供を気にかけている良い母親」でいられたからだったからでした。確かに、これまで、何かあるごとにビンセント君のために思い出のベンチを飾り付け、誕生日や命日、そして生誕祭、母の日、感謝祭、クリスマスといった祝日には、家の前を通る人が見えるように特別な飾り付けをビンセント君の部屋の窓と前庭にし、その夜には昔の思い出がいっぱい詰まったファミリービデオを家族全員で見るというのが儀式のようになっていました。

他の二人のお子さんは既に成人していて家を離れていたのに対して、亡くなった時ビンセント君は18歳でしたから、おそらくはビンセント君の世話が生前から中心で、それを亡くなった後も同様に続けることでシャーロンは罪悪感を感じることなくこれまで来れたのだと思います。

大切な子供を自死で亡くした親にとって罪悪感と自責の念というのはどうやっても完全に消し去ることは出来ないものなのではないかと、自分自身ふっとしたときに感じる胸を刺す重たい痛みに、今でも「もし、あのとき私が・・・していたら」と瞬間考えずにはいられないことがあり、そう思えてなりません。

それでも、自死遺族は皆それぞれのやり方で、そういった負の感情となんとか折り合いをつけて生きているのだと思います。

私の場合は、シャーロンと違って初期に罪悪感に苦しみぬき、その中で「娘からの愛のメッセージ」を日々の暮らしの中から見つけました。また「誰のせいでもない、鬱と言う病気に命を奪われた」と心から理解することで罪悪感から少しずつ解放されていきました。

人間の理解を超えるわが子の最期に、何の罪を犯してなくても「娘の死は自分のせいだ」と考えることで私は娘の死が理屈の通るものにしたかったのかもしれません。または、娘が鬱という病気で自らの命を絶ったということを信じたくなかったのかもしれません。恐ろしかったのです。愛する者が前触れも外的要因もなく死ぬという現実が恐ろしくて、理由を探し、二度と起きないようにしようとしていたのかもしれません。

しかし、ある日それがいかに愚かな考えであるかということに気が付いたのです。『もしも理由がわかったとしても、二度と起きないように予防法がわかったとしても、娘はもう私のもとには帰って来ないのだ』と言う現実と初めて向き合った時でした。子供を亡くして尋常ではない私の思考回路は、どこかで『娘の死は自分のせいで、だったら原因がわかって、自分がその責任をとったら、問題は解決されて娘は死ぬことなく、つまり今も生きていることになる』と、まるで自分が責任をとったら娘は生き返るかのように考えていたように思います。

それでいて、見えない何かに罰せられることにも恐怖を感じていました。『娘を死なせたしまった私はどんなにしても罪をぬぐえない、私は罪悪人で地獄に落ちるのだ』というような・・・

亡くなった娘も、私も、家族も、友人も誰も悪くはない、でも、娘は自らの命を絶った、という現実を受け入れるまでにはかなりの葛藤と時間がかかりました。

でも、娘の一周忌のあの日、娘の「お母さん、来てくれてありがとう」という声が天から聞こえたあの日、私は『娘は大丈夫なんだ、娘は微笑んでいる』と感じ取ることができ、悲しみと喜びで泣き崩れながら地獄の底から這い上がり始めたのでした。

生きることはたやすくはなく、人間でいるということは間違いもするということ。良い母親だったかと言えば私は良い母親でもなく、それでも、自分は自分の知る精一杯のやり方で子供たちを愛していたことに嘘はないのです。

そして、天からのメッセージが届くたび『かさねはそのことをわかっていてくれる』と、感じるのです。

フェニックスの夜明け

年をとったら益々早起きになってしまい、今は夜明け前に目が覚めます。でも、良いのはフェニックスは砂漠気候なので日中40度以上でも早朝だったら快適でハイキングに出かけられこと。この日は五時に目が覚めたので、一人で近くの山にハイキングに行きました。朝日がまぶしく、とても神々しくそこに娘がいるようで思わず足を止め見入ってしまいました。この日は気球も沢山飛んでいました(*^_^*)

