なぜ、苦しむ人を救えないのか

悔しさと悲嘆

この夏オハイオで初めてできた友人からメールが入っていたのは月曜日の朝

いつも、水曜日の夕方、電話で近況を知らせ合う約束にしていて、その週にあったことや考えたことなどなんでも正直に話し合える私にとって貴重で大切な友人

ところが、珍しく彼女から月曜日の朝にメールが入っていた

『あれ?』と思って開いた瞬間、心臓が一瞬止まったかのように体が固まるのを感じた

そこには、「次女が急死した」とあった

文面から明らかに自死とわかる

ショックで声が出なかった

「亡くなる二時間前に電話で話したときはなんでもない普通の声だったのに・・・」と書かれた彼女の一言が四年前のあの日の自分を見ているようだった

湧き上がる深い悲しみと「なぜ!?どうしてまた同じことが起こるの!?どうして止められないの!?」と怒りにも似たやりきれない気持ちでいっぱいになった

彼女は私の娘が4年前に自死で亡くなっていることを知っているし、私も彼女も彼女のお嬢さんがうつ病で苦しんでいることを知っていたので、お互いそのことも話し合っていて、カウンセリングに一緒に行ったり、回復プログラムを勧めたり彼女がお嬢さんのためにできることは全てしていた

それでもどうすることもできなかった

10歳になる息子さんとご主人を残し一人で逝ってしまった・・・

どうして、なぜ・・・

 

いいえ、わかっている、なぜ彼女は死を選んだのかわかっている

痛みに耐えがたくて、その痛みから逃れるために最後の手段をとったのだ

はた目から見たら「どうしてそんな風に考えるの?あなたはみんなから愛されているのよ、どうして自分は駄目な人間だなんて思うの?助けを求められないの?助けはいくらでもあるよ?どうして駄目だって思うの?」というような問題でも、毎日が拷問のような苦しみと闘っている人にとってはどうやっても出口の見つからない真っ暗な地獄にいるようなもので、その地獄の苦しみから逃れるには自らの命を絶つしかないと考える・・・

こんな自分は、いないほうが皆の幸せ・・・

これ以上皆から嫌われるより今のうちに死んだほうがいい・・・

それが本人の間違った思い込みだとしても周囲の者にはどうすることもできない

次第に本人も『言っても誰もわかってはくれない』と心を閉ざしてしまうから周りの者には尚更その人の苦悩が見えなくなる

 

わかっているのに、わかっていたのに、それでも止められない

それが私には悔しくて悲しくてやりきれない

また私と同じ苦しみを抱えて生きなければいけない人が増えることが悲しくてやりきれない

癌はこの何十年かの間に研究が進み不治の病ではなくなってきているのに、心の病は「心の弱い人がかかる病気」と捨て置かれ、亡くなってしまってから初めて「そんなに悩んでいたの!?」と、その病気が死に至る病気であることを知る

ああ、どうして私にはなんの力もないのだろう!?

なぜ、死んでいく人を黙って見守るしかできないのだろう!?

どうしたら少しでも自死を減らすことができるのだろう!?

どうしたら愛する人を自死で亡くす人の数を減らすことができるのだろう!?

私は無力であり、何もわからない

何もできない

それがひどく虚しい

 

私にできることがあるはずなのに、それが何であるかわからないことが悔しい

悔しい

なぜ、苦しむ人を救えないのか」への19件のフィードバック

  1. ヤムヤムさん、kikiさん
    娘が逝って1年2ヶ月近くになろうとしてます…
    地獄のような日々と孤独で何度も後を追うことを考えて紐を手に鴨居を見つめて数時間を過ごしたりしました。
    でも、同じ苦しみを耐えている人がこの瞬間にもあるんだと自分に言い聞かせての一年でした。
    何も変わらない日常なのに娘だけが消えてしまったことに怒りを感じたりしてます。
    最近はクリスマス用のオーナメントをコツコツと手作りしながら、恋しくなると幼かった頃のビデオを観ながら涙したり微笑んだり、ぼっちしてます。
    こうして歳を重ねていけばいいんだと思えたりします。
    ミディアムさんにお会いした時に私が逝く時には娘が迎えに来てくれると言った言葉を信じてみます。
    区切りなんて必要ないと思います
    娘の世界に逝く時が区切りだと考えたいです
    遺族の方たちが少しでも穏やかに過ごせる時間が持てるようになって欲しいと切に願ってます(自分も含めて)

