空の雲のように

向き合い手放すという事

今日のヨガの時間

レッスンの終わり、屍のポーズ、Savasana(シャバアサナ) の時間

ただ床に大の字になって横たわり体も心もリラックスさせる時間

無になる時間

でも、これって実は難しい

何も考えず、呼吸に集中しようと思ってもすぐに余計な思考が頭の中に浮かんでくる

いつもは頑張って追い払おうとしていたが、今日のインスラクターはこう言った

「空に浮かぶ雲を見るように、頭に浮かぶ雑念を消えていくまで見やりなさい・・・」

『あ、そうか!』と、急にわかった気がした。

追いやるんじゃなくて、ただ眺めるんだ…、心静かにただ視線を向けるだけ…、とらわれないこと・・・

いつだったか、夫と遠くの山にハイキングに出かけた時のことを思い出した。

歩き疲れたので、近くの岩の上で小休止することにした。

夫は、その大きな岩の上で大の字になり空を見上げた。

私も真似をして横たわった。

青く晴れ渡った空には、ぷかり・ぷかり、と、いくつか白い雲が浮かんでいた。

夫は、「あれは、龍」「あれは、ドーナッツ」などと指さしながら面白がっていた。

じっと、目を離さず眺めていた…、はずなのに、気が付くと龍がうさぎの形に変化していた。

「うさぎだね…、あ、あれは子供のうさぎ…」

動いているようにも変化しているようにも見えないのに、眺めている間に空に溶けるように雲は消え去った。

「不思議だね~、ずっと見ていたのに消えたのに気が付かなかった~」と、夫が笑った。

喪失と向き合い感情を手放すって、こういう事なのかもしれない、と、思った。

見ないようにするのでもなく、必死になって変化を捉えようと一瞬たりとも意識をそらさず見つめるのでもなく、眺める・・・

とらわれない、しかし、目を離さない・・・

『アア、ワタシハ、イマコンナフウニオモッテイル、コンナフウニカンジテイルンダ』と、事象に捕らわれることなく眺めつづける

そして、気が付くと、いつのまにか空に溶けて消えている・・・

昨日は、Phoenixの市街地にあるCamelback Mountainにハイキングに出かけてきました。市民に人気のハイキングコースということで、平日の昼間でも駐車場は満杯でしたが、それでもなんとか空きを見つけてハイキング開始。しかし…、うわさに聞いてはいたものの、ハイキングと言うよりは岩山昇り。

山の中腹に差し掛かると手足をつかってよじ登らなければいけないところも多々ありで結構たいへんでした。降りていく人もこわごわ。岩山の向こうに見えるのはPhoenixの市街地です。

空の雲のように」への21件のフィードバック

  1. 昨夕は久々に泣きました。
    息子はもう居ないのだ。
    クリスマスや年末年始のお休みに
    帰って来るはずの息子が私には居ない。
    そう思ったら涙が止まりませんでした。
    車の中でしばらく声をあげて泣きました。
    寂しさと恋しさ、不思議と怒りや自責は
    ありません。
    自分でどうしようもなかったのだ。
    あの子は鬱に蝕まれていたのだ。
    それしか道がないと思って命を絶ったのだ。
    諦めきれないけど、諦める。
    そんな気持ち。
    kikiさんもそんな経験ありますか?

    • 由紀子さん、「諦めきれないけど諦める」・・・、そうですね・・・、全てをありのままに受け入れる、悲しみも、一緒に生きた貴い時間も、全てありのままに受け入れる、そんな気持ちですよね・・・、私も経験があります。
      泣き泣き受け入れる、生きていくにはそれしかないから、とでもいうか・・・

      クリスマス、お正月、皆が喜びで溢れるこの時期は寂しさがいつもより増します。
      「あの子はもういない」と、あらためて思い知らされるこの時期は何年たっても辛いです。

  2. こんにちは。
    すごい岩だらけで修験僧のような感じがしますね。

    私は先週長崎の平戸、生月島、西海市の世界遺産申請予定の「潜伏キリシタンと関連遺産群」の構成遺産巡りをしてきました。

    生月島ではたまたま「オラショ」披露があってて、今や五人しかいないという貴重な方々の祈りを聴いてきました。
    隠れキリシタンは口伝でこのオラショを伝えてきたそうですが、最近の皆川達夫先生の研究で、16世紀のスペインのとある地方のグレゴリオ聖歌が宣教師によって伝わったのではないか、といわれています。