10年目の罪悪感」への32件のフィードバック

  1. 先週初めて投稿させて頂きましたはずかしみです。
    長男が亡くなって2ヶ月弱、波のように襲ってくる後悔で押しつぶされそうになります。
    あの日も日中を何とか過ごした夕方同じ具合になってしまった時に、kikiさんのブログをみつけ夢中で読みメッセージを送っていました。いくつかブログを読んでいましたが初めてこの方にメッセージをと思いました。すぐに返信頂き嬉しかったです。ありがとうございました。
    毎日夜中に目覚めその後は長男のベッドに入り少しだけ眠り後は何時間もあああの時あんな事してしまったと後悔の場面を延々と繰り返しむなしい朝を迎えます。長男はなぜかそこで少し眠る私を許してくれているような、でも亡くなる前の私の振る舞いには彼の怒りというより残念なあきらめのような虚しさを感じます。いつも私や周り責められていた彼は何も悪くなかった、ただ自分はダメだと責め続け苦しんでいた。そして耐えられず絶望の中で一人逝ってしまいました。あなたは何もできなくてもただ存在しているだけてこんなにも私達家族を支えてくれるかけがえのない存在なんだとなぜ伝えられなかったのか。母である私が全くそれに気づいていなかったからなのです。遅すぎます。
    その後皆さんの交流を遡って見せて頂きました。子供たちへの思いに溢れているのに、なぜなぜこんな事が起こってしまうのか…ほんとうにいたたまれない気持ちです。
    私の場合はまさに毒母の私の言動のせいで息子が逝ったことが明らかなので、自分の中で皆さんとは違う思いがあるのだと思います。でも息子の苦しみに比べたら何でもないこと、私がこの気づきをよりよいこれからの私の生き方につなげていくしか道はないのだと思います。叫んでも嘆いてもそれは自分のパフォーマンスにしかすぎません。これから少しでも自分がまともな人間になっていくことしか息子に対してできることはないようです。自信はありませんが…。
    また、コメントさせて頂けますか?今は勝手な自分の思いばかりですみません。

    • しょこさん、しょこさんだけじゃないです、前にも書きましたが、私も毒親でした。
      そのときは、そのことに気づいてなくて、自分では一生懸命「これがこの子のためには一番」と思って言ったりやったりしていたことばかりなんですが・・・
      わが子を自死という形で亡くし、わが身を振り返り、いかに自分が毒親であったか、そのことに気が付き茫然としました。

      だから、私もしょこさんと同じように自分を責めて、責めて、苦しみ抜きました。
      「かけがえのない存在」と、あの子を亡くしてその一番大切なことを言葉にして伝えていなかったことに気が付き「親子だからそんなこと言わなくたってわかってるはず」などと信じていた自分の愚かさに泣きました。

      でもね、そうなんですよね、しょこさんが既に感じているように、私たちの逝ってしまった子供たちは私たちの愚かさを許してくれているんですよね・・・
      こんな母親でも私が心の底から愛していたこと、そして今も愛していることをわかってくれていると、彼方からのメッセージを受け取るたびに涙が流れます。

      この旅はとっても辛い旅ですが、一人じゃない、だから一緒に歩いていきましょうね。
      しょこさん、またいつでもコメントを寄せてください。

      • kikiさん、お返事ありがとうございます。
        彼方(娘さん)からのわかっているよというメッセージを受け取られるのですね。素敵ですね。私にもそういう時が訪れるのでしょうか。

        別れから日が浅いからかもしれませんが、日に日に自分のしたことが恐ろしく苦しくなる一方です。でもこれは当然の報いだと思っているのですが…。
        冷たい態度や追い詰める言葉の数々、息子に一言謝りたいです。謝罪は受け取ってもらえるのでしょうか。ごめんなさいを伝えることはできるのでしょうか。
        伝わったとしてももう遅いよと言われてしまいますね。

