欲しかった「SUPPORT」は・・・(続き)

子供を亡くした人にかける言葉は

今住んでいるオハイオのこの家は、人生最悪の知らせを受け取った場所。そして、人生で最悪の年を過ごした場所です。あの日、あの時、私が欲しかったサポートはオハイオのこの地では受けられず、子供を自死で亡くして苦しみ抜いたあげくに見つけたサポートはアリゾナにありました。

しかし、皮肉にも「ああこれよ、これがあの時私の欲しかったサポート!」と感じたウェブサイトのページはオハイオの家がある地元のFuneral Home & Crematory (葬祭場)のものでした(^_^;)

Helping a Suicide Survivor Heal by Alan D. Wolfelt, Ph.D. (「自死遺族を支える」アラン・デー・ウォルフレット博士)と、サブタイトルが書かれたそのページには『子供を自死で亡くした直後にこんな言葉や態度で接してもらっていたらどんなにか救われたことか・・・』と思わずにはいられない内容が掲載されていました。

私のこのサイトを訪れてくださった方で、もしも、ご友人の不幸に「なんと言って声をかけたらいいのか」と悩んでいらっしゃる方がいたら参考になるかしらと考えてリンクとその和訳を載せることにしました。

以下が、Engle-Shook Funeral Home & Crematoryから引用、私が翻訳したものです。

Center for Loss and Life Transition – Alan Wolfelt, Ph.D., Directorから引用

「自死遺族を支える」by Alan D. Wolfelt, Ph.D.

かつて、歴史家Arnold Toynbeeは「人の死にはいつも二つの側面が存在する。ひとつは、亡くなったその人自身、そしてもうひとつは後に残された人々である。不幸なことに、多くの自死遺族はたった一人沈黙の中で苦悩することになる。自死遺族を取り囲む沈黙は、しばしば悲嘆の過程と回復を複雑にする」と、記述しました。

自死は社会的汚名であると考える風潮があるため、自死遺族は喪失に伴う苦痛を抱えながらもそれを表現するこができずにいます。しかし、癒しを得るための唯一の方法は悲しみを表現することです。愛する人を亡くし悲嘆にくれる他者同様に自死遺族も悲しみを癒すため、語り、泣き、時には叫ぶことが必要です。

自死に対する恐れと誤解のため、無条件の心の支えと理解が最も必要となる時期に、自死遺族は見捨てられたという感情とともに取り残されてしまうことが往々にしてあります。まぎれもなく自死遺族は様々な形で苦しみます・・・ひとつには、愛する者の死と言う喪失から生じる悲嘆のため、二つ目には、突然の死を経験し、それも予期しない心的外傷を引き起こす死であるため、三つ目には悲嘆という苦しみに関わることを好まない社会から遠ざけられてしまうためです。

どのようにしたら自死遺族の心の支えになれるでしょうか?

もしも、あなたが、愛する人を自死で亡くした友や家族の支えになりたいと感じているのであれば、以下に記する手引きを参考にしてみてください。あなたのその思いやりを良い結果に導くことができることと思います。

激しい悲嘆を受け止める

自死に伴う悲嘆は複雑です。自死遺族が「悲しみを乗り越える」ということはありません。そうではなく、他者の心からの支えと理解により、自死遺族は愛する者を自死で失ったという現実との和解を可能とするのです。自死遺族の激しい嘆きに驚かないでください。時に自死遺族自身、思いもよらず激しい悲嘆に襲われるときがあります。爆発的な感情、自責、不安、人には言えないことをしたという強い苦痛と恐れにも似た羞恥といった、他の死が原因で生ずる感情をはるかに超える様々な感情に苦しむ自死遺族を受け入れてください。忍耐と思いやり、そして理解をもって接してください。

心から耳を傾ける

自死遺族を支えるということは、その人を苦しみに追いやっている沈黙をやぶることです。それは、心から自死遺族の声に耳を傾けることから始まります。その際、個人的意見や判断を与えることなくただその人の傍らにたちその人の声を聴く気持ちがあるかどうかということが自死遺族の助けになれる重要な鍵となります。自死遺族を助け支える際に最も大切なことは、心の底から聴くという姿勢です。

自死遺族の心の中にある感情や思考をそのまま認め受容することは難しいかもしれません。何と言ったら良いかという事は心配せず、ただその人があなたに語る言葉に集中してください。

あなたの友人は、亡くした人の死について同じ話を何度も何度もするかもしれません。そのたびに心から聴いてください。何度も何度も同じ話を語ることがあなたの友人にとっての回復のひとつの過程なのです。ただ耳を傾けわかってあげましょう。そして、友人の疑問に対しあなたは答えなくてもよいということも心に留めておいてください。ただ聴くだけで良いのです。

おざなりな説明や月並みな決まり文句の使用は避ける

自死遺族にとって、決まり文句、常とう句[決まり文句・月並みな言葉・使い古された表現]を言われることは、ひどく辛いことである場合があります。常とう句は、ありふれた表現であり、自死遺族が向き合ってい想像を絶する困難な現実を無視し、簡単な言葉でもって問題解決を図り自死遺族の喪失を過小評価しているかのような印象を与えてしまいます。例えば、「良く頑張ってるね」「時間が解決してくれるよ」「世間にはもっと大変な思いをして暮らしている人もいるのだから君はまだ恵まれていると思って」「あなたのことを思っている人のためにもしっかりしないとね」などという言葉は自死遺族を傷つけるだけで少しも助けにならずその人の悲嘆からの回復過程をより困難なものにします。

自死を批判していると受け取られるような言葉やおざなりな自死の解説は絶対しないようにしてください。自死で亡くなった人を「気が違っていたんだよ」などとは決して言わないでください。自死遺族が心から大切に思っている人を「頭がおかしい」「精神障害」と称することは、状況をより複雑にするだけです。自死遺族が助けを必要とするのは、何が起きたのか自らが答えを探すことができるようになることです。つまるところ、自死遺族自身による愛する者の死の意味と理解のための探求が最も重要なのです。

