フェニックスは春です

山全体を覆うポピーの花に抱かれて

今日は、三月三日。日本はひな祭りですね(^_^.)

こちらフェニックスは、少し前から咲き始めたポピーの花が満開を迎えました。本当に、10年に一度見られるか見られないかと言うほど山全体を覆うようにポピーの花が咲き乱れています。先週末から冷たい雨が降り、咲き始めていたポピーの花も枯れてしまうのではないかと懸念されていましたが、気温が上がるとともにまた一斉に咲きだしました。

本当に驚くほどの数のポピーに、この日夫も私も感動しながらハイキング・トレイルを散策しました。

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数日前に見に来たときは、みんな花弁を固く閉じていて前日の霜にやられてしまったのかなあと思っていたら、ポピーは気温の低い日や風の強い日、曇りの日は花を開かないのだそうです。また、この種類のポピーは日本ではハナビシソウまたはカリフォルニアポピーと呼ばれているようです。

21年前の弟の死とグリーフプロセス(悲嘆の過程)

先々週から先週末までは雨の日が多く、気持ちも下降気味だったのは、実は21年前に亡くなった弟の命日がこの三月九日と近くなってきていたからなのだと気が付きました。

娘は自死で亡くなり、あまりの突然の死に自分もその日に死んでしまったかと言うほどのショックで、文字通り私もあまりのショックに最初の一年から二年は半身不随状態でした。でも、弟の死は、余命六ヶ月という大腸癌宣告から始まり、その六か月の間に自分ができる限りのことをさせてもらえる時間を与えてもらえたので罪悪感や自責の念が少なくて済んだのかなあと思います。それでも、死んでいく弟を目の前にして何もできない自分が無力に感じられ、辛く虚しく悲しかった・・・

病院のベットではなく自宅で最期を過ごしたいと言う弟の意思を尊重し、母と共に弟の世話をしながら少しでも長く生きてほしいと、実家と職場を二時間かけ毎日のように往復していました。

弟は、既に体中を癌に侵され、帯状疱疹も出て痛みと闘う毎日でした。それでも、「痛い」とは一言も言わず、歩くのもやっとだったはずなのに、私が帰るときには玄関先まで見送ってくれ「ありがとう」と笑顔を返してくれました。

「泣いてはいけない」と必死で涙をこらえ「また明日」と笑顔で別れを告げ、車に乗り込むとみぞれ交じりの空のもと新潟まで車を運転しながら涙が止まりませんでした。

一つ年下の弟が三十という若さで、どうして死ななければいけないのか、一生懸命生きてきただけなのに、どうして…

車内には「米米CLUB」の曲が流れていました。弟は、ボーカルのカールスモーキー石井(石井達也)をもう少し甘くしたようなハンサムさんでした。姉弟なのに少しも私に似たところはなくて、誰からも好かれるような高感度抜群の青年でした。

それが、東京での事業に失敗し、借金をかかえ…、過労とストレスから癌に…

医師から見せられた弟の胸部レントゲン写真にはまるで夜空の星のように癌細胞が散らばって写っていました。その横で黙って座っている弟の顔とその写真とを交互に見詰め「コレハナニカノマチガイニチガイナイ」と、心の中で何度も何度も繰り返している自分がいました。そして、医師は「大腸から肺にも転移しています。早くて六か月、もって二年です。しかし、それ以上生存する方もいます・・・」

まるで感情を持ち合わせていないかのように淡々と話す医師の言葉がむなしく、そのあとは良く覚えていません。ただ、目の前が真っ暗で昼だというのに明かりががすべて消えてしまったように感じていました。

・・・・・・・・

「桜の花が咲いたら一緒にお花見に行こうね」

そういって、少しでも長く生きてほしいと弟の看護をしながら言っていたのに、弟はまるで「姉ちゃん、俺、それまではもたないよ」と言うかのように寂しそうに微笑むだけで「うん」とは決して言ってくれませんでした。