        kikiさん、もしよろしければご自分が娘さんに対して間違っていたかもと感じられることを教えて頂けますか?もちろんお話しできる範囲で結構ですので。

      • はずかしみさん、そうですね、「間違っていた」と感じたことは山ほどあります。
        特に、娘を亡くした最初の一年、二年はその感情との格闘の日々でした。
        ひどい時は、ずっと時間をさかのぼって娘が赤ちゃんだった頃の時まで、いえ、生まれる前にまでさかのぼって自分を責め罪悪感でいっぱいでした。
        例えば、妊娠したころちょっと無理して流産しかけたんです。
        医師からは、「流れるものは流れる、命のあるものは命がある」とだけ言われ、結果的に生まれてきてくれたんですが、それもひと月早く。
        その時も大きなおなかを抱えて庭の草むしりをしていてバランスを失いしりもちをついて、その夜破水しちゃったことが原因でした。
        もしかしたら、こういう自分の不注意さがあの子のその後に影響を与えたのかもしれないとか、考えだしたら辛かったですね。

        また、私はフルタイムの仕事を持っていて、当時は今のように育児休暇制度が充実していなかったので、娘は生後二か月になる前から保育園でした。
        夜泣きのひどい子で、夜になるとは毎晩泣いて、夜中におんぶして外を歩き回ったこともあります。
        母からも「愛情が足りないんじゃないの?」などと言われていましたから、娘が自死してしまい、仕事を優先した自分が間違っていたと、思いましたね・・・
        仕事をしていなくて専業主婦で、貧しくてもいつも子供の事だけ思って生きるお母さんだったらこんなことにならなかったに違いないと自分を責めましたね・・・

        娘は高校に入った時に学校のことなどで鬱の症状が出たことがあったんです。
        その時は、神経内科に連れて行ってお薬を処方してもらって元気になったのですが、お薬じゃなくて、カウンセリングとか、もっと自分がそばについていてあげていつも話を聞いてあげていたら違ったんじゃないかとか・・・

        あの子が小学校の頃に私が離婚したのも間違いだったと、母親なら、少々のことは我慢してでも子供のために離婚はするべきじゃなかった、と、自分は間違っていたと思いましたね・・・

        娘が大学に入り、実家を離れたことを機に今の夫と再婚してアメリカに来たのですが、自分が幸せになろうとしたことは間違っていたと思いました。

        あとは、亡くなる直前のやり取りを思い出すたびに、自分の言ったこと、言わなかった事、したこと、しなかったこと、とにかく自分が娘のために良いと思ってしたことは全て間違っていたと考えた時期がありました。例えば、娘が「会いたいなあ」と言った時に、「今は直ぐにチケットは取れないから、今すぐとは行かないけれど・・・」と言わず、「わかったよ、直ぐに帰るよ!」とアメリカから飛んで帰らなかった事とか・・・
        娘が亡くなる前にやり取りしたメールの内容とか・・・

        ほとんどすべてが間違いだったと感じて苦しんだ時期がありました。

        でも、今は、全てを受け入れました。
        間違っていたと感じることはそのまま受け入れ、でも、自分を責めることはやめました。
        娘は、私を責めてはいないと感じるし、そしてあの子は心の優しい子で人を責めたりするそんな子じゃないと思うからです。
        他者を責めるような子だったら、きっと死ぬことなどなかった、と、思います・・・

        また、振り返ってみて、「あの時、こうしていたら」と考え自分をどんなに責めても娘は帰って来ないと気が付いたからです。
        そして、あの時の自分にはその先に起こることは知る由もなく、その時の自分はその時の自分ができることをしていただけだからです。
        もし、娘が自死していなかったら、そうではなくて今も生きていたら、きっと「間違っていた」と振り返って感じることも『普段の暮らしの中で起きる些細な事柄』で、どこの親子にもあるやり取りでしかないことですんでしまっていただろうと思うからです。
        娘が自死してしまったので、全てが別の意味を持ってしまったけれど、人間はたった一つのことが原因で自分の命を絶つということはないのだと思います。

