思い出を紡ぐ

思い出のレストランCorner Bakery Cafe

娘は、日本時間の六月十八日午前零時を少し回った頃に産声をあげました。予定日よりひと月も早くて破水から始まった私の最初の赤ちゃんは、最後も人より先に逝ってしまいました。

日本とフェニックスの時差は16時間。ですから、日本生まれの娘の誕生日はフェニックスでは二日間にわたります。

前回アップした通り、17日にチョコレートケーキを娘のために焼いたのに、失敗してしまいました。そんな私を思いやってくれたのか、夫が「明日は、かさねが好きだったCorner Bakery Cafeに行かない?」と思いもかけない言葉をかけてくれました。今から9年前、かさねがまだ大学生の二年生だった時、休みを利用してアメリカまで遊びに来てくれたのです。

この時カリフォルニアの私たちが宿泊したホテルの向かいにあったCorner Bakery Cafeでとった朝食をかさねはとても気に入って、結局二日続けて同じお店で朝食を楽しんだのでした。その時のことを夫は覚えていてくれたのです。

カリフォルニアのおしゃれなベーカリー・カフェでの朝食は、昔まだ子供たちが小さかった頃に毎週日曜日の朝に行った近所の新潟のベーカリー・カフェを思い出させ娘と私は昔に返ったようにはしゃいでいました。

実は、Corner Bakery Cafeはチェーン店でアリゾナにも同じお店がいくつかあるのです。翌日、夫は自分が言い出しっぺのわりには忘れていましたが(^_^;)、私が「Corner Bakery Cafe、朝食じゃなくて、ジムの後のランチに行こうか?」と言うと、あわてて場所を調べていました。

『いったんはオハイオに向けて旅立った夫が舞い戻り、娘の誕生日にもいてくれて、娘のお気に入りだったCafeに行く、奇跡だなあ…』と思いました。

私の予感は当たったのです。

地下水ポンプの工事は14日水曜日に無事終わりました。ですから、翌日木曜日に夫は出発することが可能でした。でも、週末にかけての移動は道路もキャンプ場もホテルも混むのでそれを嫌った夫は19日月曜日に発つと言ったのです。この時、夫は娘の誕生日のことは頭になくて単純に旅程だけを気にしてそう言ったことは、明らかでした。

というのも、そう言った翌日、夫は「週末の渋滞を避けるという意味では、日曜日の朝でもいいわけだなあ。日曜日に発ったら何か困ることある?」と私に聞いてきたからです。

「困るという事はないけれど、18日はかさねの三十回目の誕生日だからその日に発たれるのは辛いかも」と、私が言ったら「ああ、そっか、そうだったね、だったらやっぱり月曜日の早朝に発つよ」と慌てていましたから(-_-;)

それでも、娘の誕生日に夫がいてくれて一人じゃないと言うだけで私は嬉しかったのでした。

六月十八日は日曜日で父の日でもあり、オハイオの夫のお父さんに夫と二人でお祝いの電話をすることになりました。亡くなった娘の誕生日で、かつ数日後には私の父の命日も迫っていてとても「父の日」を祝う気分ではなかったのですが、夫としては両親を喜ばせる意味もあって「夫婦揃って二人」で電話をしたかったらしいのです。

夫の気持ちをおもんばかり気は進まないものの電話でお祝いを述べ、その後お決まりの世間話になりました。お義父さんのいつもの冗談にも笑う気にはなれず沈黙がちの私にお義母さんが「今日は何をするの?」と聞くので、「今日は、かさねの誕生日でかさねの好きだったカフェに行く予定です。生きていたら三十歳なんです。そう考えると寂しくて悲しくて…」と正直に話しました。

お義母さんは「え?そうだったの知らなかったわ。それは辛いわね」と申し訳なさそうに言いました。娘が亡くなってから二回、オハイオで娘の誕生日を迎え、そのたびに二人には伝えていたけれど、年のせいもあってか忘れられていました。