三月九日、まだ春は遠く、みぞれ混じりの冷たい雨が降る日、弟は逝きました。

亡くなる直前、もう息も絶え絶えで話すこともやっと。弟の視線で、誰かを探している様子に『あ、母を探しているんだ』と、急いで台所の母を呼びました。脳出血で倒れて以来寝たきりの父はその時車いすに座ってぼんやりと弟の顔を見ていました。あわてて母が枕もとに来ると、弟は安心したかのように声にならない言葉を一言二言言うと、大きく一呼吸しました。

母が「お父さん、ほら、覚の手だよ!!」と、父の手を取り弟の手を一緒に握りしめました。

その時奇跡が起きました。

脳出血で倒れて以来、話すことができなくなっていた父が一瞬正気に返ったかのように「サトル!!」と息子の名を大声で呼んで涙をボロボロ流したのです。これには、枕もとに集まっていた皆が驚きを隠せず、父の顔を見、そして弟の顔を見やりました。

弟の目には涙が光っていました。

「覚、お父さんの呼ぶ声が聞こえた?」と私が耳元で言うと、少しだけうなずき、目を閉じました。一筋の涙が弟の頬を伝って流れ落ちました。荒かった呼吸は、だんだんと間遠になり、そして止まりました。

その瞬間、弟の魂が目の前の体から抜けていくのが私の目には見えた気がしました。

21年たった今でも、昨日のことのように思い出されます。何年たとうとも弟を思うとき涙がこぼれます。弟を亡くした時、私も31才と若く、日々の生活に追われ「グリーフ」などと言う言葉さえ知らずに、悲しんでいる暇もなく葬式の準備に追われ、そのあとはただただ子育てと仕事に忙しく、ちゃんと泣く時間がなかったのだと思います。

ある日、一人洗濯ものを干しながらふっと胸に大きくぽっかりと穴が開いてしまった事に気が付きました。すると、突然いいようもない寂しさに襲われ大声をあげて号泣しました。これが、グリーフの始まりだったのだと思います。

弟を失った悲しみを受け入れその悲しみと共存できるようになるまで十年かかりました。

それでも季節はその間もちゃんとめぐり毎年春はやってきました。満開の桜の花を見るたびにその美しさと儚さに一人涙しました。21年たった今も、やはり桜の花は春の到来と言う喜びと逝ってしまった弟を思い出させ涙を誘います。

桜の花はとても弟に似あっている、と、そう思います。

しかし、私は、このアリゾナの地に咲くポピーの花のように生きるのです。弟を亡くし、娘を亡くし、死んでしまったかのように土の中にあっても私は生きる。何も育たないように見える荒涼とした地で、暖かい年の到来と恵みの雨を何年でも待ち、いつか太陽に向かって精一杯の花を咲かせ、風の吹く日は花弁を閉じ、日のさす日にはこの時とばかりにまた花を開き、山全体が黄色に見えるほどに花をつける。そんなポピーの花のようにどんなに辛くても自分の人生をしっかりと生きぬきたい。

娘の遺品のカメラを手にヨガパンツのまま花の写真をとるKikiです。

娘の遺品のカメラを手にヨガパンツのまま花の写真をとるKikiです。

自分の写真なのに、おどけた様子はどこか亡くなった娘を思いだします。

自分の写真なのに、おどけてみせる様子はどこか亡くなった娘を思いだします。

 

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求めれば光はそこにあり、大地は全てを包むこみ、再生がはじまる

 

 

フェニックスは春です」への34件のフィードバック

  1. ももさん
    お辛いですね。私も、駅や道 レストラン全て娘との想い出ばかりでね。泣いてばっかりですよ。テレビで入学だ卒園式だと出ると辛いしね。
    認知症で、私を嘘つきの泥棒と暴言吐きまくる実母みて、なんでこの人はまだ生きてて、優しかった娘が死んだのか、恨めしくなります。