        確かに、娘にとって見たら私の一言で傷つくこともあっただろうと思います。
        でも、私は娘を傷つけようなどという気持ちは一つもなかったし、その反対で娘に幸せになってほしくて、自分と同じ間違いをしてほしくなくて愛情から出たことだったからです。
        また、どんなにしても私は一人の人間でしかなく、どんなに完璧になろうとしても完璧にはなれず、間違いを起こさない事なんて、それこそありえないから・・・
        私が娘の気持ちを完全に理解することなど、例え母親でも無理で、娘も私の気持ちを理解は出来ていなかったのと同じだと思うんです。

        自らの命を絶つほどに娘は心を病んでいたことに間違いはない、これだけははっきり言えます。
        もし、そうでなかったら、どうして自死などできましょうか・・・
        鬱状態にある人の精神状態は普通ではなく、普段だったら絶対そのように解釈しない他者の言葉も別の意味にとりますし、生きる苦痛から逃れることしか考えなくなりますから、死が全てを解決してくれる唯一の方法だと信じ、いったんそう思ったら、どんなにしても死ぬことを実行します。
        これが鬱の怖い所なんです・・・
        そして、その病状の進行は本人にも他者にも見えないうちに進みます。
        睡眠不足や、無理なダイエット、過労、元々持って生まれた性格、環境、など、沢山の要因が関わりあって病気が発症しますが、がんと同様に手遅れになるとどうにもならず、今の医療では治療方法もわかっておらず、かつ、病気にかかっていても本人が最後まで表には出さないし、社会の理解も得られないことから、言わずに隠し通してしまうときがある・・・

        私自身、娘を亡くし、どん底にいた頃「こんな自分は生きていたって世の中の厄介者なだけで、死んだほうが皆のためになる、自分が死んだって誰も悲しむどころか喜んでくれるのだから、死んだほうがいいのだ」と思い死ぬ寸前までいきました。この思い込みは本当に辛いです。動物として「生きる」本能に逆らい「死ぬ」ことを正当化しなくてはいけないのですから・・・

        私が死なずに生きることを選択できたのは、「自分は鬱で一人ではここから抜け出せない」と気が付き、かつ、皮肉にも娘を自死で亡くしたあとに残される者の心の痛みを知っていたからだと思います。
        死ねない、どんなに苦しくても、この痛みを自分を思ってくれる人たちに引き渡すわけにはいかない、それにはなんとしても生きるしか道はないと考えられたからです。
        たぶん、娘にはその道が見えなかったのだと思います。
        娘には、選択の余地はなく、道は一つしか見えてなかったから、その道を進むしか苦しみから逃れる手段はないと、楽になるために自らの命を絶ったのだと思います。

        娘の遺体が川から見つかったと連絡が入って、一瞬、自分でも寝ていたのか起きていたのか良く分からないのですが、ホテルのベッドで横たわった瞬間夢を見ました。娘が満面の笑みで笑っている顔だけが大きく見えたんです。本当に嬉しそうで、そこではっと目が覚め、その時は「なんて不謹慎な夢をみたんだろう」と罪悪感でしたが、今考えると「お母さん、私はようやく苦しみから解放されたんだよ、楽になったよ」と伝えに来たのだと思います。

        はずかしみさん、彼方からのメッセージが届く時が必ずやってきます。
        でも、罪悪感や自責の念に囚われていると、そのことで頭がいっぱいで、メッセージに気が付く心の余裕がなく見逃してしまいます。
        ですから、もしかしたら、既に沢山のメッセージが送られてきているのかもしれませんよ。
        苦しいと思います、辛さでどうにもならず、心を鎮めることなど無理にしか感じられないと思いますが、何か自分にとって少しでも心が静かになる方法を見つけて、そのことに取り組んでみてください。
        その時間は最初はほんの五分かもしれません、でもだんだんと長くなっていきます。

        自分も通ってきた道なので、はずかしみさんの苦しみが手に取るように感じられます。
        どうか、ご自愛ください。
        苦しくてどうにもならない時は「一人じゃない」と、ここに集う私たちを思いだしてください。