思いやりをもって接する

非難されるのではないかという恐れを感じることなく、その方が感情表現ができるようにしてあげてください。それにはどうしたら良いかその人から学んでください。指導したり、助言しどうするべきか説明をしたりしないでください。「わかる、わかる、大変だよね」などと決して言わないでください。あなたにはわからないのですから。あなたの役目は愛する者を亡くした人と「共に」歩く人であり、「後から」でも「先に立って」歩く人でもないのだと考えてください。

多くの自死遺族が経験する広範囲にわたる感情についてあなた自身が把握してください。あなたの友人がその時に感じている辛さ、心の痛みや悲しみ全てを吐き出させてあげてください。涙することは自然なことであり喪失に伴なう痛みの適切な表現であると受け入れてください。

悲嘆の必要性を尊重する

しばしば自死した人の両親、兄弟姉妹、祖父母、叔父伯母、伴侶、そして子といった自死遺族の悲嘆は無視されます。なぜでしょうか。その死の性質から、内密にされがちだからです。もし言葉にしてその死が語られることがなければ、喪失に伴う心の傷は癒えることはありません。

友人として自死遺族に寄り添おうとしている人はあなた一人だけかもしれません。あなたが実際にその人の傍で傾聴することにより回復への道が開かれます。自死遺族に話させてあげてください。しかし、強要してはいけません。時に、待ってほしいと言うサインを出されるかもしれません。もし、そうすることが必要であるというサインを受け取ったなら、考えや感じていることを話したいと思ったらいつでも聞きますよと知らせてあげてください。

自死がもたらす悲嘆の特異性を理解する

自死がもたらす悲嘆は特異であることを心に留めておいてください。愛する者を失った者誰一人として同じに反応しません。自死遺族に共通して語られることはあるかもしれませんが、一人として同じではなく、個々人のそれまでの生き方によって異なります。

グリーフ(悲嘆の過程)は人それぞれ異なるので忍耐を要します。悲嘆からの回復には時間がかかりますから、あなたの友人のペースで進められるようにしてください。不適当なふるまいを責めないであげてください。自死は心を破壊してしまうような恐ろしい経験であることを忘れないでください。そのような死を体験したことで、あなたの友人の人生はいったん崩れ去り一から作り直している途中なのです。

祝日や記念日に注意する

自死遺族にとって祝日や記念日という特別な日は辛い日であるかもしれません。このような特別な日は大切な人がいないということを思い知らされる日です。そのような辛さはグリーフの過程において自然であると理解してください。あたなにとってグリーフを学ぶ機会としてください。また、決してその人の悲しみを取り上げたりしようとしないでください。これは特に重要なことです。

自死遺族と話をするときは、亡くなった人の名前を使ってください。故人の名前を耳にすることで癒され、また、その人の人生にとって大切な人をあなたが忘れずに思っていることを知ってもらえる機会となります。

サポートグループの存在を知る

自死遺族を支える上でサポートグループの存在は重要な役割を果たします。グループに参加することで自死遺族は同じような経験をした人たちとの繋がりを得ることができます。ここでは、自死遺族が好きな時に好きなだけ話せるよう支援します。そのようなサポートグループを探し教えてあげることがあなたにはできるかもしれません。このような実質的な支援は有難いものです。

信仰や精神性を尊重しましょう

もしあなたが気にしないとわかれば、自死遺族は自らの信仰や精神性について感ずることをあなたに話して聞かせてくれるでしょう。もし信仰がその人にとって大切なものであるとしたら、適切だと感じられる方法で表現させてあげましょう。もしその人が神に怒っているのであれば、そのことを話して聞かせてくれるよう促しましょう。

神に対する怒りを表現することは、その人が神に対する信仰心を持っていることだということを忘れないでください。自分の意見を述べたり批判を加えず、思いやり深くその人を受け止めましょう。

自死遺族は、いかに信仰心がその人のグリーフを複雑なものにしているか探究する必要があるかもしれません。その人は、自らの命を絶つものは地獄に行くなどと教えられて大きくなったかもしれません。あなたの仕事は神や仏の道を説明する事ではありません。傾聴しその人が考えていることを知ることです。どのような状況であっても、あなたが自分の意見を押し付けたり批判したりせず、その人のためにそこにいて話を聴くという姿勢をみせることが最も大切な支援手段となります。

支援者達が共に取り組む

大切な人を自死で亡くした友や家族がこれ以上たった一人で沈黙の中で苦しむことがあってはありません。支援者は、健全なグリーフを必要とする自死遺族を受け入れ支援を提供する他の支援者たちと共に活動していくことが必要です。

グリーフは愛がもたらすものです。自死遺族はグリーフの必要性を保障されるべきです。このガイドラインが皆さんのお役に立てば幸いです。また、自死で苦しむ人の回復をお手伝いすることは容易ではない事も知っておくことが大切です。考えていた以上に思いやりと時間、そして愛情を必要とするかもしれません。しかし、この努力は決して無駄にはなりません。

六月も終わりと言う蒸し暑い日、車で30分ほどのところにあるガーロ文化遺産自然保護区にハイキング行ってきました。この自然保護区は市がガーロ一族から譲り受け管理しています。湖周辺を散策できるようになっていますが、立ち止まると蚊に刺されるので大変。また、畑から流れ込む肥料汚染が進み水温が上昇するこの時期、湖は緑藻の繁殖が進みまさしくミドロ色でした(^_^;)

欲しかった「SUPPORT」は・・・(続き)」への31件のフィードバック

  1. 申し訳ありません m(__)m
    感情が右往左往して、その、自分が許せる、というのは、聞こえがよくて、だだ、
    そうですね…
    八つ当たりにも近いのかもしれないですね
    そうは思っていないのに…m(__)m

    いままでありがとうございました

    失業中なので、ぐだってたのですが、本腰入れて失業中を払拭しようと思います!(^-^ゞ

    ももさんに排除されて落ち込みましたがその落ち込みこそが気のせいかなーんて
    キラクキラク

    子供を自死でなくした人が他人を排除なんてしませんものね
    もし、そうのような心もちがあるのなら、
    だからそんなんだから娘が自殺するんだよ

    なんて言われかねないですものね

    実際、私は、じかでは無いですが言われ過ぎて、なんで今、生きてるのかわからないですね(笑)
    言ったことがないのに
    なんでえ?
    排除て、何?て、感じですかね

