たくさんのIF

その時の自分にはわからない未来のこと

IF…、自死遺族にはたくさんの「IF」が残されます。『もし、あの時こう言っていたら』『もし、あの時あんなことを言わなかったら』『もし、あの時自分がそばにいたら』『もし、もっと早くに気が付いていたら』…、そして、その「仮定」文のあとにくる文末は「自殺を止められたかもしれない」「今も生きていたかもしれない」という現実に起こってしまったこととは反対の「WISH」…。

それは、後に残された者の覆すことのできない現実という過去と「こうだったかもしれない」という現在の後悔と自責です。

では、もし愛する人が自死していなかったら、「あの時、こう言ったから死ななかったんだ」と考えるでしょうか? いいえ、「IF」をもたらさない過去は単なる過去となり、生前実際どれだけその人の生きる支えとなったかという現実も後に残されたものには知るよしがないのです。

自死遺族のお母さんとの会話

先日アメリカに住む同じ自死遺族のお母さんと電話で話していた時のことです。

「いまでもね、時々『もしあの時ああ言わずにいたら』って思う時があるけど、あの時の自分には翌日に起きることなんて想像もできなかったことで、あの時の自分が知り得た範囲内でベストの言葉だったんだと思うの。だから、たとえタイムマシーンがあってもう一度あのシーンをやり直せたとしても結局いつかどこかの時点で同じことが起きたんだって思う・・・。だって、もしもあの時の私の言葉で彼が傷つき、それが原因で死を決意したとしても、たぶんそのずっと前から彼の精神状態が普通ではなかったからなのだと思うの。そうでなければ、たまたま私が言った言葉で死んじゃうなんてありえない。それまでにだって同じようなことは何度だってあったんだから。だからね、私には結局どうすることもできなかったのよ…。たとえあの日彼が生き延びたとしても、いつか同じことが起きたのよ…」

彼女のその言葉には、『どんなにしたってどうすることもできなかったのだ』という無念さと悲哀がこもっていました。そして、私も彼女と同じ気持ちでした。他の人だったらなんでもないたわいのない会話で、絶対それが原因で死んだりしない言葉、いえ、それどころかいつもだったら元気づけられる言葉だったかもしれない…、でも、亡くなった人にはおそらくはその日そうとは聞こえなかったのだろう、と…。それどころか、どんなに思いやりのこもったやさしい言葉も、死にたいほどの心の痛みを抱えている人には届かず、反対に死出の旅路を後押しさせるものになるのかもしれません…。

自死した人の一番身近にいた人、それは家族であり友人です。身近にいるからこそ、亡くなった人がその人たちと最後に会話をする確率が最も高くなります。そして、その会話の後に愛するものが自死で亡くなったとしたら、のちに思うことは「もし、あの時・・・」というたくさんのIF。

でも、そうなのです、その時の自分はそのあとに起きることは何も知らない・・・

それでも、やっぱり生きていてほしかったからなんとかして過去を変えたくてたくさんの「IF」というシュミレーションを行い、そしていつか過去を変えられないことに気づき、どんなに辛く悲しくてもその現実を受け入れるときがやってきます。

それは、とても寂しく空しい瞬間ですが、過去を過去とし現在を生きる用意ができた証でもあります。

八年目の命日を迎えるお母さん

先週の木曜日はシャーロンの息子さんのお墓参りをするため彼女と墓地で待ち合わせをしました。フェニックスは既に初夏かと思われるほどの陽気で18歳で亡くなった息子さんのビンセント君が生きた証の記念の蝶のプレートのある墓地の一角にも熱いほどの日差しが降り注いでいました。おそらくは、たくさんの人がその場所で亡き人を思って何時間も過ごすのでしょう、記念碑のそばには小さなテーブルと二つの椅子がおいてあって、腰を掛けゆっくりと亡き人を思うことができるように計らってありました。私たちはそこで去年と同じく近くのお店で買ってきたアイスコーヒーを飲み、命日のための飾り付けをしました。