  2. ピンバック: 後日談 | Kiki East2AZ·

  3. Kikiさん、何年経っても疼く痛みはあるのですよね…。受け止め方も、乗り越え方も人それぞれ、時間も人それぞれ…。娘のことより我が身を案じる小心者の私ですが、私なりの精一杯だったと思っています。
    かさねさんと私が勝手に思っている蝶々と、勝手にお話ししています…。
    子供たちは交信してるみたいです。
    いくつになっても、会えなくなっても、誕生日は大切な日ですね。Kikiさんにとって良き日でありますように。

    ごんたさんにしても、ここに集う皆さんにしても、何か少しずつのご縁があってのことだと思います。

    藁にすがるのをやめて、少し沈む練習をしています(笑)淋しいけど、孤立無援ではなかった。皆さんもいるし。

    美響さん、色々な出来事に、感じること、その思いの強さ深さ、やはり変わったと思います。いいとか悪いとかは言えないけど、変わらざるを得なかった。それを受け入れようと今は思っています。

    由紀子さん(前回変換ミスごめんね)お薦めの小さめ多肉植物ありますか?由紀子さんが育ててるもの、私も育ててみたい!

    新月さんnmさん、お身体だけは大事にして下さい。私もその時期は倒れてました。介護用流動食でしのいだくらいです。
    それぞれのペースでその日を生きるしかなかったりします。

    とはいえ、私はまず私を助けないと。
    誰かを助けるとか励ます場合じゃなく(笑)
    Kikiさんと皆さんの存在に、ありがとうございます。

    • こんにちは、とり子さん、「藁にすがる」という表現、『ああ、すごくい言えてる、私もそうだった』と自分の来た道を振り返ってそう思いました。いえ、今でも時々、藻にすがろうとしておぼれそうになっています。上手に沈む練習、本当に大切だなあと私も経験してみてつくづく感じています。
      上手にジタバタせず静かに沈んで、そこに横たわり水面に光る波を底から眺めたら、あら不思議、水底でも息が出来ている自分を発見したりします。
      苦労のかいあってえら呼吸が出来るようになってきました(笑)

      とり子さん、そうなんですよね、まずは自分、自分が酸素マスクをつけて安全を確保できなければ、お隣の人の酸素マスクの取り付けを手伝うことは出来ないんですよね(-_-;)
      これまで育ってきた教え「自分を殺してでも人の為に」というものに反してなかなか実行が難しいですが、自分を大切に出来なければ他者も大切に出来るはずがないということを学び、まずは自分を大切にすることを優先しています。
      「それでいいのよ」と、このことを子供たちにも教えてあげたかったです・・・
      後悔は尽きることが無いですが、そう感じるということは、今の自分はあの時の自分より成長してるのだと思います(^_^.)

    • とり子さん

      お気遣いありがとうございます。
      私はまだまだ駄目です。
      悲しくて悲しくて自分の運命を呪います。
      毎日悲しみの中にいます。
      辛いです。
      苦しいです。
      一人じゃないからと言い聞かせて生きていますが、どうでもよくなる時があります。
      ごめんなさい、後ろ向きなことばかり言ってしまいました。

      • 新月さん、一人じゃないからと言い聞かせて生きてる、それだけでも十分過ぎるほどがんばっていると思います。
        今は後ろ向きでいいと思います。

    • 皆さま
      お気遣いありがとうございます。
      少しずつ、泣くことができるようになりました。
      私は、その時その時、精一杯娘を愛していたか?自信がありません。
      娘のありのままを認めていたのか?自信がありません。
      娘の幸せを思っていろいろ話していたけど、
      それは私の価値観を押し付けるエゴでなかったか?
      娘に申し訳なくて、とんでもないことをしてしまった。
      と 恐ろしく、悔やんでも悔やみきれません。
      少しずつでも、前に進まなくては。
      と頭でわかっていても、心がついていきません。
      私より苦しく疲れているに違いない夫にも、
      「あの子を返してほしいだけ。」
      と泣き叫んでしまいました。
      苦しいです。辛いです。