    いままでありがとうございました
    さようなら

    • かさねを亡くした一年目のことです「敵は自分の中に住んでいるんです」と自死遺族会で話したことがあります。
      そして、今でも時々その「批判的な声」が自分の頭の中に響き苦しくなります。
      「そんなだから、娘が自殺するんだよ」と、よそよそしい人たちに出会うたびに何度その声を頭の中で聞いたかわかりません。

      そして、いつの日かそれが周囲の人の中に聞こえるように感じはじめ、いつまでたっても娘の死から立ち直れず仕事にも行けない自分のことをみんな中傷している、と、怖くて人に会えなくなりカウンセリングに行きました。
      で、そのカウンセラーはいとも簡単に「他者があなたを中傷していると感じるのはあなたの思い込みだから、そういう風に考え始めたらその考えを止めなさい」と言いました。
      切れました、私。
      廊下にも聞こえるほどの大声で泣き叫びながら「そんな事、今さら言われなくたってわかってるわよ!!わかっていても止められなくて苦しいから来てるんじゃないの!!あんたに何がわかる!子供を自死で亡くした親の気持ちの何がわかる!!!」と怒鳴り机に突っ伏して大泣きしました。
      カウンセラーは慌てて『そうですね、辛いですよね』と言って私をなんとか宥めようとしましたがもう駄目でした。
      まったく罪のないそのカウンセラーに怒鳴った自分も許せなければ、そのカウンセラーも許せず、他人はみんな敵に思えました。
      夫がその時私に同行していたのですが、夫でさえ「君はカウンセラーの言葉を聴く耳さえもたない、それでどうやって回復できるんだ?」と呆れたように私の敵にまわりました。

      このころは最悪でした。
      一人ぼっちで悲しくて寂しくて辛くて、生きているのが嫌になって、死にたいと思いました
      でも、死ねなくて、それも情けなくて、自分が情けなくて嫌で嫌でまた死にたくなりました

      で、ある日、苦しみ抜いたあげくに「敵は自分」と、まず何よりも自分をわかってあげ自分に優しくしようと思いました。
      子供を自死で亡くしたんだもの、辛くて悲しくておかしなことを言っても、人から避けられても不思議ではない、せめて自分だけでも自分を理解してあげなくちゃ自分がかわいそすぎる、と思いました。

      ヤムヤムさんの正直な気持ちちゃんと受け取りました
      今は許せなくてもいい、いつかその日が来ます

    • メール配信をやめようとしてきたのですが…

      最近、日本で、アンミカさんというモデルとか多才にしている人がTVに出ていて、貧乏な育ち具合をおおっぴらにしてます
      聞いていると、昭和あるある。な、かんじで、辛い話も笑ってしまいます。
      私は東北の港町に育ったので、経済的に苦しい家は当たり前にありました。
      私の家は普通だと思っていましたが、家が、とにかくボロ家で、売った家主が建て替えると思って売ったのに若くて金の無い両親はそのまま住みました。そこで、商売をしたのです。幼稚園の頃、向かい側の家が建て替えて新しくなった頃に、その家の子と父親に、
      お前の家はボロ家で汚いな!と、大笑いされました。
      気にしたことがありません。
      人の、貧しさを感じたりすること事態がいけないことだ。と、幼稚園とかその他で言われていたので。
      他人を貧しい。と、思うことは罪悪なのだとなんとなく、神父様などのお話で感じていたし聖書を読んでいたので。
      そして自分を貧しいとも思わない。
      笑っていた顔は醜いとしか思えない面構えでしたしね(笑)
      内職をされているお母さんは当たり前にいる地域でした。母は裁縫が得意なので、姉の服は全て手作りだったそうです。借りた雑誌を見たり映画のパンフレットを見たりして作っていたので、姉はたいそう田舎にはあり得ないあか抜けた服を着ていたそうです。服地は貰い物や使い古しの布を使っていたそうですよ。
      大人はわからない。
      これは、永遠の謎ですね。
      天は人の上に人をつくらず人の下に人を作らず
      という事をのべていた日本の有名人は
      娘が連れてきた恋人を家柄が釣り合わない!と、言って反対したそうです。
      私の家でも似たようなことがありました。
      姉が一番好きな人とは、結婚できなかった。
      うちは、ごたいそうな家でも何でもないのに。
      日本の家。には、下らないものしか感じません。
      誤解されているようなので言います。
      私は、息子のじしを恥じていません。
      どうして恥じなければならないのかわからない。そこが、皆様と分かち合えない。
      息子がじしした。恥じたことが無い。
      どうして、恥じるのですか?
      自分の生い立ち、生き方さえも。
      私は、全力で息子を愛している。
      愛しても愛しても、間違えるんですよ!
      その結果が、じしではないのです。
      息子のじしは結果じゃあない!
      息子の同級生のおかあさんたちも、私が息子をどんなに愛していたか大事にしていたか、知っているから、私の声かけに付き合ってくれるんです。
      もちろん、息子の同級生の子達が成長してどうのこうのという話にさみしさ悲しさ他は感じることはあります。でも、息子が一緒に楽しんで遊んだ子達の成長に喜びがある心は真実で紛れもないのです。

      私は、どうしても、息子のじしを完全に否定できない。世間的には憐れな母かもしれません。
      その実は、憐れじゃねーよ
      と、思っちゃう。
      そこが憐れなんだよ~と、
      言う輩と 付き合うきは無いのです。
      何で、付き合わなきゃいけないのかしら?