近くで買ってきた飲み物をテーブルに置きフェニックスの午後を亡き人の思い出話でゆっくりと過ごしました。

シャーロンが「Decoration」と呼ぶ、ビンセント君のための飾り付けは彼女が母として亡くなった息子さんのために今もできる唯一のことで、彼女にとって大切なグリーフワークの一つです。日本人がお彼岸、お盆、命日などにお墓に行ってお掃除をし、花を供えロウソクと線香を焚き静かに手を合わせ故人を偲ぶのと似ているかもしれません。今年は、私もビンセント君とシャーロンのために貝殻で作った贈り物を用意してきていました。去年の秋にフロリダの海岸で拾い集めた蝶の形をした貝殻を使った手作りアートです。

蝶の形の小さな貝殻でビンセント君の名前の頭文字「V」をアレンジました。

シャーロンは、ロックアートが好きで今年もハート形の石にビンセント君の好きだった色でペイントし、蝶をアレンジしたものと、箸で作った十字架にお花を添えた作品を二つ供えていました。この墓地は、共同墓地で景観重視のため原則個人のお供え品は行わないように決められていますが、遺族の気持ちを汲んで命日などの特別な日の飾りは咎めず、その代り翌週の定められた日までに取りに来るか、とりに来れない場合は墓地の管理者が処分することになっています。

岩をもした記念碑に故人の名前を刻んだ蝶のオーナメント。

記念碑のそばに飾った手作りの品じな。Vinnyはビンセント君の愛称です。

飾り付けが終わると、ゆっくりと腰をおろし彼女のために娘さんが作ってくれたビンセント君の思い出のアルバムを開いてシャーロンから想い出話を聞きました。私は生前のビンセント君には会ったことがないのですが、この二年間彼女から何度もビンセント君の話を聞き写真を見せてもらっているうちにずっと昔から彼のことを知っているような気持ちにさえなります。

「Kikiは、ちゃんと写真を一枚一枚興味をもって見てくれて話を聞いてくれるのね。ありがとう。ビニーが逝ってしまって八年もたつと昔からの友人でさえ私が写真を見せたくても全く興味がないかのように他のことに気を取られたり携帯のメッセージを覗いたりするのよ。とても悲しいわ」

私は仕事もしていないし、他に面倒を見なければいけない子供もペットもおらず、時間にも余裕があるからなのかもしれません。他の人はみんな自分の生活で忙しいのでしょう。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが、後に残された親は、そういう友と接することは寂しい限りです。だって、その友人だって携帯でとった最近の子供の写真を見せるときは子供の話をしたいからなのだし、わが子の成長を見てほしいから見せるののに、それが子供を亡くした親にはできない・・・、あるのは遠い思い出の中の愛するわが子の笑顔だけなのですから・・・。

『もし、今もわが子が生きていたら…』と、思います。

IF・・・

でも、その今の私の「IF」の後に続くのは、過去の現実とは異なる結果のシュミレーションではなく、「楽しい時間を一緒に過ごせるのに。一緒だったらもっとどんなにか楽しいだろうに」という、現在の私が現実では叶えることのできない「WISH」・・・

ようやく強い罪悪感と自責からは解放されたけれど、やっぱりたくさんの「IF」が溢れていてその子がいないことを思い知らされるのです。

ふっと、霊園に一人の男性の姿が目に入りました。

一人墓石のそばに腰かけアイフォンから流れる音楽を聞いていました。その肩を落とした後ろ姿にはなんとも言葉にできない悲しみが見えました。彼の腰かける椅子の横の墓碑には二十代と思われる男の子の写真がありました。きっとその男の子のお父さんなのでしょう。スーツ姿のその方は、仕事帰りに毎日こうしてお墓にお参りしては一人静かに息子さんの残していったアイフォンで息子さんの好きだった曲を聴きながら泣いているのだと思います。

日が沈みかけた霊園は驚くほどに穏やか時間が流れていて、亡き人のために添えられた花や風船が風に揺れ、悲嘆にくれる人を静かに包んでいました。

霊園の別の場所にある亡き人の名前が刻まれた石版を埋め込んだ広場で記念写真をとりました。シャーロンが収めたビンセント君の物ももちろんあります。私たちの後ろに写るAngel Hopeの石造は、亡き人の魂がやすらかであるようにと祈る遺族の思いが込められています。

