ウサギとPTSD

自死遺族が抱えるPTSD

ある日、友人と理由もなく「ザワザワ」と感じる不安感について話していました。

そうなんだね、夕方とか夜とか不安になってくるんだね・・・
辛いね・・・
それって、『夜が来る』っていう「予期」とか「予感」から来るのかもしれないね・・・

今年はずいぶん良かったけれど、去年までは、7月、そして、真っ暗な雷雨の日、かさねの命日前が、私もそんな感じだった。
そして、その日が近づいてくるとだんだん「危うい感じ」が「ザワザワ」「どうしよう!」「なんとかしなくちゃいけないのにどうにもできない」みいな「恐怖に近い不安」になっていたわ~

これらがPTSDなんだよね・・・
トラウマになった環境とか事象が過去のその時の感情を呼び起こす。

ウサギとかは「危険」を経験するとそのときの様子をすぐさま記憶し、次回同じような状況に遭遇すると「危険を回避」すべく対応するからね。
たいていその対応は「フリーズ(固まってうごかない)」もしくは「猛スピードで走って逃げる」
「フリーズ」の間、脳は咄嗟に行動できるようストレス物質のコチゾールを大量に出して、走って逃げる瞬間に備える。
つまり、血流を促し、それに対応するため心拍数をあげ、それに伴い酸素が必要になるから呼吸数も高くなる
はい、これがザワザワ・バクバク状態です。

ちなみに、「フリーズ(固まる)」するのは、捕食動物は動くものに敏感に反応するからです。
つまり、敵から逃げられそうにない距離にいるとき「固まり」、敵に見つからないようにして、すきを見てダッシュするためです。

だから、ウサギを見ていると面白いよ~
なんの危険もない「枯れ枝が落ちた」という時でもその音に反応し「固まる」し、明らかに私は敵じゃないのに、私と言う人間を見ると一瞬固まり、私が目をそらすと「そのすき」に走っていく(^o^)

何にも危険なことないのにね~
ビクビクしているウサちゃんたちです。

でも、ウサちゃんには真に何が「危険」で何が「危険でないか」なんてわからないし、とりあえずいつも危険だと考え反応していたら生き延びる可能性が高くなるからね。

笑えるのはさ~、同じウサちゃんどうしでも他のウサちゃんに「反応」して固まったりダッシュして飛びのいたりすることです(^o^)
わからないんだろうね、「不安になる必要がない」ということが。
もっともそんなことを考えてて敵に襲われるより「不安になる必要がないもの」でもとりあえず「逃走」しておいた方が安全だからね。

人間は、ウサギのような下等動物ではないけれど、つまるところ、ウサギと同じ反応をしているわけです。
「何の危険もない事象だけれど、記憶の中にある「恐怖やショック」を経験したことを避ける反射反応です。
で、「感情」がその第一反応なのです。

つまり、ザワザワ。

私の場合は、「かさねの命日前」は、原因がわかりやすかったから自分に「終わったことなんだよ、これから起きるわけじゃないからね」と何度も何度も言い聞かせて、その日の記憶から生ずる負の感情を別のもう少し軽い感情に返還すべく、その日に青空のもとで空にいるかさねに向けて風船を飛ばしたり、思い出を語ったり、手を合わせて瞑想したりして徐々に「何にも起きないから、大丈夫」と大きく深呼吸して回避するようにしました

考えてみると、ウサちゃんによっては、徐々に慣れて私のそばまで来て私が置いた人参とか食べに来るようになるものもいて、そういう「ああ、この人、この場所は危険じゃない」と学ぶと怯えなくなるわ~
ここまでになるウサチャンは、勇気あると思うよ。
怖いのを我慢して「これは、以前の記憶に似ているけれど、危険じゃないと学ぶ」わけだからね~
つまり、言い方を変えるとPTSDを克服したウサチャンです!(^o^)!
このウサチャンは、楽しておいしいものを食べられるから、生き方上手。