      あきおのお母さんは強くもなければ
      ただ、だらしない

      そう?アハハ(^。^;)
      でも、あきおのお母さんがあきおくんを
      愛しているのは知ってるでしょ?
      知らねえの?エーー!?マジで?
      て、感じですかね。

      kikiさん、
      いままでほんとうに、ありがとうございました。
      よく、声かけしてくださった、由起子さんやとりこさん、息子と程近い頃に苦しくなった美響さん、他のみな、みなさま。
      この場所から卒業します(^-^ゞ

      言葉の分析や心の分析に苦手な私に数々のワードを与えてくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
      引き潮しかなかった私の心に
      寄せる波かぶせる波 凪 を与えてくださって!
      ありがとう!ございました!

      サテと!

      • ヤムヤムさんは、いつも正直でまっすぐでユーモアもありとても素敵な「あきおくんのお母さん」だと思います。

        私も娘の自死を恥じたことは一つもないです(^_^.)
        だから、最初から「自死で」とか「自ら命を絶ちました」とブログにも、他の人と話すときも使っています。

        でも、同じ自死遺族であってもその人が住んでいる地域や環境によって「語ることができない」状況におられる方がいるのも事実です。
        子供を亡くしただけでもどんなにか辛いだろうに真実を語ることができずに隠れるようにして暮らさなければいけないご両親はどんなにかお辛いかと心が痛みます。
        子供を自死で亡くしたからと言って、皆が同じではないし、考え方も感じ方も異なるのだ、と、この三年間で学ばさせていただきました。
        怒りを抱え、その怒りを社会に対する怒りに変えて生き残っていく人、信仰心でもって生き残っていく人、生きることに希望を失い病気になり亡くなる人、仕事に邁進することで生き残っていく人、社会奉仕に癒しを見つける人・・・、私はどうかといえば・・・問題だらけで、人と繋がること、沢山の人の優しさで生き残ってこれました。

        みんな、みんなわが子を愛していて、だからこそ苦しんでいて、なんとか生きていくために血の涙を流して苦しんでいる・・・、そうやって私のブログにたどり着いてくださった・・・
        書きはじめた頃は、孤独感で「このままだと自分は死ぬ」と感じ、なんとかして生きていくために心の声を吐き出すために、自分のためだけに書きはじめたのに、こうして沢山の人に訪れていただいて本当に有難い・・・

        ヤムヤムさん、こちらこそありがとうございます。
        あなたと繋がることができ、「あきおくんのママ」を知ることができ、あなたの心の葛藤を感じ『私は一人ぼっちじゃない』と感じ勇気を頂きました。
        いいろなお話を伺うことができ感謝しています。
        あきおくんにママを紹介していただき感謝しています(^_^.)

        「ありがとう」は、さよならじゃないですよね?
        また、いつでも「言いたいこと」書き込んでください。
        そこが匿名の良いところですから(*^_^*)

      • すいません
        最後にだけ

        子供のじしを恥じない
        というのは、

        そこにいる環境とか地域性とかとは、
        気にしなければなりませんか?

        隠す隠さない、というのは個々の状況ですが

        恥じる恥じない というのは 心の持ちようの域で、それは、生活環境のなにこれとは関係無いです。

        私が置かれている環境が子供のじしに理解があるわけでは、まさか、無いです。私の顔を見て、ニヤリと、する、孫を持ち始めた婆とか、このまえは、息子の同級生で中学の時に不登校だった、不登校制度を利用して高名な塾に通っていた女子の母親が私と目があって笑っていたり。とか、
        侮辱の毎日ですね。サウナでもありましたよ。
        でも、わたしは、息子のじしを恥じない。
        恥じる必要がないし、なぜ?恥じなければならないのかわからない。

        環境がどうとか、関係無いですよ。
        それ、そこが、分かち合うのは難しいし、私のこの心が、ここに集うかたたちの妨げになるなあと、思うので去りたいのです。

        どんな環境だろうが、どんな生い立ち(親)だろうが、
        子供のじしを恥じることはない。し、恥じるということそのものを考えなくていいと思うのがあきおくんのお母さんです。

        m(_ _)m

      • ヤムヤムさん、それは辛いですね・・・
        侮辱、嘲笑、そのような中で日々を過ごすことは悲しく辛いですね・・・
        憤りさえ感じます・・・

        そのような心無い人たちから、あきおくんのママは今もあきおくんを守って毎日必死で生きているのですね

        私は、そういう風に感じて引きこもらなければいけない時間がありました。
        今も人の目が怖いときがあります。
        決してかさねの死を恥じているわけではない、でも、私は自分自身を恥じているのだとわかりました。
        「子供を救えなかった自分は母親として失格だ」と、周囲の人もそう思っているに違いない、だからそんな自分をみんな嘲笑しているのだ、と、自分を恥じました。
        今もまだ時々自分を恥じる自分が浮上してきて、今日はそんな自分と闘っています。

        「人は人、わかってくれる人はわかってくれる、気にしなーい、気にしなーい」と考えようとするのですが、人に無視されたり遠目でこっちを見て話しながら笑っていたりする人を見ると途端に怖くなりその場から逃げ出したくなります。
        ちょっと批判されただけで、自分は生きている価値がないと落ち込みます。
        駄目ですね、私は・・・、やっぱり今も自分を恥じている(^_^;)

        今日は悲しく辛く寂しく感じています
        もうすぐ娘の命日、それもあるのかなあと思います

        子供を自死で亡くすと全てが変わってしまいますね・・・
        いや、自分が変わってしまったのかな?

  2. あきおくんのお母さん。
    うちはかあちゃん、とかおかあちゃん。
    調子にのるとおかん。
    外では友達にふざけてママがさぁ。
    とか言ってました。
    高校生の頃、友人達からマザコンと言われると、
    「マザコンで何が悪い!
    みんなママが好きだろう?
    誰がなんと言おうが公私認めるマザコンたよ!文句があるか?」
    って言ったそうです。
    そんな息子がかあちゃんを置いて自分で命を絶つような真似をするのか?と
    理解できませんでした。

    うちは無宗教なんで、でも祖母が買ってくれた仏壇があるんです。
    お線香も色んな香りがあるんだよね?
    お気に入りは白檀。
    子供の頃、母の扇子から香ったのが最初。
    大人の香りだなぁ。って思ったっけ。

    教会に行ったら告解ってあるのかな?
    映画の中では見たことあるけど、
    神父さんが罪の告白を聞いてくれて
    あなたは許されています。って言ってたのよ。
    日本でもあるのかなぁ?