たくさんのIF」への10件のフィードバック

  1. 明日から京都東本願寺や祖廟に墓参りで、東本願寺のホームページ見ていたら、なんと、東本願寺主催のフォーラムが26日に福岡で開催、しかも 
    姜尚中さん、磯前さんと豪華メンバーで、親鸞聖人と震災のフォーラムです。
    磯前先生は日文研の教授で宗教学者。東北の震災後、被災地を歩き、フィールドワークされてて、かれの著書で臨床宗教師など知りましたチャプレンですね。
    あまり報道されてないからか未だに参加募集中。
    なかなかない豪華メンバーのお話と喪失への向き合いについて伺って来ようと思います。
    3月4月は、震災の祈り時です

    • しろちゃんさん、磯前さんは残念ながら私は存じ上げませんが、娘を亡くした翌年、姜尚中さんの「心」を読みそれから彼のファンになりました。福岡でフォーラムがあるのですね!震災で愛する方を亡くされ喪失と向き合われている方の助けになったらいいですね!(^^)!
      参加されたらぜひ感想をお知らせください!

  2. kikiさん、皆様こんにちは。
    実家の公費解体事前立ち会いに行きました。

    役所からは、解体業者協会とコンサルタントが来ましたが、解体業者協会が見るなり激怒して、この家族はやる気ないから、解体延期、いや、解体しないと出てきました。

    どうやら、カーテンや生活用品が残っていたのを、解体業者に生ごみからすべての処分を押し付けるあくどい被災者、と勘違いして、聞く耳なしで。ゴミ処理分別は大変な労力金額で、押し付けられた解体業者が倒産相次いでるそうです。

    ただ我が家は役所から、生ごみだけ処分したらいい、家具の下敷きの生活用品搬出はしなくていいと言われたので、(柱折れて斜めで危険)
    役所と現場の解離、自分勝手な被災者の、いわばとばっちりでした。

    私は現場に廃棄物処理業者も呼んでいたので、少し遅れてきた彼も怒って、期日までにきっちり処分するとたんかきって、だんだん県外から来てるなど事情理解して、最後は笑顔で協力してくれました。

    倒れた家具の下の衣類、用品もすべて廃棄。家具以外廃棄しないといけないそうです。というわけで、100万円かけて廃棄をお願いしました。
    人手、トラック不足で値段も高騰。
    それにしてもそれ以外にエアコン室外機処分で10万円、帰省費用ととんでもない費用です。

    実は怒ってたかた、福島から手伝いにきたかたで、自身わかった上で被災者にハッパかけて解体がスムーズにいくようしてるとこもあるようでした。廃棄する意志がない被災者、廃棄代金払えない被災者、払っても仕事しない業者たくさんいて、解体業者があおりを受けてるようです。

    というわけで、日雇い日払いもあるでしょうから、処分業者には内金もいれることにして、危険ながらお願いします。
    まだまだ余震毎日で、作業中に余震ないよう、これ以上天井落ちないよう祈るばかりです。
    地震保険入っててよかった。
    家屋再建築の前に処分費用がね。

    来月再来月は、介護認定更新や、搬出、解体でバタバタです。

    帰りに兄弟と実家の墓参りに行ったら、兄弟から、
    あ、来た来たと。
    娘が登場したそうです。見えるなんていいなあ。見えないし。
    兄弟は怒鳴られてもおうようおっとり構えてましたが、亡くなった父や祖父母、その兄弟、その上の御先祖が現場に集結してるのが見えてたらしいから、
    これは説得して最後はうまくいくと確信していたそうです。
    娘はどこか行ってたみたい。
    どうやら、京都旅行は御先祖軍団から、彼岸の総本山参りを命令されてるそうです。実は別のとこに行く予定でしたから、なぜ京都にだけ予約取れていけるのか、今も不明でした。