    その声と祈り、そして沢山の信者が殺された浜、明治になって建築が始まった田平や黒崎教会を訪ねながら、
    娘への巡礼の旅のような気持ちがしました。

    最後に訪れた遠藤周作記念館で見た海は、冬のどんよりとした灰色の雲のなかから
    ふと、一部光が差し込み、海面を丸く照らしていて、映画のワンシーンのようでした。
    まるでヤコブの梯子のような神の啓示にも感じました。

    「見よ、私はあなたとともにいる。私はあなたを守り、必ずこの地に連れ帰る。私はあなたと約束したことを果たすまで、あなたを決して見捨てない」(創世記28-10:22)

    旅行中大変不思議な奇跡のような出来事がたくさんあって、夫の仕事に有意義に、しかも直結することとなりました。

    ヤコブの梯子(→天使の梯子または階段とも)見ながら

    ”確かにそこに
    そして私たちの隣に
    常に娘は存在している”

    そう確信した瞬間でした。

    去年からこの秋は京都や奈良の寺社巡り

    今回と来年の長崎巡り(ランタンフェスティバル)は教会巡り

    と巡礼は続くようです。

    kikiさんのハイキング写真みて、真っ先に、巡礼かな、と思いましたのでコメントさせていただきました。

    ほんの少しずつ自分を取り戻し、自死を選んだ娘の決断もまるごと抱きしめて生きていく

    ただただこうして生きているのも、それ自体が巡礼の旅のようにも思えるように思います。

    お身体気を付けて。

    • 「巡礼の旅」、とても素敵な響きの言葉ですね。

      ヤコブの梯子のお話は、大学で宗教学を取った際に学びました。
      ヤコブの夢に現れた天にとどく梯子で天使が上り下りしていたというお話ですよね。
      でも、関連する聖書の一節はすっかり忘れていました。

      ACAの回復プログラムでも、「God」や「Higher power」と、人間の力を超える見えない力を表現するときに使われるのですが、キリスト教の国に育っていない私にはこの表現はしっくりこないなあといつも感じていました。
      が、その部分を「愛」や「大宇宙」「魂」と言う言葉に置き換えると抵抗なく理解できました。
      私たちの子供たちは「魂の故郷(愛の源、大宇宙」に帰っていたけれど、見えないだけでいつもそばにいて私たちを見守っていてくれている、愛(神、仏)そのものとなり、これからは姿かたちを変え私たちに寄り添って生きていくのだ、と、思えます。

      グリーフの旅って、巡礼の旅でもあるのかもしれませんね。
      しろちゃんさん、いつもありがとうございます。

  3. Kikiさんへ
    昨日は40分ほど散歩してみました。右、左…右と意識して足を運びました。
    意識してないと、足が止まってしまうのです。
    歩道橋は飛び降りたくなる衝動に駆られて、
    意識して避けました。
    人生の分岐点を本当に思い返す日々です。
    思い返しても何も変わらないのに…
    私はどこで間違えてしまったのかと、取り返しのつかない過ちはどこだったのかと。
    自分を許せる日はくるのでしょうか?
    昨日は以前からしているボランティアに行って来ました。
    いつもは片道40分運転して行くのですが、主人が仕事を休んで送迎してくれました。
    前夜、娘と相談して決めたと話してくれました。
    辛い思いは同じなのに、娘と主人は私が心配みたいで、情けない気持ちと失ってない家族がいることに涙しました。
    私達を残して逝ってしまった娘に私達は無力だったんだと思えて悲しみが増してしまいます。

    • 何度も何度も「どこで間違ったのか」と「分岐点」を思い返す、それが普通です…
      「考えたって何も変わらない」そうはわかっていても考える…、それは子供を亡くした母親にとってごく当たり前の事なのだと思います。
      私も何度も何度も繰り返して考えては自分を責めました。
      それでも、ある日『どんなにしてもどうすることもできなかった』と、自分の無力さを心から受け入れる日が来ました。
      それは、本当に悲しい日でしたが、同時に許されたと感じた日でもありました。