    あきおくん、方言が面白かったのね。
    可愛い❤️

  3. こんにちは
    そんな、素敵なもんでもなんでもないです(–;)
    ありがとうございます

    kikiさん、お線香のこと、夫さんに言いましょうか。お線香をたく意味を。
    最近では煙の出ないお線香とかあります。
    アメリカでは入手に困難かもしれませんよね。
    1本のお線香でkikiさんのこころが一瞬でもやわらかになるのであるのなら、夫さんにとっても心地の良いことではないのでしょうか?

    お供え物
    アジア特有なのかな?とか思いますね
    バリ島はヒンドゥーですが
    タイとかカンボジアとかベトナムでも
    日本と似たようなお供え物の習慣があるみたいです。中国も

    kikiさんの話で、なるほど、と、思うことがありました。

    私は無宗教無宗派だけれども、キリスト教寄りの人間だと思っていたのですが、
    ちがう と、感じました。
    確かにお供えをするというのはヨーロッパ的ではない
    つまり、キリスト教世界ではない

    どっち付かずなのかもしれないけれども

    お供えをする という行為はアジア的で
    それは、尊く清んでいると、思います。

    息子に戒名を授かることを要望したのは私で、それは、自然な心。だったのかも。
    と、思ったりして

    私がキリスト教寄りな人間とまわりは思っていたので驚かれましたが(笑)

    しかし、今となっては、信仰心とか他のざつごとなどで、
    戒名つけたことがどうだったかなあ?と、
    でも、ステキな戒名だったから、いいか!とか(笑)

    心は移ろうゆくものだから
    風と一緒に ナーンテ(笑)

    • 私は、かさねが亡くなって初めて『ああ、自分は仏教の国に生まれてよかった』と思いました。
      それまでは『お盆とか法事とかめんどくさー、結局はお坊さんの金儲けのためじゃん、信仰なんていらんわー』と考えていました。
      でも、アメリカで私と同様に大切な人を亡くし苦しんでいる方の話を聞くと、キリスト教はそのような嘆き苦しむ人に寄り添えない信仰になってしまっていると感じざるをません(--;

      戒名は、「この世での死はあの世での誕生として新しい名前をいただくのだ」と、私は勝手に解釈していますが、別れた夫側の宗派では戒名はなく法名と呼ぶのだそうで、なにやら私には良くわかりませんでしたが、かさねは新しい名前をいただきあの世で修行に励んでいることだろうと想像すると『悟り』を求めて私も日々修練しようという気持ちになります(^^)

      • kikiさんいつもありがとうございます。

        kikiさんのふとしたフレーズにたまに心をわしずかみされます。なんか、過激かしら?(^_^;)でもそうですね…

        息子のお別れの場に来てくださった方の中に、お線香を焚いておりんを鳴らすとは別にお祈りをいただいた方が何人かいらっしゃいました。
        私には、懐かしさを感じなにか、子供の頃に戻るような不思議な浮遊感を覚えたのです。
        手を組んで目を閉じあきおくんの前で祈ってくださったそのお姿に、
        私が幼稚園児の頃なついていた神父様を思い出しました。
        とある教会のバザーにあきおくん、行ったことがあるんです。キリストの像をマジマジと見て真似していました(笑)
        キリストの真似していて(笑)

        祈りには形の違いがあっても、あきおくんのもとに来てくださった方々は
        みな、あきおくんをおもってくださった。
        それだけでわたしは、
        ああ、あきおくんは、なんて愛されていたんだろう!
        と、思います。
        笑う人がいるでしょう。
        子供を自殺させた親のクセに とか

        気にしません。
        確かに、あきおくんを愛していた人がいたんだから。
        いなけりゃ、
        あんな風にお祈り、しねーわ!

        と、腰に手を当て、クリロナスタイル風に立つのです(笑)

      • 日本は仏教の国ではないです

        わたしは、お寺にも行くし神社も行きます
        それが なにか?
        キリスト教。アメリカのキリスト教には嫌悪感をおぼえますが
        ヨーロッパのキリスト教の教会は実は様々。
        わたしは、イギリスとドイツのキリスト教には全く同じません。
        スペインばるせろなのサグラダファミリアは何故建築が進まなかったのか?とは、
        サグラダファミリアの宗教が特殊で寄付金が集まらなかった
        というのもあったのです
        スペイン国王のキリスト教の宗派とちがうものだったから

        うんざりですね

        クリスマスにはほざんな
        お正月には神棚
        神棚のある部屋には
        座敷わらしがいました
        信じますか?
        実は わたしは、子供の頃に
        座敷わらしとお話ししてました
        男の子 です
        姉が、あんた誰と話してんの!?と、
        はあ?だれて、
        振り向くといない

        おかしいでしょう?笑

        神棚のある部屋でしか会えない友だち

        最近気づいたのです

        あの、座敷わらし
        て、
        もしかしたら、あきおくん。
        だったのではないのかしら?

        自分でも驚く結論です

        あきおくんだ!
        あきおくんだったんだ!

        そう考えると、なんだか自然なことのように想えます

        私が話していた座敷わらしはあきおくん。
        座敷わらしのみめかたちはわかりません。でも
        幼い私とクチャクチャ話していたあの男の子!!は、あきおくんカモ
        誰が否定できるのですか?誰が、そうではないと証明できるのですか?
        私は、見える子供 だった

        中学生になって、部活の友だちとゾロゾロ歩いているなかで
        声が聞こえて、答えていたなら
        友だちが、あんた誰と話しているの?と、寒々した体で聞かれました

        え?て。

        さあね。誰かわからないですね

        そういうめにあったことの無いひとにはわからないでしょうね

        何を話したかわからない
        神棚の部屋でしか会えない友だち
        あきおくんだよ
        あきおくんだったんだ!
        私のところにきたお友だち

        ただ、あきおくんの小さい頃を思い返して、あきおくんがミエナイお友だちとしゃべっている様子は無い
        私はずっとあきおくんをみていた、めをはなさなかった、というのは、
        おもいあがりだったのですかね

        手を
        手を伸ばした先に 何故
        あきおくんがいないんだろう?
        (笑)

      • 座敷童はいると私は思います、と、いうか経験でそう思います。
        うちの子供たちには見えていたようです。
        私には見えなかったけれど、感じました。

        時空を超えてヤムヤムさんは、あきおくんに何度も会っていたのですね・・・
        素敵なお話をありがとうございます(^_^.)