私にとっては大切な娘の誕生日、でも、夫の両親にとっては会ったこともない異国の女の子、友人の誕生日や兄弟の子の記念日など何でもかんでもカレンダーに書き留めるお義母さんなのに、私の娘の誕生日や命日は書き留めておいてはくれていないのでした。

仕方がないとは思っても、悲しくて涙が出ました。それなのに、娘より夫のお父さんを思ってお祝いなんて・・・。悪いとは思いながら、私にとってはお義父さんより大切な娘の誕生日、でも死んでしまって誕生日のお祝いの電話もできない、それが悲しくて辛くて泣かずにはいられませんでした。

私が泣きだし席を外してしまったので気まずい感じになってしまいましたが、『去年までのように本当は悲しいのに無理して元気にふるまうことなく、自分の娘に対する気持ちを優先できた』と、不思議に安堵感を覚えました。

夫もそのことを理解してくれたのか何も言わず、私が涙をふきふき「じゃあ、ヨガに行ってかさねの好きなCafeに行こうか!」と、いつもの元気で言うと「そうだね、そうしよう」と支度を始めました。

かさねと三人で行ったカリフォルニアのお店ではないけれど、かさねと楽しい時間を過ごした懐かしいお店。九年前のあの日と違って店内はガラガラで、メニューも全く同じというわけではないけれど、あの日二人並んで見上げたメニューボードを見るとまるで隣にワクワク顔のあの日と同じかさねがいるようで、とってもBittersweetな気持ちになりました。

あの日かさねが頼んでいたようなフルーツたっぷりのシリアルをオーダーし、これもやっぱりあの日かさねが買っていたようなマフィンを追加注文し夫と二人で分け合って食べました。

イチゴがたっぷりのったヨーグルトシリアル。でも、なぜか名前は「パフェ」

あの日はとっても楽しかった・・・

もう、二度とあの日のようなワクワクかさねには会えないけれど、きっと私たちの気持ちは伝わっている、そんな風に思うと少しの間だけでも楽しかった時間に戻ってあの日のかさねと過ごせるのでした。

「かさね、誕生日おめでとう」

思い出を紡ぐ」への17件のフィードバック

  1. キキさん、読んでいて涙が止まりませんでした。愛が溢れてますね。
    旦那さんの愛、キキさんのかさねさんに対する愛。かさねさんもキキさんが大好きなのが写真から分かりますね。
    思い出の素敵なカフェ。旦那さん覚えていたんですね。
    わたしも思い出の場所に行く事ありますよ。
    通学路や、バイト先。
    あの子の笑顔があった場所。
    どんなに探してもあの子は居ないけど。
    小さい智也の笑顔や成長してからの
    照れ臭そうな顔。思い出が溢れてきます。
    あの日に戻りたい。
    あの日に戻ったら抱きしめて母はあなたを愛している。
    だから死なないで。って伝えます。
    無理だけど。もどれないけど。
    夢にも出て来てくれない息子。
    今は静観。っておもってるのかな?
    思い出も愛おしいですよね。

    • 思い出の品、思い出の曲、思い出の場所…
      入ったお店で予期せず思い出の曲が流れ涙を隠すのに焦ったことを思い出します。
      アメリカでは、そんな時サングラスでごまかす遺族が多いと聞きました(^_^.)

      ほんとに…、思い出もとっても愛おしく涙がでます。

  2. Kikiさん、まずは私の脱線コメントごめんなさい。

    そして、あらためて、、、
    Kikiさんの、かさねさんとの思い出、カフェの写真、読んでいてずっと涙が止まらなくなりました。
    私達、何を間違えたのだろう、親子の絆って何だろう、問いかけ続けていますが、Kikiさんのこの文章の中に、そこから見えてくる情景の中に、ちゃんとお二人の絆が見えるから。かさねさんがお母さんを慕っていたこと、同じ思い出を共有して、きっと同じように大切に思っていたこと、そういうふうにしか私には見えなくて。涙があふれて、それは多分私自身もそうなのに、自分のことだと見失ってしまう。でもKikiさんとかさねさんに見せてもらうその絆は、多分私と娘の「それ」でもあって。
    どうしてこんなことに、という所でやっぱりつまずいてしまうけど、