    • 美響さん、後を追いたい気持ち痛いほどわかります。
      私も美響さん同様、鴨居にひもの時間をすごし、「生きることも死ぬことも今の自分にはかなわない」と泣きました。
      それでも、美響さん、生きてここまで来てくださり本当にありがとうございます。

      ボッチがいっぱい集まったら、ボッチでも、もう一人じゃないですね!
      一人じゃないと知るだけで生きる勇気を与えてくれること、この悲しみの道を歩いてきて心底思います。

      「こうして年を重ねていけばいい」
      ああ、いい言葉ですね。
      私もそうします。

      いつか時が満ちたら、愛する子に必ず会える、その時は弟、父、娘が揃って迎えに来てくれるからその日を楽しみに今日を生きます。

  2. ワガママに答えてくださって申し訳ないです。m(_ _)m
    絶望に苛まれて送ってしまったコメで、気持ちが右往左往でしたので。

    しかしまた、別の中学生の、今度は男の子。
    中1だそうです。しかも、また、近い地域。

    ムカついたのは、TVの仕方です。
    その子が飛び降りた飛び込んだ、橋とか川をクローズアップして、自殺しましたあ て、は?
    憤り?
    昨年、残忍な自殺殺人があったのにこの始末
    わたしにはもはや憤りはなくなりかけています
    落胆と失望

    歩いていても、誰かと話していても、この世はすべてまやかしなのか…?この世にいる存在意義はなんだろうか?と、ぼんやりした中で息をしているみたいですね

    憤りも悔しさも もう … …

    区切り。というものは、私には理解できません。
    息子のことでは。親とかにはあるのに、できないのです。区切り。て、?
    するつもりがない。息子の死を、区切りで片付けられない。いいえ、つけるつもりがない。
    だから、いつまでもダメなんでしょう。
    ダメなままでいいや。というだらしなさに漬かりっぱなしでいよう~という開き直り?(笑)
    今も、あの日のあのこの子の後ろ姿と言葉を見つけます。
    ずっとみつづけます。みようと思います。

    来週から新しいことします。それが何になるのかは未知数。

    先月の息子の誕生日。息子がいなくてぼっちですんごくさみしかったあ
    さみしくてさみしくて、さみしすぎて、ぼっちで笑ってました。(笑)

    • ヤムヤムさん、私も「区切り」をつけなきゃいけないぐらいなら、ダメダメなままでいます~
      区切りなんてつくはずもつけられるはずもないじゃないですかね~、大切な我が子は今でも私たちの心の中に生きてるのに。
      その愛する我が子との関わり方が少しずつ変わってきているだけ。

      TVの報道とか、ネット上の無責任な匿名のコメントとか、憤りが爆発することが本当に多いです。
      落胆と失望、まさしくそんな気持ちで私も最近虚しさでいっぱいです。
      はー、なんとかならないですかね、こういうの・・・

      寂しい、寂しくて、ぼっちで笑えるほど寂しい・・・、ああ、わかるなあ、わかりすぎる、と感じ涙しました
      ヤムヤムさん、その時のボッチは確かだけど、一人じゃないですよ、地球の裏側でボッチしている者がここにもいまーす(笑)

    • ヤムヤムさんへ

      ごめんなさい、コメントに気づくのが遅くて返信が遅れましたこと・・・
      もとのコメントはヤムヤムさんのご希望で削除させていただきましたが、ヤムヤムさんの悲しさが痛いほど伝わりました・・・