      • 悲しいですね…
        お金もうけのためだけと感じる
        それは、親の責任ですね。
        私の友人とか回りにもそういう人は珍しくないです。
        私は裕福でも何でもない家に育ちましたが、法事を、お坊さんのもうけ。などと考えたことが無いですね。
        そういう風に考えなければならない、そういう風にかんがえる家、辛いですね。
        いちいち事をお金。に、換算しなければならない。
        息子をそういうものから守らなければとしてきたのに。結局、息子を追い詰めた。追い詰めてしまった。
        坊さんのかねなんかどうでもないのにね。坊さんの金。そういうものを息子になすりつけられたのでは、私の知るとこに無いところで。
        助けられなかった。助けられなかった。あーあ。

      • そうですか、ヤムヤムさんは、親の責任だと考えられるのですね、私が「法事をお坊さんのもうけ」と感じていたのは
        うちは、ひどく貧乏で明日のご飯にもことかくような家だったので、それもあるかもしれません。
        母は毎日内職で疲れ果てていました。

        お金のない生活は悲しくみじめです
        愛のないのもみじめですが

        誰も助けてはくれなかった
        それどころかうちが貧乏だからと言うだけで弟は盗人の濡れ衣をかけられたこともあります

        誰もその人の苦しみはわからない、それは例えわが子であっても
        自分の考えと他者の考えが違うからといってそれが「親の責任」とジャジされるのは辛いです。

    • ヤムヤムさん、
      あきおくんのお母さん。
      アッキーママ、
      優しいやりとりが微笑ましい。
      同じようなやりとりをしたなぁ、と思い
      優しい涙。
      昔住んでいたアパートの大家さんのお宅が
      キリスト教でした。
      祭壇みたいなのがあってどう拝んでいいのかわからなかった(~_~;)
      うちは小さい仏壇がありますが、お線香、お水、御飯時にご飯供えて、たまに父に日本酒
      供えます。
      智也にはウォッカ。
      ヤムヤムさん、
      心は移ろうものだから。
      素敵な言葉。

      • こんにちは
        なんというか…どっち付かずなのかな…
        そもそも、どちらかにつかなければならない。という感覚が欠如しているのかもしれませんね…
        私は、早生まれでカトリック幼稚園に入りすりこまれもあり、小学校二年生くらいまでご飯の前にはお祈りしてました
        しかし、少ないお墓参りやお葬式は仏教だし親戚の結婚式は神式
        それらはただの習慣慣習というものでしかなかった
        高校1年の時に親友の葬式は、幼稚園の時に毎朝礼拝をしていた教会でした。絶望。というものを、初めて感じた場所にもなったのがその幼稚園の教会だったのです。
        東日本大震災の時にその幼稚園がテレビに写って、高台にあったので避難場所になっていました。幼稚園すらも避難場所になっているのか…という、やりきれなさを感じた。
        24才の時に初めてフランスを訪れた先の教会で、プラスチックでできたマリア像を、かわいい~♪というだけのノリで買って、今でも飾っています。
        息子がこの世からいなくなった。しかも、自ら。
        飾っていたマリアを掴んで、
        やくただずっ!!お前は、なんだッ!?
        と、投げつけようとしました。
        憎しみがどうしようもない憎しみがその小さなプラスチックの安物のマリアに向けられました。ただのお土産用のマリアに。

        マリアの横に子供の頃に家にいた猫の写真を飾っていました。
        目があってしまった。猫と。

        ブルブル震えた私の右手からプラスチックのマリアは放たれ、もとの位置に戻され、今もそこにいます。

        お土産用の安物のプラスチックですが、時々、高校1年生でいってしまった友だちと子供の頃に一緒にいた猫を思って祈っていた。

        若い頃、何度かフラフラと目的もなくヨーロッパジャーニーしていたんです。
        歩いていると教会に当たるので、よく、休みに入っていたんですよね(笑)
        休みついでというのはどうか、お祈りもしていました。クリスチャンだった友だちのこと とか
        なのに、私の息子を守らなかった!!何でだ!?教会では1度も自己中なことを祈ったことがないのに!何でお前ら(神様)はあきおくんを助けなかったんだ!?あきおくんが何をしたんだ!?教会で祈ったのに!!
        逆ギレですかね

        祈ることが安らぎに近づく。のかもしれません
        しかし私はアジア人だからキリシタンでもないし
        お線香の煙を、煙のゆくがままをぼんやりみたり
        今日のご飯は~♪と、写真の前に置いたり
        ゴメン~今日は外めしでゆるしてねーと、おりんをチーンと鳴らしたり
        花を…
        仏壇に飾る花にはルールがあるというのをみてうんざりしたり、したのに従ったり(笑)

        どっち付かずでどこに落ち着きたいのかもわからない様でいます。

        さまようこころは落ち着きどころに苦労する。
        もしかしたらわたしはその苦労が嫌ではないのかもしれない
        という、少し残念な結論をみだしつつあります。
        それと葛藤しながら生きていくしかないのかどうなのか
        わからないですね…

        行き先を見いだしている、見つけた、方々はそのまま進んでいってほしい

        息子が、あきおくんが、小さい頃、
        私の母の方言を言ってました

        「おばあさんは、あっつこっつ、て、言って、あちこち行くんだよね~?あっつこっつて、何~?お母さん~?」

        そのまんま、あっつこっつとは、
        あちこち という意味です(笑)

      • 智也さんのお母さん
        よければ 聞かせてくださいませんか?
        かあちゃんなんですね(キュン)♥️
        いろんなおかあさん
        かあちゃん
        ママ

        呼ばれたいよ おかあさんとか
        かあちゃんとか
        ママとか
        かあさんとか
        呼ばれたい
        呼ばれたいなあ
        お母ちゃん
        まむ?
        世界のおかあさんを
        呼ばれたい

  4. こんにちは
    今 ワールドカップサッカーのなかで、ほぼ毎日観てるのでフラフラです

    おかあさんはっ!サッカーのことを知らないのにどうして観てるの!?
    と、
    あきおくん、我が息子に言われました…

    私、あきおくん母の答えは…

    知らないから知るために観てるんだよッ!
    知らなくても観て、何が悪いんだあ!?

