不安と恐怖のルーツ (友人に宛てた手紙から)
今月は、日本に住む下の娘の誕生月です。
小さかったあの子が今年29歳になるなんて嘘のようです。
私の中では、亡くなった娘も下の娘もずっと大学生で大人にならないのに・・・
そうそう、私と下の子とはもう何年も音信不通だという事は以前お伝えしましたよね?
上の子が生きているときは彼女が私と下の子の中に入ってくれて橋渡しをしてくれていたのですが、その子が亡くなってからは下の子の様子が全く分からなくなってしまいました…
悲しいことですが、今あの子がどうしているのかさえわからりません・・・
そして、上の子が亡くなってから下の子の誕生日を迎える一月の声を聞くと心がザワザワとしてきて不安が増大し、時には恐怖にも似た感覚に襲われ「どうしよう、どうしよう」と、「あの子の誕生日にカードを送りたいけれど、送ったらかえって悪いのかも、でも、もし、送るとしたらなんと書いたら良いのか、いや、かえって何も送らず過ごしたほうがいいのか、いや、送らなかったらもしかすると私が全くあの子を気にかけていないと誤解し鬱になるのでは…」と、頭の中がそのことばかりになってしまい、どうやっても避けられない恐ろしいの結末が来るようでその不安から逃れられなくなるのです。
暫く不眠症が落ち着いていたのに、最近は良く眠れないし、悪夢も見るようになりました。そのせいか体の底から疲労感が押し寄せてきて心身ともに重く何もやる気が起きなくなってしまいました。
ヨガや友達とおしゃべりするなどして、なんとかしてその気持ちをごまかそうとするのですが、その時は楽しくてもその時間がすぎるとすぐにまた元に戻ってしまいました。
そこで、怖くても考えることにしたんです。
底には何があるのか、と…
何に私はこんなにも怯えているのか、と…
そして、やっとわかりました。
私か感じていた恐怖は、あの時のものでした。
そうです、上の子がいなくなる二日前に私宛てに送ってきたいつもとは様子の異なるあの子からのメールになんと返信しようかと考えて考えて返信したのですが、いつもならすぐ来る返信がその時に限ってこなかったのです。
そしてその二日後、「おやすみ」と言う返事を最後にあの子は消えてしまいました。
そうです、私が一月の声を聞くと感じていたのは、あの日の恐怖です。
『どんなにしても止められない、あの日がやってくる、怖い、怖い』とい悲痛な心の叫びでした…
これは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)なのだと思います。
過去の恐怖が、その原因となった事象に似た状況に遭遇した時、まるで今目の前で再現されているかのように蘇る精神的苦痛でした。
このことに気がついてからは、不安に感じる度に「もう終わったんだよ、もう過去の事だから、今目の前で起きていることじゃないから、下の子が上の子と同じ結末になるわけじゃない、そうならないように祈り、そして今の自分にできる事に最善を尽くすだけ、全ては人知を超える力のなすことなのだから…」と、一生懸命何度も何度も自分に言い聞かせ深呼吸をして自らを落ち着かせるようにしています。
こんな事言ったら上の子がきっと「ぶー」っと「私のせいにしないでよ~、お母さんが悪いんでしょ」と言って、むくれそうですが「こら、あなたのせいでお母さんはちょっとした事にも神経質になってしまって、また大切な人を失うんじゃないかって震えるようになったぞ~!」って文句を言いたいです(^_^;)
きっと、今頃あちらの世界であの子が苦笑いしてますね(^_^.)