    絆はあの時も今もほんとは変わらずあるんだな、と。見失ってしまうだけでいつもあったんだな、と。
    思い出がまぶしい。思わず目を閉じるほど。辛くて苦しくて絶望して見失っても、絆が無くなった訳ではなかったんだ。娘も、そうだったのかな。

    少しずつ、少しずつ痛みが薄れることがかえって忘れるような、薄情なような罪悪感があったりするのですが、きっとそれは私の間違い、勘違いですね。
    あの子と生きた日々をまるごと愛せるように、いつかなれますように。
    Kikiさん、ありがとう。

    • 脱線気にしないでください(^_^.)
      私も日本に居た時、中部地震を体験し新潟県でも大きな被害が出て支援活動を経験しているので良くわかりますから。

      「見失う」って本当に良くわかります。
      私も娘を亡くした一年目は何も見えず、娘を探してばかりいて、そして何かの拍子に娘の最期の状況が脳裏によみがえると泥の中に体が沈んでいき息ができなくなるような苦しさに襲われたました。
      苦しくて苦しくて逃げ出したくて手当たり次第に本を読み、人の話を聞き、そして泣き泣き生きてました。
      生きるために、苦しみ泣くしかなかった…、そう思います。
      散々苦しんだのちに、初めて「娘は誰も責めていない」と天からの啓示のように頭の中に響き、それから徐々に自責の念が消え、それと同時に新しい絆が結ばれていったように思います。

      「痛みが薄れることに罪悪感を覚える」、これも子供を亡くした親、特に自死遺族には良くあることで、私もそうでした。
      笑っている自分に気づき、ひどい罪悪感を感じ、何も楽しんではいけないように感じたこともありました。
      中には、その罪悪感を無意識に避けようとするのか、何年も何年も同じところにとどまりグリーフプロセスを進めない人もいます。
      そうすることが子供への愛のあかしだと感じる人もいるのだと思います。
      それでもご本人が普段の生活に支障がないようでしたら、それはそれでよいのだと思います。
      でも、私たちは自分の人生を生きて行かなければならず、そのためには回復していくことは悪いことではありません。
      回復したら、わが子を忘れるかと言えばそんなこともありません。
      実際、自責の念が薄れ純粋に愛情だけを感じることができ以前より深く深く娘が存在してくれたことに喜びを感じます。

      思い出が優しさを伴って蘇るとき、かなたのわが子も微笑んでいると感じ、絆をしっかりと感じることができるようになってきました。
      それでも、涙は流れ、悲しいことには変わりはないけれど、そこにわが子が教えてくれた愛を感じ喜びも感じる・・・
      親だからこそ、母親だからこそ、たどり着ける場所なんじゃないかなあと思います。

      私もまだまだ未熟ですが、絆を見失いようしっかり生きていきたいと思います。

  3. おしゃれなカフェで少しおすましして大好きなママと一緒に並ぶかさねさん。
    すらっとしてスマートさんなんですね。
    素敵な仲良し親娘ですね。
    あー幸せなあの日があったのに、どうして娘たちは先に逝ってしまったんでしょう。
    その問いかけの答えは見つかることはありません。
    kikiさんも私たちもこの世が終わるまで、娘たちとの思い出を繰り返し続けるのでしょう。
    娘たちの生きた証しを追いかける続ける。
    そうして生きていきましょう。
    遺された私たちにしかわからない思い。
    その残された辛い時間を一緒に過ごしてくれる
    ご主人がkikiさんを思ってくださること。
    本当に良かったです。