      ヤムヤムさんが感じているお気持ち「自死に対する世間の冷やかさ」に対するどうしようもない悲しさ、私も感じます・・・
      絶望感、無力感、虚無感・・・

      先日失なわれたオハイオの私の友人のお嬢さんの自死も同様でした
      悲しすぎると感じました
      自死を見て見ぬ振りする社会に絶望感を覚えました

      いじめは、犯罪です
      例え、自死せず生き残っても傷は一生残り、その人の人生を暗いものにしてしまう・・・

      そんな中、ある弁護士さんのツィートが反響を呼んでいるそうです。

      「いじめ、依頼されたらここまでやるぞ!
      いじめる奴は覚悟しとけ!
      (1)加害者の刑事告訴
      (2)加害者本人、場合によっては親権者への損害賠償請求訴訟提起
      (3)公立学校の場合は国家賠償請求、私立学校の場合は学校への損害賠償請求

      これ拡散すればいじめ減るかなあ。減ってほしいわ。

      — 大阪名物パチパチ弁護士 (@obpmb3fN93mQI9i) September 16, 2018」

      いじめによる自殺が根絶されることを祈るばかりです

  3. ご友人もKikiさんも、出来る限りのことはしたと思います。今は何の慰めにもならないけれど。
    去っていった子供も、遺された者も、悲しいですね。命あることは素晴らしい、けれどたくさんの痛みもあって。
    Kikiさんのご友人が、その痛みに耐えていけますように…。亡くなった彼女が、今は心の荷物を下ろして楽になっていますように。

    • とり子さん、ありがとうございます。
      本当に悲しいですね・・・
      生きるという事は、喜びも苦しみもあって、でも、鬱病にかかった人は手の内にある「喜び」は見えなくなってしまい苦しみだけがクローズアップされますからね・・・
      その苦しみから逃れるために、ある人はお酒に走り、またある人は引きこもり、またある人は仕事に走る・・・
      そんなふうにして逃げ切れたらいいんですが、それさえその人に生きる喜びをもたらさないし、それが度を越すようになると周囲の人まで苦しみの輪に巻き込んでしまう。

      後に残された者は、今度は亡くなった人の苦しみまで引き受けるのかもしれませんね・・・
      それでも、光はあるから・・・
      人の優しさ思いやりを通してその光が見える気がします。
      光を見失わず、苦しみだけではなく生きる喜びを見て、人生を苦もあり楽もある一つの形としてとらえて真の光を見失わないように生きていけたらいいなあと思います。

      • どんな最期だとしてもきっとその人なりに一生懸命だった命。悲しいです。
        亡くなった人を、光として感じられるようになりたい。生きることは辛いことの方が多いけれど…。
        がんばりましょう。あえて、この言葉を、私自身にも、Kikiさんや皆さんにも。今日は涙の日だけれども。

      • とり子さん、ありがとうございます。
        そうですね、(頑張り過ぎない程度に)頑張りましょうね(^^)

  4. kikiさん、
    悲しいですね。
    死しか見えなくなってしまう鬱の怖さ
    実感します。
    わたしもkikiさんに救われた1人です。

    • 由紀子さん、本当に私もそう思います。
      鬱は、心の風邪と良く言われますが、風邪だってほっといて無理して働いたら死に至るときだってあるし、いつまでも治らない・・・
      でも、鬱は症状が外から見えないから悪化していてもわからないところが本当に怖いと思います。
      もっと、もっと、子供の頃から「悲しいときには悲しいと言っていいんだよ」と家でも社会でも教えてあげないといけないのかもしれないと思いました。
      今は反対のメッセージで溢れていますからね・・・
      「泣くな」「頑張れ」「ほら、お菓子をあげるから泣かないで」「そんなこと大したことじゃないんだから泣かなくていいよ」と、小さい時から「悲しみを表現することは良くない事、押し殺しなさい」と暗に教えられて大きくなりますから・・・
      私もその一人で、親からもそう言われ、子供たちの悲しみをちやんと受け止めていなかったと思います。