では、また
雪道気をつけて、風邪などひかないよう元気でお過ごしください。
Kiki
昨年12月21日に最愛の息子を自死でなくしました。19歳でした。
中学1年の2月から不登校になり、アスペルガー症候群が分かりました。
ゆっくり成長すればいいと思い、夫婦で見守ってきました。
告知もできないままで、もっと方法があったのか考えてしまいます。、
なんとか前を向いて進もうと自死遺族のブログを毎日読み、時が過ぎるのを待っています。
身の置き場がなくて、苦しくて時間が経ちません。眠れなくて、息子が旅立った時間に目が覚めて眠れない。出来るだけ考えないように心に頭に蓋をして、日々過ごしています。この苦しみや悲しみはいつまで続くのでしょうか。
勇気をだしてコメントしました。
naru4さんへ
明日(正確には今日です)娘の百か日です。
救えなかった事で自分を責めて、責めて…会えない寂しさと、一緒に歳を重ねていけると信じてた未来が消えてしまった恐怖で息ができないし眠る事も出来ない日を過ごし、3ヶ月を生き延びました。
毎日、娘が恋しくて会いたくて泣いてます。
どうか、一緒に今日を生きましょうね。
kikiさんのブログで、ここにいらっしゃる皆さんに助けられて今日を迎えられたのです。
皆さん同じ体験をなさってるのだから私達も生きていきましょうね。
美響さま
ご自身もお辛い思いをされているのに、暖かいお言葉をありがとうございます。コメントを読んでいると救われます。
何とか時が過ぎるのをじっと耐え、がんばって生きていきたいと思います。
naru4kidsさん、どんなにかお辛いことかと思います。
その苦しみがわかるだけにお救いできないことがとても辛いです…
息子さんを亡くされまだ日が浅く、どんなに考えないようにしても頭の中に押し入ってくる思考や感情でこのまま自分はおかしくなってしまうのではないかと思えるぐらい苦しんでおられることと思います。
本当に、辛く悲しく、全てが嘘で、目が覚めたらいつもの日になっていてくれたら、と、現実と悪夢のはざまで何とか生きている状態なのではないかと思います…
今はどんなにしても苦しくて息もできないほど辛く心臓が張り裂けそうに心が痛んで眠ることもままならないと思います。
しかし、必ず今感じている痛みが和らいでくる日が来ます。
私も今のあなたと同じ場所にいたのでわかります。
だから、どうか堪えてください。
悲しみは消えて無くなることはありませんが、日々生きる中で喪失との共存の方法を学んで行ってください。
その方法は、人それぞれ違うので「これをしたら楽になる」という答は残念ながらありませんが…
最愛のお子さんを失くしたばかりでその嘆きはただならず生きるだけで大変なエネルギーを消耗します。
ですから、今は、とにかく呼吸することだけ考え、何よりも自分を大切にして、食べたくなくても食べて、少しでも眠れるときに眠ってください。
独りじゃないです、私がいます、ここに集うたくさんの人がいます。
だから、今はとにかく明日のことは考えず、今日を生きてください。
そしたら、必ず今の苦しみ悲しみが和らいでくる日が来ますから。
naru4lidsさんは、既にその日に向かって歩き出していますよ、勇気をもってコメントをくださったことがその証です(^_^.)
kikiさん
大変ですね、読んでるだけで私も泣きそうになります。
私も最近イヤフォンで音楽を聴きながらでないと眠りにつけなくなってます。ごんた息子に会えなくなってからもしばらくそうだったのですが、またイヤフォンしながら夜を超えてます。気持ちは上がったり下がったりしますね。
日本ではマインドフルネスというのをちょっと前からよく見聞きするようになりました。前にkikiさんが言ってらした、雲を眺めるように、の心持ちだと思います。私も雲を眺めるように、過ごしていきたいです。どうかできるだけのんびりとお過ごしください。
ごんたさん、本当にそうですね・・・
「良い日」「悪い日」があって、『ああ、ようやく普通に生活できるようになってきた』と思ってもちょっとしたことがきっかけで、どーんと落ちたり、不安にさいなまれたり。
そして、その「良い日」も自死遺族てはない人の「普通の下」ぐらいのレベル(^_^;)
「良い日もあったのだから、今は辛くてもまた良い日がくる」と考えてマイドフルネスを実践しながら嵐が過ぎ去るのを待ち堪えます。
日々忍耐ですね…
kikiさん、
何と声をかけたらいいのか…
ただ、近くに居たら肩を抱き、大丈夫、大丈夫だよ。と多分私は言うと思います。
返事はなくても毎年送られてくる
カード。
娘さんとつながっていると思います。
いつか娘さんの心が解けて、
kikiさんと笑顔で会える日が来るといいなぁ。と思います。
由紀子さん、ありがとうございます。
生きていれば「いつか」と言う日もありますよね(^_^.)