      • nmさん、自信がなくても、そのときnmさんは、これが一番お嬢さんのためになると考え言ったりしたりしたことばかりで、その時のnmさんはベストのベストを尽くしていたことには間違いがありません。
        それが愛情で、でも、私たちはただの一人の人間で、誰一人として完璧じゃないから、思いが伝わらなかったり、別の形で解釈されたり・・・
        人間だから疲れもするし、いつも理想のお母さんでいられないときも当然ありますよね・・・(._.)
        価値観を押し付けるのも、自分の経験から愛する我が子に自分の苦労をしてほしくないからで、それは若いうちはわからない愛の形で・・・
        私も今朝同じことをふっと考えていました。
        もし、かさねが結婚して子供ができて50歳とか60歳とかまで生き延びていたら、あの時の私の愛の形を理解したかもしれない、と、寂しく考えていました。
        でも、その前に死んでしまって・・・

        今は、優しい風になって私に「お母さん、ごめんね、そして、ありがとう」と言ってくれているのを感じます。

        私も泣き叫ぶこと私も散々しました。
        時々、泣き叫ばずにはいられませんからね・・・
        私の夫は、かさねの実の父ではないので私とはグリーフのレベルが違っていましたが、それでもそんな私を見るのが辛かったようです。
        で、私が考案した泣き叫び方は、何か泣ける曲を大音響で流して洗濯物をたたみながら泣く、車で一人で出かけた時にカーステレオをガンガンかけて駐車場に車を止めて泣くというものでした。
        あっ、映画館にも行きました。
        とにかく悲しい映画を選んで見に行き、一人で暗闇でオイオイ泣いてました。
        日本は、カラオケルームが確かありますよね?
        もし、それがアメリカにもあったら、そこに行ってたかもしれません。

        苦しみ悲しみは、吐きださないとますます辛いですから・・・
        そして、子供を自死で亡くして平静でいられる人はいませんから・・・
        進めてないと感じても進んでますから、nmさん大丈夫ですよ。
        だから、そんなに自分を追い込まないでくださいね。

      • nmさん

        こんにちは。
        泣けるようになったこと、良かったです。泣くと暫くは落ち着きますよね。
        思いっきり泣けるようになればもっと楽になれると思います。
        とんでもないことをしてしまった、申し訳なく、恐ろしく、悔やんでも悔やみきれない … 当初の私の感情そのままです。その感情が繰り返し襲ってきて、どうにも居た堪れず生きていたら申し訳ない、私は死ななければ娘に申し訳たたないと思っていました。
        いま、5ヶ月たって、その恐ろしい感情は治りました。今は、苦しくて苦しくてどうしようもないのだと思います。
        でも、本当に少しずつですが楽になる時間もできます。
        今、どうしようもない感情に襲われそうになった時、娘は今、楽になったんだ、
        何でも想いが叶う素晴らしい世界で仲間と幸せに暮らしているんだ、と言い聞かせています。そう思えるようになったのは私もやっとです。
        こう言いながらも少し先には落ち込んでの繰り返しですが。
        身体は無くなったけど、いつもすぐ傍で見てくれていると思います。
        母娘の絆は永遠です。
        先を歩く皆さんの姿を追いかけながら、なんとか一緒に歩いていきましょうね。

      • 泣くのも辛いし、泣けないのも辛いし誰とも分かち合えないのも、どこからも答えはないのも…。
        進めないんです。そういう時はあります。私もそうでした。

    • とり子さん、皆さん
      ほんとにご縁ですね。星の数あるネットワークの中で繋がって。
      kikiさんありがとう。
      皆んな立場もケースも違うけど、気持ちが分かり合える気がしてここを開いてしまいます。
      リアルな友はいなくなったけど、どこかで今日を過ごしている方達が確かにおられるのだと感じています。

      • ごんたさん、私も色々いなくなってしまいました。でも、Kikiさんやごんたさん、皆さんとの縁もまた、確かにご縁なのだと思います。生きてると移り行くものの一つなのかなと、最近過去を手放そうと思ったりします。