    息子、あきおくんは、

    おかあさんね、
    アミ。て、何?おかあさんね、なにいってんのかなあ?
    アミて、おかあさんね、ゴールネットのことかな?

    イライラ(母)クソ〰️
    ああ、そうですね。アミて、ゴールネット?
    そうですか
    で、それが何か?

    あきおくん
    ふーーー おかあさんね、サッカーのこと勉強してから叫んでくれる?

    やかましいわッ!!!
    勉強するなら漢字でもしてろや

    あきおくん
    おかあさんね、
    季節のき と、委員長のい を
    間違えたね おかあさんね、
    資格ないから

    チーーン

    ただいま、ワールドカップで毎日フラフラなのに思い出したりして
    て、
    日韓ワールドカップの時、実家の近くで試合があったので、幼稚園休んでいったんですよね(笑)
    その、写真見てたら、
    涙があふれました。軽い、涙、でした。

    息子の同級生のお母さん方が、先月飲み会を付き合ってくださいました。
    「あきおくんのお母さん」
    と、みな、自然に、呼んでくださったことに
    感謝。感謝。感謝。
    ああ、わたしは、あきおくんのお母さん。
    そう、
    あきおくんママ
    あきっちママ
    あきおくんのおかあさん
    あきママ
    あきおのおかあさん
    あきおの ああ(笑)

    私の息子の名前は あきおです

    わたしは あきおのお母さん

    アッキー!!と、幼稚園の時に呼ばれていた

    アッキーの、お母さん
    アッキーママ

    懐かしいな そして 嬉しくてありがとう
    こんなわたしでも

    あきおのお母さんと、呼ばれる。
    それだけで 生きていかなきゃネて、
    思ったりします

    あきおくん
    どこにいったのかなあ?
    あきおくん
    どこにいるのかなあ?
    この前、久々にお菓子作ったとき、
    お線香をぎっしり、もうもうに火着けた(笑)
    あきおくんのおともだち
    あきおくんのおかあさんは実際には会っていないおともだちに
    わけて食べられたかなあ?

    そんな、グダグダな日々を過ごしています。

    あきおくんの家に
    よかったらたまにはよってね
    ベルジャンワッフルくらいならすぐさま作るからッ!

    • ちなみに…
      先日TVで観て知ったのですが
      お線香はご飯のかわりだそうです

      息子が生まれるずっと前に、バリ島へ行きました。
      その頃のバリ島は平和で
      毎朝のお供え物、葉っぱで四角い器をしつらえて、そこに、お供え物の食べ物と花を供える。供えた後は食べる。
      それらがあちこちに落ちていました。
      見方によっては、食べた残骸が散らばっていると思うでしょう。
      実際、バリ島旅行にいった人が、汚いのよと、言ってました。
      お供え物の後先に、汚い。というのは私には無い。

      息子の写真の前に日々
      ご飯やお菓子やいろんなものを置いています。
      無気力だったり、語りかけたり、サクッと、だったり
      そんななかでふと、バリ島で見た、きれいな緑の四角い葉っぱの器の花と一緒のお供え物。を
      思い出します。美しいですね。
      美しい。

      美しく息子のすべてをおもいたい。

      葛藤が邪魔をする。

      仕方ないなあ、お母さんは人間だから
      聖人じゃねえもん

      なーんて ふと、お線香をみて思いました。

      現実と生きる。なんてね

      • バリ島にも日本のような「お供え」の習慣があるのですね!
        知りませんでした。

        え、お線香はご飯!?
        これまた初耳でした(^_^.)

        緑の葉にお供え・・・
        ああ、そういえば小さいころお盆に母の実家でご先祖様のお墓参りに行ったとき、近くにある緑の葉っぱを切り取ってお皿の代わりして供えていました。
        お供え物も「おさがり」と言って、供えた後、すぐに頂けるものもありました

        アメリカでは、そのような習慣がないのでとても残念です
        お線香さえ、夫から「煙たい」「すすける」と言われ、なかなかお線香をたけないので弱ります(T_T)
        でも、時々早起きして夫が寝ている間にこっそりロウソクとお線香をたいて、かさねの写真を眺めながらそこでぼんやり座って話しかけています。
        すーっとまっすぐに上に上がっていく煙を見ているとなぜか癒されます。

        そして、お供えした「チョコレート」の「お下がり」を頂いては、ムクムク太る私です(^0_0^)

    • あきおくんのお母さん、読んでいて胸が熱くなりました。
      二人のやり取りが、まるで今すぐ目の前で繰り広げられているようにほほえましく、そしてあったかくて、気が付いたら優しい涙がぐぐっとこみあげてきて、単純に悲しいのとは違う、何かふわっとした優しさと寂しさで、『ああ、これが、シャーロンが言うBitter Sweetな気持ち』なんだ、と、思いました。

      「あきお君のお母さん」とっても素敵な響き・・・です。
      あきおくん、今はどこにいるのかな?
      きっと、お母さんと一緒なんだろうなあ・・・

      感情溢れるとってもいい話をシャアしてくださりありがとうございます(*^_^*)

    • アッキーママ。
      あきおくんと、お母さん。
      ユーモアたっぷりに。
      素敵なお母さんだなぁ。
      あきおくん。いつか、むこうの世界で、会おうね。