大切なのは、「思っているよ、忘れていないよ」と伝えることなのだ、と考え、たとえ返事はなくても今の自分ができる最善だと思うことをします。
ただ、返事がないと「生きていてくれているのか」それさえわからなくて…
以前は、「自殺」は「ありえない」ことだったのが、急に「ありえる」ことになってしまって…
しかたないですね、経験しちゃうと「また起きるかも」と不安になるのは…
これが、PTSDなんだと思います。
「大丈夫」「大丈夫」と、自分に言い続け、あとは祈るだけです。
kikiさん、
そうですね。
いつか…
娘さんの心が解けますように。
私もお二人が分かり合える日が来ることを祈っています。
Kikiさん、大丈夫ですか。辛いし怖いですよね。あの苦しみと恐怖を二度と感じたくない。
怖い、嫌だ…。
そしてこの世に「絶対」はないことを、もう知ってしまっている。
今この瞬間は生きている私。Kikiさんも。
よく生きてこれました、今日まで。
次女さんも必死に生きてる、どこかで。
私達も親であり、かつての娘であり、憎しみは愛情の裏返しで。
色々な絡んだ糸がいつか、ほぐれる日が来ることを祈って。
葛藤もまた、生きていることの証…。
不完全な私達を許してほしい。
とり子さん、ありがとうございます。
おととい、カウンセラーに相談したら「昨年はどうしましたか?」と聞かれ、「バースデーカードと手編みの手袋を送りました。そのあとは少し落ち着きました」と話しました。
すると、カウンセラーが「それで返事はきましたか?」と聞くので「いいえ・・・」と答えると、「では、パズーカードに自分の書きたいことを書いてとにかく送ってしまいなさい。送ろうが送るまいがおそらくは返事は来ないのだろうから」と言われました。
『その日がやってくる』と予期している間が堪えがたい恐怖の時間なので、とにかく「終わらせる」ことが恐怖と不安を落ち着かせる一つの解決策であることには間違いないということはこの三年間の経験から私も知っているところです。
ですから、恐怖を抱えて次女の誕生日が来るのを待つのではなく、とにかく今年も送ろうと思います。
悲しいですが、何を書こうが返事はこないのは私にもなんとなくわかっているので・・・
ただ、生きていてくれればそれでいい、そう思います…
生きてほしいです
だから、私も何とかして生きます!
追伸、いつかkikiさんと娘さんの誤解が解けて、娘さんがkikiさんを理解し受け止めてる時が必ずくるはずです。
その時までkikiさんが元気でいないと娘さんは失った時間を後悔して苦しまれると思います。
だから、娘さんの為にも身体を大切にして下さい。
美響さん、ありがとうございます(^_^.)
私が生きている間に次女の氷がどける日が来て会えるといいなあと思います。
kikiさんへ
読みながら長女を亡くした直後、錯乱状態の私を守るように抱きしめて泣いていた次女に「ママより先に死なないと誓って、絶対ママを置いて行かないと言って」と叫んでいた事を思い出して涙が止まりません。
次女の喪失感や悲しみを思いやる思考は皆無でした。
まともではない母親をどんな気持ちで抱きしめ泣いていたのかと…次女は自分が私を守らなければと思ったのではないかと。
3ヶ月もの間、必死に私を見守り続けてくれたのも事実。
次女の存在がなければ、私は生きてはいなかったと思います。
主人と次女は私が後追いするのを恐れて、必ずどちらかが私に付き添ってくれていたように思います。
「これからの人生は全て◯◯(次女)の為に生きていこう。◯◯の幸せだけを考えて生きていこうね。分かった?」と葬儀の前に主人に念まで押されて「うん、うん」と頷いてました。
主人の言葉にあんなに素直にうなずいたのは、子供を産んで強くなって可愛げも無くなっていたから久しぶりだった気がします。
それでも時々湧き出る怒りの矛先は主人で…それも俺のせいか?と度々愚痴りながら受け止めくれてました。
何度か離婚の危機もありましたが、離婚していたら娘は私を置いていくことはなかったのかも、それでも娘が自死していたら離婚して主人が一緒じゃなかったら私と次女はどうなっていただろうかと…ふと考える時があります。
どうして、私から宝物を奪ってしまったのかいつか娘の世界へ行ったら教えてもらおうと思ってます。
いつかは、私達の苦しみや悲しみの答えが分かる時がくるのですよね?