    • とり子さん、
      オススメは虹の玉とかオーロラってネットショップで出ているプチプチの可愛らしいものです。プチプチが土に落ちると
      そこから小さいプチプチが新しく生えてきます。
      うちのは1月頃から倍増してますよ。
      お水もサボテンと同じ感じで大丈夫。
      雨だけでも大丈夫らしいですよ。
      うちもそんな感じです。
      大雨の日は軒下に入れますが
      基本庭先で日当たり良いところに置いてあげたらグングン伸びてます。

      • 由紀子さん、今日花屋へ行って、小さなオーロラと、桃太郎っていうのを買いました!株分け中でまだ売り物じゃなないらしく100円(笑)初めてなら安くて簡単なものからどうぞ、と親切に言って頂きました。あまり多肉を扱っていなかったけど、韓国の新種は1000円くらいしましたよ。
        上手く育つといいなぁ。

      • 途中で送っちゃいました。
        ごめんね。
        わたしは洗濯を干している時に可愛いねー。
        大きくなってねー。って声をかけてます。
        プラスの言葉をかけてあげると張りのあるプチプチが伸びてきます。
        試してみてね。

      • うちにも桃太郎あります。
        桃太郎も葉っぱを挿してあげると増えるみたいですね。
        綺麗に丸くなるか疑問だけども。
        うまく育つといいね〜(^-^)

      • ひょろっと間延びしたのは切っていいのかな???
        他肉ちゃんが夏を越して育つのを見守ります(^-^)/由紀子さんのこと思いながら。

      • どうなんだろう?
        オーロラは間延びしてしまったらプチプチを
        落としてあげたら根が張り増えますよ。
        桃太郎はわからないけど歯を落としてあげると根が張り、小さな葉っぱも出てきます。
        丸くなるか実験中です。

  4. kikiさん
    自然の中を歩くのはいいですね。フェニックスの広大な風景で気持ちが良さそうですね。気球も飛んでいて。
    もう30年も昔のことですが夫の仕事について1週間ほどフェニックスに滞在したことがあります。砂漠だわ!サボテンだわ!と思いました。
    今日は息子の誕生日で、今朝夢に出て来てくれました。目覚めた時に目に涙が滲んでいました。
    産まれたときから会えなくなったその日まで、こう言えばよかった、言わなければよかった、こうすればいや、しなかったらよかった、お母さんなのに気づいてやれなかった、言ってくれないとわからないよと、考えが止まらない時があります。皆さんたぶん同じですよね。
    人間は完璧ではないんですよね。ずっと私なりに息子を愛していたし今も大好きだし、息子もわかっていると思ってます。
    かさねさんの誕生日、kikiさんにかさねさんからメッセージが届きますように。

    • ごんたさんの息子さんの誕生日なのですね!
      うちの娘と同じ六月生まれ!
      夢に出てきてくれるなんて、素敵です。
      私も夢でもいいから会えたらいいなあとかさねの誕生日には何をしようか思案中です。

      えっ、そうなんですね、ごんたさん、フェニックスにいらしたことがあるんですね!
      三十年前というと、フェニックスはまだまだ未開の地であったことと思います。
      夫が今の家をここに建てた時は、野原の一件やで、砂漠の真っただ中、道路も舗装されてなくて、野放し放牧の牛が夜中に庭に迷い込んで大変だったと話していたのを思い出しました。
      はい、今もサボテンありありですよ~(*^_^*)

      私も同じです。
      後悔はいつまでたってもありますね・・・
      ああいえば良かった、ああすれば、もしかしたら今も生きていたかも、あんなことを言わなければ、等々・・・
      それでも『それでもあのときの自分にはああすることが一番娘のためと思ってしたこと、あの時の自分はその先何が待っているかなんてわからなかったのだから・・・』と自分に言い聞かせ、ため息をついて終わりにしています。
      悲しみと寂しさはついて回りますが、五年前と違い罪悪感や自責の念は無くなり楽になりました。