      あ、自分を責めているわけじゃないんです(^_^;)
      ただ、鬱は個人の問題じゃなくて、社会全体が取り組むべき怖い病気なんだと再認識しているところです。
      辛いときは辛い、悲しいときは悲しいと、言える、このブログとそんな私の気持ちを受け入れてくださる由紀子さんを初めとする皆さんのおかげで私は今も生きています。
      お互いが支えあえる、こんな場所が外の世界にもあったらいいなあ・・・
      特に「生き方経験」の少ない子供たちのためにそんな場所があったらいいなあ、と、思いました。

      • 本当に、子供達のためのそんな場所があったらいいですね。
        生きかた経験の少ない子供達にこそ
        必要な場所ですよね。

  5. kikiさん…友人の件は残念ですね
    今kikiさんが感じている哀しみや喪失感は深すぎてかける言葉も見つかりません
    でも私は生きてます
    kikiさんに励まされ一年生き延びら事が出来ました
    忘れないでください
    kikiさんが救ってる命があるのは私が今生きてる事実が証明してます

    • 美響さん、皆さん、温かいお言葉をかけていただき本当にありがとうございます。
      別の意味で涙が出ました。

      私は何もしていないのに、そう言っていただけ有難いばかりです。
      私も皆さんから救わています。
      そうして、私も生きています。

      救えない命もある、でも、寄り添い支えあって生きる命がある・・・

  6. kikiさん  かける言葉がみつかりません。
    ただ、kikiさんもお友達もご家族も
    少しでも眠ることができますように、わずかでも何か口にすることが
    できますように願っています。

    • リンさん、私も実は友人にかける言葉がみつかりません。
      傍にいたなら、黙って寄り添うことができるのに・・・

      ありがとうこざいます、私はもう大丈夫です。

  7. kikiさん
    なんということだ。
    kikiさんは彼女のこころを助けるためにオハイオで出会ったのかも
    彼女を救うための出会ったのかも
    どうしてこんな悲しいことが起きるんだ。
    私も無力だ。
    大切な娘さえ救えなかった。
    苦しみを抱えて亡くなる人は後を絶たない
    そもそも助けることができるのだろうか?
    がんは病気だ。
    治療で治せるがんもある。
    「末期がんで助からない人はもっと生きたかったはずなのに
    自分でいのちを絶つ人はいのちを粗末にしている」
    と言う人がたくさんいる。
    この人たちは心の病を知らない。
    そう。心の病は「心の弱い人がかかる病気」と
    鬱病は自分には関係ないと思っている。
    わたしたちの心を踏にじる人たちも同様だ。
    どんなに心の病を理論的に伝えようとしても理解できないだろう。

    昨日「NHKあさいち」で鬱病のことをやっていました。
    くすりの飲み方とか鬱病を受け入れて鬱を治そうとしない鬱と共に生きる生き方もある」と言ってたNPO法人の人が出ていました。
    https://hamsonic.net/depression/

    死んでいく人を助ける力はないけど
    家族を亡くした人のこころに寄り添うことはできる
    今はそれしかできないけど
    kikiさんは多くのひとを救っている
    わたしも救われたひとり
    悲しみにもがき苦しみながらも生きる
    娘のこころと共に

    • ももさん、ありがとうございます。
      ももさんの最初の文面の言葉はまさしく私の心の声そのままです。
      これまでも、テレビで活躍していた有名人が自殺というニュースを見るたびにやるせない気持ちに襲われたのですが、今回は身近な人の自死で、何とも言葉にならない様々な気持ちに襲われ、虚しく、悲しく、悔しくて泣きました。

      死んでいく人を助ける力がない、と、本当にそう実感した悲しい現実でした・・・
      そうですね、心に同じ傷を持つものだけがわかる痛み・・・、残された者同士寄り添い支えあっていく、そうして生きていくしかないのですよね・・・

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