    • ももさん、ありがとうございます。
      最初の二年間は幸せな思いでは一つも思い出せなくて、思い出したくないのに押し入ってくるような娘の最期の状況ばかりでした。
      でも、その苦しみ悲しみを受け入れ心の底から嘆き悲しみ謝り「娘は誰をも責めていない」と感じた日から徐々に自責の念が消え、それと同時に幸せな思い出と感情が蘇ってきました。
      人は、悲しみと同時に喜びも感じることができ、悲しみは悪ではなく人生の一部であって悲しみがあることで人を人とするのだと思います。

  4. よかったですね。うらやましい。やっぱりご主人優しいですよ

    うちは逆に、夫は娘との思い出あるとこは行かないというのでなかなかいけなくなりました。
    ホテルのバイキングすら、あの子はバイキング好きだったと号泣するので、旅行もしづらいです。
    一緒に食べてて、最初は仕方ないかと思ってたけど、オイオイ泣かれてるし周囲はじろじろだし、さすがにねえ。

    食欲なくなって。部屋に帰っても鬱々で、挙げ句、二度とバイキング行かないと、私のセッテイングを責められたので、旅行に行って逆に疲れてしまいました。

    わたしは思い出あるとこにいきたいから夫婦での行動がしにくいです。
    お前パワフルで前向きだからいいよなと嫌み言われるので、レストランはひとりで行ってます(^_^;)
    鬱な夫と暮らすのに私も鬱ではもうなにも進みませんからね。夫は放置です。

    案外少し距離感あるほうがいいのかもですよ。うちみたいに過敏に反応するのはどうもね。

    かさねちゃん、1ヶ月早いんですね。
    うちと一緒ですよ。
    2197グラムの未熟児でした。
    かさねちゃんみたいにほっそりしてて。
    似てますねえ。

    アメリカの風景とか食事とか、本当に最近楽しみです。(そんなとこ楽しみにしてすみません)

    そういやアメリカの介護ってどんなシステムなんですか。
    日本は介護保険があり、地域包括支援センターなどが地域の窓口ですけどね。

    いつかはご両親の介護もでてくるのかなあ。

    • さきほど、NHKのネットニュースで、アリゾナが記録的な猛暑で飛行機運休とか、動物園が大変とありました。
      48度予想なんて暑すぎるし
      エアコン故障相次いでるんですね。
      そうなるとご主人の帰省がひとりで、車で、というのは怖いなあ。
      御体気を付けてくださいね。

      • しろちゃん、ありがとうございます。
        日中は50度近くまであがりものすごい暑さですが、今朝は29度まで下がっていたのでやっぱり五時半から一時間、草刈りをしてしまいました。
        気温は高いけど、湿度は20%程なのでそれほど不快ではなく、朝仕事は気持ちいいんですよ、汗かくしほこりまみれになるけど(^_^;)

        友人宅では、真夜中に停電しエアコンが使えず大変だったようです。
        うちのあたりは、大丈夫でした。

        夫は、今日はインディアナ州でキャンプしてます(*^_^*)
        気温は20度台でアリゾナよりうーんと涼しいですが湿度が高いらしく不快だとさっき電話で言っていました。
        明日の午後にはオハイオの実家に到着できるようです(^^)

    • Kikiさん、しろちゃん、脱線してごめんなさい。
      熊本では小さな余震がずっとあるようで、しかもたった今は豊後水道(大分)で震度5とのこと。
      震度5では意外と大きな被害はなかったりするのですが、本当に色々心配が続きます。どうかお気をつけて!
      日本はどこも、危険ではあるけど。

      • とり子さん。
        ありがとうございます。震度5強でしたね。
        熊本は毎日数回余震あってます。
        大分も熊本地震では結構被害あったし、大規模な地滑り発生してて、避難が長期化してる地域も。一時間に20センチも移動したりね。心配です。

        通常は震度5強では被害ないけど、
        福岡西方沖地震では、震度5強でブロック倒壊して一人亡くなったり、我が家ではガラス食器落ちてきたりしました。

        あと熊本地震では解体はまだ半分程度しか終わってないので、危険な家屋がさらに壊れたり、宅地ののり面や擁壁崩れたりしてないかなあとか、川の両岸の土地が1メートル以上下がってるとこもあり、土嚢で対処してるのでそれも不安。
        なにより余震のたびに、避難袋抱き締めて逃げ出さなきゃ怖いので、眠れないですよね。
        震度5ですむか、7までいくかなんて予告ないし。