    最近お医者様ともお坊さんとも話してみんなでいうのは、やはり寿命というのがあるということです。
    自死も、未遂で発見されることもあるし、うちみたいに、同じ家にいて、私は発見できなかった。
    だから、私たちは寿命前に命を断とうとしても断てないし、お迎えすら来てくれないのではと。
    ですから、寂しい辛いけど、子供が今度は迎えにくるまで、この世で修行しておくしかないのでしょうね。

    西本願寺は自死に関する報告書や本をネットで公開したり販売したりしてますよ。私は100円くらいの本ばども購入して読みました。
    関心あれば。

    ちなみに東本願寺の大谷祖廟は永代供養つきで、菩提寺の許可も不要で安かったです。
    東西本願寺どちらでも料金はサイトに掲載されてます。
    分骨も可能です。
    あとはお母さんのお気持ちのままです。
    東京ならいろんなお坊さん集まった自死遺族のための宗教の会ありますしね。九州では供養もありますよ。

  2. みなさんおはようございます。
    ももさん、きっと良く眠れてないのだと思います。
    寝ていても緊張しているのね。
    わたしもそうです。たまに職場の方がカイロプラクティックをやっているので二週間に一度位通ってます。
    お風呂にゆっくり浸かるのも一つの手ですね。
    ももさんも仕事して、仕事の緊張もあると思います。仕事中は泣けませんものね。
    ももさんが少しだけでも心穏やかに過ごせますように。
    わたしもキキさん、しろちゃん、ままんさん、ももさん、子供を自死で失った親の事を考えます。
    泣くのはいい事です。泣く事に対して罪悪感なしで泣くといいですよ。罪悪感もストレスになると思います。
    私たち、自分が死ぬより辛い思いをしているのだから。
    息子がなくなって間もない頃、自分が死んだ方がどんなにマシだったろう。
    息子のところに行きたい。って泣きましたよ。
    今の私は家で思い切り泣く。
    お風呂にゆっくり浸かる。メンタルクリニックで自分の想いを吐き出す。
    カイロプラクティックで人の手で触ってもらう。
    これが少しの癒しになってます。
    仕事してると自由がきかなくなりますよね?
    私はキツかったらやめてもいや。
    六月のボーナスもらったら考えよう。
    続けられそうなら12月まで頑張ろう。
    って、仕事は期限付きで頑張る事にしました。
    そしたら気が楽になりましたよ。
    ももさん。まだまだ穏やかな日々とは言えませんが一緒に生きて生きましょう。
    ももさんが1番近いかもです。
    私は静岡県中部ですよ。

  3. ももさん。
    いつまでも悲しんでいるとみんな離れていくよ。なんて私は思いません。
    いろんな人がいると思います。
    離れていく人もいるでしょう。
    ただ、キキさんもおっしゃっていましたが、どう接していいのか分からない人が多いのだと思う。
    もし、離れていく人がいるなら、その方とはご縁がなかったのだと思う。
    私の友人は、自分の事だけ考えて、元気な時は出掛けよう。泣きたい時は一緒に泣くからいつでも連絡して。
    って言ってくれてます。
    私の場合、離れて暮らしていたので、生活があまり変わらない部分があると思いますが。
    ももさん、仲間がここにいます。
    私も泣きすぎて顔が腫れるくらいのときに
    ここでさみしいよー。辛いよー。ってみなさんにSOSを出します。
    皆さん同じ痛みを持つ方々なので助けてくれます。ここは私のお薬かもしれません。
    ももさんも辛いこと抱え込まずに吐き出して下さい。
    キキさんの灯りをずっと頼りに歩きましょう。
    そしたら、いつかきっと、痛みや悲しみと一緒に生きていく術がみつかると私は思いますよ。

    • 由紀子さん
      ありがとうございます。

      離れていくかもしれない友人。
      娘が生きていた頃には、毎週のように二人で山歩きに行っていた近所の友人は、なんとなく疎遠になり、東京の山仲間とばかり山歩きに行くようになりました。