      自分を許すことはたやすいことではないけれど、愛を失わない限りいつか必ず許せる日が来ますよ…

      美響さんが亡くなった娘さんを愛しているように、ご主人ともう一人の娘さんも美響さんを愛されてるのだと強く感じます。

  4. 今日は主人と娘の好きな黄色の花の苗を沢山買って来ました。
    主人が娘の位牌からも見える所に植えてくれました。
    私と違い、娘は庭いじりが好きでした。
    娘と主人は似てるところが沢山あったのに、私は自分の価値観を押し付けてしまって娘は自分を見失っていったのでしょうか…
    ブログに30階の部屋にいて火事で炎が迫ってきたら、飛び降りてしまうと。娘も炎から逃れるように自死を選んだのだと漠然と理解できました。
    でも、30階の部屋を勧めたのは娘ではなく、私だったのですね。
    30階の部屋からの景色は綺麗だからと…火事になる事なんて思いもよらなかったから。
    主人なら低層ならお庭の花が見られるよと教えられたような気がします。
    綺麗な景色なんかより、生き延びる術を教えてあげられなくてごめんなさいと謝ってます

    娘に会いたい、会いたいだけです。
    娘と自分の為に自死遺族会に参加してみようと思います。
    Kikiさんや皆さんの通った道を私も歩いてみようと思います。

  5. Kikiさんへ
    娘の居ない現実が大きなうねりのように押し寄せて、身体が震え心が悲鳴をあげてます。
    昨夜から、また苦しくてどうにもなりません。
    今は明るくなってきた空を窓越しに眺めてます。
    あの子は神さまからお借りしていたに違いない…私に幸せと喜びを教えてくれる為に33年間私の元にいてくれたのだと呪文のように言い聞かせて泣いてます。
    そうでなければ、あの子が私の世界から居なくなってしまうはずはないから。
    日常が動き出すまでの静かな朝方は、
    やっぱり一番辛い時間ですね。
    この辛さを何年も…耐えられる自信もなく、耐える意味があるのでしょうか
    家族の為にと理解しているつもりでも折れてしまいそうです。

    • 美響さんへ
      当初のショック状態から目覚めはじめ、かい離状態だった心が現実の世界の体に戻ってきているのですね…
      この時期の痛みは壮絶で「身体が震え心が悲鳴をあげ」という美響さんの描写は、回復のために喪失と向き合い続けてきた自死遺族であれば誰もが知っている痛みであると思います。

      この辛さは、「とても耐えられない」と感じる痛みですよね…

      しかし、今はどんなに耐えられないと感じても痛みは時と共に必ず和らいできます。
      ですから、どうか耐え忍んでください。
      今日を生きぬくことだけ考えて、どうか踏ん張って…
      辛くてどうしようもないときは、「一人じゃない」と呪文のように唱えて大きく深呼吸して、自分の呼吸だけに意識を向けてください。
      この苦しみの先には今までには経験することのなかった悟りの道につながるのだと信じて…

  6. Kikiさん、ヨガと無の境地、禅の瞑想と全く同じです。無の境地というと、なんの思いも煩悩も浮かばないのを目指すと思いがちですが、禅の瞑想はまさに浮かんだ思いや煩悩をそのまま流す、執着をしないことなんです。浮かぶ、手放す、の繰り返し。もちろん、簡単そうで難しいのです。
    いっぱい悲しんで泣く、悲しいのは愛していたから、大切だったから。ですよね。Kikiさんがおっしゃってたように、涙薬。あー、悲しい。
    悲しみの道行きに、仲間がいる。仲間が増えてほしい訳ではないのに、でも仲間がいて下さるのはありがたいことです。
    空の雲、一つとして同じでなく、一瞬も同じでなく、今日の空は一生に一度の空。ここにも命です。娘と確かにこの世で出会った。そしてひとときを共に過ごした。宝物は、確かにもうもらったのです。

    • とり子さん、久しぶり〜😀
      宝物はもうもらった。
      私もそう思います。
      寒くなってきましたね。
      風邪などひかないように
      まず、自分に優しくしてくださいね。

      • 由紀子さん!元気ですか?私元気じゃないです(笑)でも、生きてますよ。まだ悲しみと孤独感で辛い時が多いけれど、見てくれてる感じがします。手伝ってはくれないの(笑)。
        由紀子さん、一緒に生姜湯やミルクティ、たまにコーヒー飲みましょう。心はお空を通じて繋がってます。

      • とり子さん。
        元気じゃなくても、
        とり子さんが生きていてくれる事が
        嬉しいです。
        さきちゃんは見てくれているのですね。
        とり子さん、そうですね。
        一緒にお茶しましょう。
        心は繋がってますね。