      • 私も阪神淡路大震災の時大阪吹田にいたので、震度4、5の怖さは身を持って知りました。
        ただ、東北と、それに続く熊本の余震の多さは、今生きてる日本人には未経験の出来事だと思います。
        いつどこであるかわからない日本なので、本当に被害が少なく無事でいられることを願うばかり。
        梅雨時期でもあり、心配は続きます。

      • それで高齢者の認知症や子供の不安定さ増してて、地震て長期戦だなあとしみじみ感じます。
        とりこさんも気を付けて。

      • そうでしたか。
        怖い思いされたんですね。
        そうですね。東北に次いで余震の多さは2位だそうです。
        日本は地震活動が活発期に入ってますものね。
        東京にいたときは、幼稚園から、防災頭巾やキャンディ、三角巾など非常袋を作って園に置いておくよういわれてびっくり。
        九州はそういうのなくって。
        でももう日本中、学校に備品で置いててほしいですね。
        地震以外に大雨もありますし。
        大規模な災害は精神的にも追い込まれるので心配です。

    • 夫婦でも、グリーフプロセスが異なるので辛いですよね…。
      うちも、一年目、二年目はすれ違ってばかりで苦しかったです。
      最もうちの場合は、娘は彼の子供ではないし、彼にとっては私の娘と一緒に過ごした時間もほんの二週間程度で、あとはたまのメール交換ぐらいでしたから、ショック度合いが違い過ぎるのもありますが。
      私は泣いてばかりで、ぐちぐち鬱々と後ろ向きな同じ話ばかりするので(私はそう思ってなくても夫はそう感じていたらしいです^^;)夫は、内心うんざりして半年過ぎた頃からは夫婦の関係も悪くなりました。

      私は、悲嘆にくれているだけだから、話を聞いてもらえば楽になると考えていても、夫は「鬱だから医者にかかって薬を処方してもらったほうがいい」とアメリカ人らしく「薬で即効解決」し、早く私の悲嘆から解放されたかったようです。
      「悲しみイコール鬱」と誤解していてグリーフを理解できないんですよ、私と違って彼はこれまで大切な人の死に直面したことないですから。
      そのせいもあって、私はなるべく一緒の時間をとらないように、毎朝ヨガに行き昼までは帰ってこないようにしました。

      今回のオハイオ行きもお互いのために良いと判断し決めました。
      実際、オハイオに行かないと決めたら私も気が楽になったし、夫も私の悲しみと付き合う必要なく半年間はオハイオで好きなことだけして家族に囲まれて過ごせるので嬉しかったようです。
      「妻は夫に従い、いつも共に行動する」ことが保守的アメリカ(アメリカ東部)地域の常識なので、私たち夫婦は非常識なわけですが、お互いの気持ちを尊重しお互いが気持ちよく過ごせる夏を選択したことは良かったと思ってます。

      うちのかさねは予定より一か月早く出てきましたが、3210グラムだったんです(^_^.)
      だから、ちゃんと月が満ちてから生まれていたら4000グラムぐらいのビックベービーになっていたと思います(^_^;)
      あの写真の頃は一番やせていたかも、かさね。
      無理してすごいダイエットしてたみたいなんです…
      そのせいもあって体調崩したんじゃないかなあと、今になって思います(._.)