  5. kikiさん、
    日本は今すごい雨で九州の方から、京都、色んなところで河川が増水したり、堤防が決壊したりしています。
    うちの方は山側に避難勧告が出たりしています。
    どうか、仲間の皆さんが無事でありますように。
    祈るばかりです。

  6. kikiさん、
    グリーフ・ジャーニーは楽じゃないですね。
    ちょっと上手く歩けてるかと思うと
    ほんのちょっとの段差につまずいたり。
    絶望感に苛まれたり。
    悪夢を見たり。
    でも、生きてます。
    昨日は元気だったのに、今日はダメとか、
    波はあるけど。
    私も智也に導かれながら、自分探しの旅になりつつあります。
    わたしもかさねさんに感謝です。
    きっと向こうの世界で智也とかさねさんが
    会って仲良くなったのではないか?
    と思ったり。
    智也が、かさねさんに
    ちょっとうちの母ちゃん助けてくれない?
    ってお願いしたのかもしれないですね。

    • 波、本当にありますよね。
      時に大波で飲まれてしまいそうに感じる時、
      かと思えば「おっ、今日は穏やか」と、気持ちよく浜辺を歩いているといきなり襲う波に足をさらわれたり・・・

      それでも、以前よりは波乗りがずいぶんうまくなってきたように思います(*^_^*)
      落ちてもすぐに這い上がれるようになったし!(^0_0^)

      智也さんは、サーフィンはしますか?
      私もかさねも全くしたことがないので、もし智也さんが知っていたらぜひかさねに言ってコツを教えてくれるようお願いしまーす(^o^)

  7. 追伸、
    ハイキングの写真は絵画のように綺麗で素敵ですね。
    しばらく見惚れてしまいました。
    心が洗われるよな緑の世界に癒されました。
    本当にいつも有難うございます。

  8. kikiさんへ
    日本語訳有難うございました。
    伝えるのに3日かかりました。
    3日間で何度読み返して泣いたかわからないです…途中、涙で文字が読めなくなったりもしました。
    娘が逝って9ヶ月が過ぎました。
    実家のお盆は7月、嫁ぎ先は8月なのです。
    昨年まで実家では娘、結婚してからは嫁の務めと何も考えずに風習としきたりと段取りから采配…両家ともお盆にはお坊さんがみえてお経を唱えてくれます。
    盆棚、提灯等の準備にお寺さんでの施餓鬼供養…両家の仏壇、お墓をひとりでしてきました。
    いずれ娘達(次女は実家の性になってます)に引き継ぐまではと自分なりに頑張ってきたのですが。
    今年は引き継いでもらうつもりでいた長女を失ってしまい、どうしたらよいのか途方にくれてます。
    その上、娘の新盆まで…
    もう無理、全て投げ出してしまいたいのです。
    娘を亡くしてから気力を失った自分には大きな岩が立ちはだかっていて超えられそうもなく毎日泣いてばかりでした。
    現実逃避のように旅に逃げてやり過ごしてきましたが、現実は厳しくて私をガッチリ捕まえて離してはくれません。
    kikiさんの訳を読見返して、読み返して
    自分だけじゃない…もう少しだけ
    今年だけは娘の務めも嫁の務めもこなしてみせると自分を奮い立せてます。
    kikiさんの力を借りて昨日は娘の新盆の準備をひと通りしてきました。
    悲しくて辛くて、でも娘を思いながら可愛い、綺麗な提灯等もお盆には飾ってあげられそうです。

    • 美響さん、一年目の私と同じ苦しみを味わっていらっしゃるのですね・・・
      欲しい支えが美響さんの周りにはなく孤立され苦しんでいらっしゃるのですね・・・
      どんなにかお辛いことかと思わずにはいられません

      Whatever you feel right is right for you
      私の好きな言葉です。
      「自分の心が良いと感じることが自分にとって一番正しい」と言うような意味です。
      お盆の準備、嫁として娘として・・・ 辛いですね・・・
      最愛の娘さんのために美響さんの心が良いと感じることをしてあげてください。

  9. kikiさん。
    すごくわかりやすい訳です。
    そして、まさにその通り。
    寄り添って話を聞いてもらい、
    名前を呼んで話して欲しい。
    悲嘆との共存。
    それを教えてくれたのはkikiさんでした。
    グリーフの過程がそれぞれ違うということも
    今は理解できます。
    kikiさんのとも、ここに集う皆さんとも
    違う。
    でも、ここで智也はこうだった。
    とか安心して話せる事ができて
    今、生きてます。
    kikiさん、まずは3年生き抜いて下さい。
    って最初の頃に言われました。
    半分きましたよ。
    何とかこの先、泣き泣きでも生きていけそうな気がします。
    グリーフは愛なんですよね。
    智也のお母さんとして、
    智也と一緒に生きていけそうです。

    kikiさん、アリゾナとも違う自然が豊かなところですね。
    ハイキング、気持ち良さそうです。

    • 由紀子さん、智也さんとの新しい道行、その旅が始まってから一年半が経ったのですね・・・
      どれだけ辛く長い道のりであったか、自分自身が歩いてきた道なので「半分きましたよ」と聞き、大変感慨深く感じ嬉しくて涙しました。

      私もかさねを探す旅から一緒に歩く旅へと変化しています。
      最近は、かさねの助けを借りながら自分を探すたびになってきているように感じます。

      「智也さんのお母さん」、『ああ、いい響きだ』と、またまた涙が出ます。
      私も「かさねのお母さん」としてこれからも自分を恥じることなく生きていきたいと思います。

      でも、これって楽じゃないですね(^_^;)
      先日の写真のハイキングと同様、蚊に刺されたり、奇麗だと期待していた湖は汚染でドロドロしていたり・・・
      グリーフ・ジャーニーは一緒続く困難な山道を行く旅ですね
      その中で出会う様々な人は皆「ブッダ」、人生の師で、沢山のことを私に教えてくれます

      智也さんにお伝えてください
      「お母さんを紹介してくださってありがとう。由紀子さんというお母さんに知り合えて私はとっても感謝しています」と。

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