    • とり子さん、「悲しいのは愛しているから」まさしくその通りです。
      だから、他の人がなんと言おうが娘を思って涙したいときは涙しましょう・・・
      周囲の者が誰もわかってくれなくても、ここにわかってくれる人がいる。
      一人であったらとても生きてこれなかった、そう思います。
      一人じゃないから、自分の痛みを分かち合ってくれる人がいるから、ここまで生きてこれた、心からそう思います。
      ありがとう、とり子さん

  7. ビデオで2歳の娘がスイミングスクールでガラス越しの私に一生懸命に手を振ってる姿をみて、ここだよ!とアピールしているのに…私はいつから娘のアピールに気づかなくなってしまったのかと泣きだしてしまいました。
    小さな娘は、本当に頑張って泳いでいるのに、あの日もう少し頑張って欲しかったと諦めきれない気持ちが渦巻いてしまいます。。

  8. kikiさん
    ヨガは自分と向き合うことができる時間なのですね。
    「無になる」
    なんて困難な課題なのでしょう。
    娘が亡くなってからの2年間。
    怒りと悲しみに囚われ、自分が生きていることすら受け入れることができない。
    自分の心臓の鼓動、自分のことには一切向き合うこともできないでいます。

    そんな毎日の中で唯一の時間はハイキングの時です。
    会社の人は一切労いの言葉はない中で。
    私を連れ出そうとしてくれるのは山の仲間だけです。
    なんとか普通に接して元気付けようとしてくれています。
    娘も一緒に登っていた仲間です。

    そうそう、時には手足を使ってよじ登るんですよ。
    歩き始めの30分は呼吸が苦しくて、どうしてまた来てしまったんだろう。
    いつも歩くのが辛いのにどうして歩くんだろう。
    そして3時間も歩くと足の裏が痛くなり、5時間も歩くと脚全部が痛くてたまらなくなります。
    半べそで7時間と歩くと、脚全部がしびれて修行みたいです。
    そして自分の身体がこの世にまだあるのだ。と、いうことを思い出します。
    自分の身体と向き合います。
    娘と一緒に歩いたことを思い出しながら歩きます。
    娘が亡くなった後の2年間ですっかり身体が衰えてしまいました。
    娘は岩登りの箇所にさしかかると、
    「えー!怖いよー!こんなところ歩くの信じられないよ!」
    と、怖がっていたのに、4階から飛び降りようとして塀に腰掛けた時、
    「どんなにか怖かったことだろう。」
    と、岩を歩く時思い苦しくなります。
    kikiさん
    そうこんな景色です!
    娘と一緒に歩きたかったアメリカの大地!
    フェニックスの街が見える!
    あーっ!
    最後の写真を見て思わず涙が流れました。
    ここに娘と一緒に来たかったんです。
    kikiさんいつの間にか夏が終わって、ご主人が戻ってこられてたんですね。
    良かった。
    私もいつかkikiさんと一緒に歩けたら…。
    アメリカの大地をkikiさんと歩けたらどんなに。
    アンティローブ
    ザイオン
    グランドキャニオン
    もう直ぐ娘の2年目の命日が来ます。
    でも私はまだ怒りと苦しみと悲しみに囚われています。

    もも

    • ももさん、いつか一緒に行きましょう。
      ももさんのお嬢さんとももさんが行きたかった場所へ。
      そして、二人で娘たちの話をしましょう。

      ももさんのハイキングのお友達と同様、私たちは大切なものを通して繋がった仲間です。
      辛く険しい道を歩く仲間です。
      必ず歩きとおしていつか頂上から美しい街並みを見ましょう。