    またしばらくゆっくりします

    • しろちゃんさんから聞かなかったら絶対わからない現場の大変さ。
      廃棄に100万円ですか!?
      私だったらマジお金なくてできないです(^^;
      お話を伺い廃棄に消極的な被災者さんの気持ちもわかる気がしました。
      本当にみんな大変ですね…
      なんだか、それしかいえないのも申し訳なく罪悪感さえ感じるしだいです…

      しろちゃんさんにはちゃんとご先祖様と娘さんがついていていろいろ奔走しててくれるみたいで、そのときは「え~!?」と言うような事態が起きても(今回の場合は解体業者さんのお怒り)こちらが心静かに受け止めていればちゃんと良いように納まるようになっているんですね。
      前回のことといい、今回のことといい、本当にありがたいことです。
      京都旅行も行くべくして行く、という感じですね(^^)
      ゆっくりしてきてください。

  3. 今、息子の部屋のベッドで寝てました。
    そしたら息子の夢を見ました。
    仕事もしてる。彼女がちょっと浮気症で別れようか迷ってる。なんて話をしてました。
    ハグして智也の部屋はあるからもどっておいで。って言いました。少しの思い出話して今日は仕事にもどる。って言ってました。
    智也、ごめんね。っていうと振り返り笑顔で手を振りました。
    いつか、って思ってたけど、今日!
    夢から醒めたらあぁ、やっぱり居ないよね。って寂しくなりました。
    でも、会えた。嬉しかった。

    • よかったですね。
      私に最初現れたときは、謝って、未遂で助かったから元気になれば塾に行く、でした。次は、死ぬのやめようかな、とかやっぱり死ぬとか。
      最近ようやく穏やかに会話できるようになりました。
      そのうちめっちゃリアルに抱きしめられますよ。体温も感じます。
      智也くん、お母さん好きだったんですね。感謝で一杯じゃないですか。残念だけど、この世での縁は切れたけど、精神的な霊的な縁はさらに強固なものになったんですね。
      やっぱりお互いに会話できる周波数の合わせ方があるのかも。
      もうすぐすると夢の中で楽しく遊びにいったりもできますよ。
      智也くんもこの世での修行終わって、お母さんにずっとくっついてて。そんな二人を更に御先祖さまが見てて。
      由起子さま。
      これから奇跡的なことも感じられますよ。
      本当によかった。

    • しろちゃん。ホントに嬉しかった。
      ちょっと照れたような笑顔。
      明日は息子の好きだった親子丼作ろう。
      またいつか私の所に帰ってきますよね。
      それを楽しみにしよう。
      まずは、1日1日を大切に生きようと思います。

    • 智也さん、笑顔で手を振ってくれたんですね、ああ、なんて素敵な夢でしょう。
      智也さん来てくれましたね、由紀子さんのところに!
      会えて良かったですね。

      姿が見えなくてもこれからもずっとずっと由紀子さんのそばにいてくれますね、智也さん(^^)

  4. たくさんのIFわかります。
    そして、ため息と、涙です。
    ああ、もっとこうしてあげれば。
    あれもしてあげたかった。
    キリがありませんが。
    悲嘆と向き合う時間も私の時間。
    悲しんでるのによその人は孫の話をしてくる。どんなに望んでももう手に入らない幸せ。
    でも、ずっと若い息子と共に生きて行くのです。
    部屋を少しだけ片しました。写真がたくさん出てきて。嬉しかった。
    小さい頃の息子、可愛かったなぁ。
    そして涙。夕方から仕事…
    あんな事あったね。こんな事もあったね。
    胸の中で息子と話します。返事はないけど。
    いつか夢でも会えたらいいなぁ。
    たくさんごめんねを言います。
    ありがとうも伝えます。

    • 「でも、ずっと若い息子と共に生きて行くのです」
      『ああ、そうだ』と、はっとしました。
      由紀子さん、本当におっしゃるとおりですね(^^)
      由紀子さんからいただいたこの言葉を私も大切にして生きていきます。
      ありがとう、由紀子さん。

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