      かさねからのメッセージを見つけては『ああ、分かってくれている』と感じ、嬉しさと寂しさがセットの日々です。

  5. kikiさん、
    きっとそうだと思ってました。
    ビンセント君は優しい子だと思うから。
    優しいシャーロンさんに育てられたビンセント君が優しい兄弟たちに、シャーロンさんに
    うまくいくよ。ってメッセージがあるはず。って思ってます。
    kikiさん、かさねさんのお誕生日が近づいてきましたね。
    無理せず、わがままに暮らしてくださいね。
    その日はうちでもカオマンガイを作りますね。

    • 由紀子さん、おー、タイフードですね!
      かさねの誕生日にはやっぱり私もタイフードがいいかな~?
      自分では作れないので、今から美味しいお店を探さねば(*^_^*)

  6. kikiさん、
    わたしはいい母親じゃなかったけど。
    心の真ん中には常に息子がいました。
    離れて暮らしていても、それは同じです。
    今も変わらないです。
    シャーロンさん、ビンセント君は
    きっと兄弟たちのこと心配するシャーロンさんを微笑んで見ていると思います。
    ビンセント君のお兄さん、お姉さん、なのですから。きっといい風に采配してくれるのではないかと思います。
    そうあって欲しいなぁ。
    kikiさんのブログでしか知らないけど
    シャーロンさん は大先輩。
    同じ痛みを知る方ですものね。

    • 由紀子さん、私も同じ気持ちです。
      いい母親じゃなかった、でもいつだって娘のことを思って、娘の幸せを一番に願っていました。
      離れていても再婚してもそれは一つとして変わらなかった。
      そして今も。
      これは私が死ぬまで続く気持ちだと自信を持って言えます(^_^.)

      シャーロンの話、実は後日談があるんです。
      由紀子さんは千里眼ですね。
      まさしく由紀子さんが書いたようにビンセント君からのメッセージがありました。
      そのことは、また後日談としてそのうちブログに書きますね(*^_^*)

  7. kikiさん
    私達は罪悪感と自責を皮膚のように身につけたまま、どうにか皮膚呼吸しているようなものですよね
    誰も悪くない…でも自分自身を許す事がなによりも一番難しいと娘の死から学んだ気がします
    会いたい!
    ただそれだけです

    • 美響さん、会いたいですね・・・
      会いたい、会って、色々な話をしたいです。
      今でも時々何か面白いことが起きると『あ、電話してかさねに教えてあげたい!』なんてふっと思う時があり、出来ないことに寂しくなる時があります。
      彼方に通じる電話線があったらいいのになあ、ドラえもんのドコデモドアがあったらいいのになあ、なんて考えながら、いつか会えるその日を楽しみにして今日を生きてます。

  8. Kikiさん

    10年たっても…
    お友達が息子さんのことを寝ても覚めても想っていて、それが出来ない時が悲しいという気持ち、ずっとなんですね。
    私も娘のことをずっと考えて想っていたいです。
    何をしていても、頭の何処かに娘がいます。
    見えない娘に話しかけて質問して、答えは返ってこないけれどそれが日課になりました。
    いつまでたってもそれでいいと思います。
    今も直ぐに真っ暗闇に落ちて娘の居ない現実に絶望し涙がとめどなく流れて自分がどうにかなりそうになる時が日に何度もありますが、涙が止まった後、娘は今、苦しみから解放されて楽になってるんだからと思えるようになりました。
    彼方で幸せそうにしている娘が想像出来るようになりました。
    娘が亡くなったことはどうしようもなかった、どうしていても助けられなかったとも思える時もあります。
    私も娘を精一杯愛していました。今も…
    その気持ちを娘はわかってくれていますよね。
    そして、私が彼方に帰った時、必ず会えるのだからと言い聞かせています。
    私の住む関東は梅雨入りしたようです。
    毎日どんよりした空模様ですが、私は昔から曇り空が好きでした。
    私も娘も4年ほどですが新潟に住んでました。
    いつも曇り空の新潟は住み心地良く大好きでした。
    神々しい光のもとに子供達はいますね。
    いつも私達を見守ってくれていますね。

    • 新月さん、そうですとも、私たちは精一杯愛したし、今もそれは変わることがない・・・
      そして、新月さんのお嬢さんはそのことをちゃんとわかっていてくれていると思います(*^_^*)

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