      アメリカの介護システムはひどいですよ。
      お金がある人はそれこそ優雅な最期を迎えられますが、ない人は施設にも入れてもらえないです。
      一人暮らしができなくなるとナーシング・ホームと呼ばれる施設に入居しますが、安くてもひと月日本円にして80万ほどかかるようです。
      8万じゃなくて、80万です(@_@;)
      だから、施設で死ぬことを予定して大体の場合家も家財道具も一切売ってお金にしてから入居します。
      施設側は、その人が死ぬまで払えるようなら受け入れますが、儲からないような人だと受け入れない場合もあります。
      いったん入居できれば追い出されるという事はないようですが、財産が尽きた場合は公的補助だけでは施設側は儲からないので受け入れたがらないんだと思います。

      アメリカでは年を取ったら子供の世話になるという考えはもともとないので、80才でも、子供が近くに住んでいても、同居は珍しいですが、やはり結局のところ子供や姉妹親戚、または友達がいざという時には世話にきます。
      医療費は、65才以上になるとメディケアという日本でいうところの国民健康保険のようなものでカバーされるのですが、薬代はカバーされないので全額自己負担です。
      多い人は薬代だけで毎月何十万とか支払わなければいけない人もいるようです。

      そうですね…、夫は早期退職で私は今仕事をしていないので、私たち夫婦が一番自由がきく立場上、夫の両親が介護が必要になったら私たちが世話をすることになると思います。
      でも、夫は『親の介護が必要な状態になったら』などという先のことは考えたくないらしく、「そうなったらその時考えればいい、今は楽しいことだけ考えて楽しい時間を過ごすこと優先」と、お気楽です(^.^)

      私も娘のことがあってから、毎日自分が生きるだけで精一杯なので、夫の両親や私の実家のことなどは考えないことにしました。
      「どうしても必要になったらその時にかんがえればいいし、いろいろ先回りしてやったとしても結局なるようにしかならないから無駄な努力はしない」ことにしました(^_^.)
      これも、娘が亡くなって学んだことの一つです。
      それに、子供や孫のいる夫の両親より、本当のところ子供のいない私たち夫婦の老後の方がはっきり言って心配しなきゃいけないわけで…
      「なるようになる」、これしかないです(^_^;)

      • 保守的アメリカかあ。
        想像できませんでした。
        そういや保守派もいますもんね。
        日本の介護制度って、結構いいのかも。
        ああ、でもお金ない高齢者は、アパートの部屋に仕切りもなくベッド並べてあるだけのとこに入れられるケースでてきてるみたいです。
        野戦病院みたいなね。
        違法なんじゃないかなあ。
        劣悪な環境で、とニュースあるし。
        私たちも子供いないから保証人いないってことで
        かなり心配です。
        母も、まだ要介護1でも、有料老人ホームですでに月額20万円くらい。
        要介護度あがると、介護保険利用料も万単位で上がり、施設もオプションが増えるし、だそうです。
        月額5万円以上はあがりそうです。
        ピンピン頃りっていけばいいですけどね。
        とはいえなるようにしかならないので、私も今を楽しく生きようと思います。
        ご主人無事に到着するといいですね。

      • 私も実際暮らしてみるまでわかりませんでした。
        アメリカは、日本で想像していたものと大きく異なり完全な資本主義です(日本は民主主義)。
        特にトランプ政権に移行してからは、福祉切り捨て、金持ち優遇、男尊女卑、白人第一主義、よその国や国内外の環境汚染は無視、自分さえよければそれでいいという…

        アメリカンドリームなんて言うのは、まさにただの「ドリーム」です(^_^;)
        そういう面では、日本の方が年をとっても国民全員がある程度安心して暮らせる国かもです。
        なんてたって、病気になっても国民保健があるし、年をとっても介護保険がある。
        アメリカはどちらも存在しません。

        制度と言えば、産前休暇も産後休暇も制度的に確立してません。
        お金のない人は休まず生まれるその日まで働き続けます。
        入院も不通分娩なら三日で退院。
        生まれた後は、お金と子供を見てくれる人がいるかいないか次第です。
        保育園なんてないので、仕事に行くためにディケアに子供を預けるとひと月で15万から20万も取られると聞きました。
        だから、子供を育てるために専業主婦でいる人が結構多いです(^_^;)

        話が脱線しました(@_@;)
        すみません。

        ありがとうございます、はい、夫は無事にオハイオに着いたようです(^o^)

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