      ももさんにとって二回目の命日が去年のその日に比べて少しでも心穏やかに過ごせますよう遠くからですが祈っています。

  9. Kikiさん、山登り?ハイキング?
    すごいですね。
    私も先日パートナーと紅葉を見がてら
    吊り橋を渡って304段の階段を上ってきました。
    途中で息が切れ、少し休んでまた上る。
    天気が良くて、空には青空が広がって。
    美しいなぁ。と感じました。
    花や植物や季節の移り変わりを美しいと感じたり、近所の畑の様子で立派な大根をいただいたり、さつまいもをいただいて、
    おでんや焼き芋にしたり。
    仕事をしていた時よりずっと人らしい生活をしています。
    悲しくてもなかなか周りに気を使い無理して仕事に這うようにして行っていた日々。
    生活にゆとりは無くなったけど、
    もっと大事なものを手に入れた感じもします。
    数少ないけど心許せる友達に、智也の話をすることもあります。
    でもね。最近は話すのも辛くなくなってきたの。
    笑って、まるでまだ生きているように話している自分がいます。
    多分、いつもそばに居てくれて、困った時や辛い時はメッセージをくれるからかな。
    未だに息子依存みたいですが。
    いつかKikiさんの言ってたように、
    心の穴に吹く風が少しずつあたたかい風になっているように感じます。

    もうすぐ母、父、智也の命日を立て続けに迎えます。
    去年までは12月が近づくとざわざわ気持ちが落ち着かない感じがしましたが、
    今年はどうなるのでしょうか?
    母が12月1日、父が23日、智也が1月4日。
    2日は祖母の家に集まります。
    仕事にいかない1月が久々なので、
    どう過ごすかまだ決めてませんが、
    大きな波が来るのも覚悟しています。
    どんな日も私が生きている事に意味がある。
    最近の私の呪文です。(^o^)

    • 由紀子さん、そうです、そうですよ!(*^_^*)
      「どんな日も私が生きている事に意味がある」
      そのとおりです、由紀子さん、あなたがそこにいてくれる、生きていてくれている、そのことにとっても大きな意味があります!

      これから、愛する人の命日が続くのですね…
      辛いですね・・・

      でも、あなたがいるから、あなたの愛する人の物語をこうして知ることができます。
      あなたがいる、そのことに意味がある、私も心からそう思います。

  10. Kikiさんへ
    昨日は用事でデパートへ行きました。小さなお子さんを連れていらっしゃる家族連れや、お孫さんを抱いてあやしているおばあちゃまに目を伏せていました。
    「ママみたいな、ママになりたい」と言ってくれていた娘は子供を持つ喜びも、愛する人と結婚するチャンスさえなかった…ただただ涙が溢れて。
    娘の為の涙なのか、娘と一緒に歳を重ねていくと信じていた自分の願望が無くなってしまったからなのか…
    私以外の人達は幸せそうで、孤独だと痛感しました。
    今日は早朝からki kiさんのブログをまた読み返してました。
    ki kiさんには有難うしか言えません。

    • 美響さん、何気ない親子連れに自分の失ったものを再確認し孤独感を強く感じる…、すごくわかります。
      私もそうでしたから…

      三年が経過し、そんな孤独感との付き合い方もずいぶんうまくなってきましたが、いまでもやっぱり時々どうしようもなく気持ちが沈むときがあるのも事実です。
      ましてや、美響さんは、お子さんを亡くされたばかり、とてもお辛いことと思います。

      娘を亡くした最初の年、私は、母子を見るたびに世間から「母親失格」と言われているようで、罪悪感と自責に胸がつぶれる思いでした。
      また、そのたびに「ああ、私は娘を亡くしたんだ、もうあのような幸せな時間は二度と持てないのだ」と現実を直視しなければならず、鉛を飲み込んだような重たい気持ちに襲われたものです。
      そんなこともあり、暫く人に会えませんでした。

      こちら、アメリカは、明日はThanksgiving Day(感謝祭)ということもあり、Happy thanksgiving!などと皆々が口々に言い、普段は遠方に住む子世代も親元に集まってきています。
      そして、明日は家族みんなでにぎやかな食卓…
      でも、それは、私には望めない「普通の幸せ」
      普通だと思っていたことが、特別になってしまいました…

      今年は、去年とは少し異なり、子供の話を遠慮なくできる人が「羨ましい」という気持ちがあります。

      娘がいなくなってしまってから迎える四度目の感謝祭、寂しさと、それでも少しは祝いたいという気持ちが交錯しています。
      子供のいない私たち夫婦は、やはり子供のいない友人宅のThanksgiving Partyにおよばれすることになっています。
      友人のそんな何気ない優しさを素直に受け入れられるようになったことに自分でも驚いています。
      去年は、誘われてもどうしても「幸せな場所」に、出かける気になれませんでしたから。
      少しだけ強くなりました。

      それでも、『幸せを分かち合う日にいるべき人がいない』という悲しみは、いつまでたってもついて回るのでしょうね…

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