7月と、暗い雨の日のザワザワを克服するには4年かかったわ、私の場合。
これが「かさねに起因している」とは考えもしなかったからPTSDだとは思わず、ザワザワになると手の打ちようがなくてパニックになるか鬱になってました。

でもね、ある日、前述のウサチャンのように勇気をもって自分は何を感じているのか、心の底にあるのはなんなのか怖くて仕方ないけれど、何か別のことで気を紛らわそうとすることなく立ち止まって考えたのです。
「7月には何があったんだろう?」「こんな真っ暗な雷雨を経験したのはいつだったろう?」「その時に何が起きていたんだろう?」ってね
で、わかったのは、7月はかさねが体調を崩して入院し、私はすぐにも飛んで行きたかったのに、旦那や旦那の親の手前行けず、9月にかさねを失ったからひどい罪悪感と後悔、そして罪悪感から生ずる「自分は罰せられるべき」という恐怖を無意識に感じていたのでした。
大切なものを失ったという記憶・・・
失うということは=命にかかわることだから、「危険」と同様に反応するんだと思います。

雷雨は、前に書いた通り、かさねのお通夜の夜を彷彿とさせるので、その日の恐怖に似た悲しみを感じていたのでした・・・

このことに気が付いて、自分を労わり「一人ぼっちで、辛かったね、怖かったね」と、その時の自分に声をかけ「もう大丈夫、私がいるから大丈夫、終わったんだよ、泣いてもいいんだよ」と言って、実際泣きました。
感情を押し殺して逃げるために「猛ダッシュ」しようと脳が備えていたから、ザワザワしていたのでした・・・

それ以来、雨の日のザワザワは消えました。
その代わりに、「ああ、かさねの通夜の日もこんな雨だったな・・・」と悲しみに浸り感情を手放します。
訳のわからないザワザワと言う不安より泣くほうがずっと楽でした。

私のようなACA(アダルト・チルドレン・オブ・アルコホリック)は、子供時代のいろいろなトラウマをかかえているから、そのトラウマから発生する感情処理のために過剰反応する(PTSD)事が良くあるらしいです。

そのうえ、私は、子供を自死で亡くしているから、それにともなうトラウマも抱えています。
だから、「危険感情」を呼び起こす事象が、普通の日常の中に多く溢れていて、そうではない人には理解できないような「不安」がそこら辺中に溢れているという事でもあるんだよね。

実存しないものに反応しザワザワするというのは、私らも「動物」だということですね・・・

昨日はパスポートの更新手続きのため家から高速で一時間のところにあるアワツキと言うところに行ってきました。お昼になったので、近くのタイ料理レストランに入ったところ、意外にもアメリカに来て食べたタイ料理の中では一番おいしいのではないかと感じる五つ星レストランでした!久しぶりの外食で、かつ、おいしいものに出会い、もうそれだけで「プチ幸せ」を感じられるKikiでした~

ウサギとPTSD」への2件のフィードバック

  1. 最新の投稿へ、何と言っていいか言葉も見つかりません。いつも怯えて暮らすウサギ、それは私です。不安は消せなくて、孤独が怖くて、こんな自分じゃダメだとジャッジしてしまう。また?また同じとこを歩いていたの?遭難して歩き回ってどこにも出られない、そんな感じ。

    Kikiさん、それでも…。死は忌むべきものではない…それぞれの宿命…と、どこかで心に区切りをつけていこうかとも思います。私自身の死も含めて。

    どうか、一番お気に入りのお茶で、Kikiさんを暖めて、その友人さんともいつか一緒に。

    • とり子さん、ありがとうございます。
      私も長いこと「怯えて暮らすウサギ」の一人でした・・・

      宿命・・・、宿命はどんなにしても変えられないものなのかもしれませんね・・・
      残された者も宿命を負って生きる・・・

      そう言われてみると、久しぶりに紅茶、セイロンティーをたまたま先日買いました。
      それを飲んで少しぼんやりしたいと思います。

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