      葬儀の時には料理を作って届けけくれたり、
      お墓の相談にのってくれたりもしました。

      娘の幼馴染のお母さんなのに、あまり娘の話ができないんです。

      私がずっとくよくよしていたら、離れていくかもしれない友人かな。
      でも、大切にしないといけないとは思っていて、時間に余裕ができたらね。
      と、思っています。

      同居している息子も、姉の死の後で離れていった友人のことは、あきらめているみたいです。

      私は辛くて辛くてたまらない時には、kikiさんのことを思っていました。

      これからは由紀子さんとしろちゃんさんのことも思います。

      しばらくkikiさんとやり取りしていないうちに、kikiさんと由紀子さんとしろちゃんさんとの、コメントがすごくて、驚きました。
      みなさん夢に子どもたちが出てきてくれし。
      気配を感じるなんてすごいです。

      私は夢も覚えていないのに、毎朝目覚めるととても疲れていて、、、
      私はもがいてばかりです( ´ ▽ ` )

      いろいろありがとうございます。
      もも

  4. しろちゃんさん
    由紀子
    kikiさん
    みなさんありがとうございます。
    実家は浄土真宗ですが、西か?東か?わかりません。
    戒名も位牌もありません。
    娘の告別式はダメダメな母の代わりに、息子が全部判断してやってくれました。
    娘の2歳下の弟で当時21歳でした。
    無宗教でやりました。
    お坊さんも神官さんも無しです。

    私が死んだ時に娘の遺骨を一緒に納骨してね。
    と、いう思いで、お墓だけは作ることにしたんです。

    一昨日墓石屋さんとの打ち合わせの時に、
    「どうしても決心がつかないし、娘と離れたくないんです。分骨するにしても、少しだけお墓に入れるという事としたい。」と、言ったら、

    「子ども用の小さい骨壷を用意しておくね。
    それで、決心がついたら、納骨はいつでも手伝うからね。」と、言ってくれたので、少し心が軽くなりました。
    私はいつでも決断力がないので、
    いつでも娘に相談して決めていたんです。
    その娘がいなくなってしまったので、私の頭脳が機能しなくなってしまいました。

    自分の大切な子どもを亡くされたみなさんは、
    きっと私と同じ思いだと思いました。
    納得できるまでそばにおいても良いと思う。と、
    言ってくださると思っていました。
    ありがたいことです。

    「あなたがいつまでも悲しんでいると、
    みんな離れていくよ。元気に自分の人生を生きて欲しい。」と、墓石屋さんはいいました。
    墓石屋さんは娘の同級生のお父さんです。
    例え、みんな離れていったとしても、
    仕方ない。と、思っています。

    娘への想いを絶対忘れない。
    娘は夢に出てきてくれないんですけどね。
    もしも、決心がついたら、ちょっとだけ納骨しようと思います。
    みなさん本当にありがとうございます。

    • 浄土真宗なら、なおさら大丈夫。亡くなるときに、阿弥陀さまが楽団連れて迎えにみえ、極楽へつれていってくださいます。
      特に親より先に亡くなった子供は、仏様が大事に目をかけ、守ってくださるそうです。
      納骨ふくめ宗教行事に悩んだら、どちらの本願寺でもいいから、京都の本山に聞いてみられたらいいですよ。
      ちなみに私はあとで娘の法名を菩提寺で頂きましたが無料でした。
      本山で、生きてるうちに法名頂くと、グッズついて、一万円。
      帰敬式とか、おかみそりといいます。
      キリスト教は生後すぐ洗礼名頂くのに、日本の仏教は葬式宗教になった、と言われてますよね。
      親も法名いただくことであの世での名前きまり、娘と共に生きていけると思いました。
      娘亡くなった後お坊さんと話すと落ち着きます。
      自死遺族のための宗教の会という無宗派の会もあるし、法お経など合同で無料でされてるとこもあります。
      ボチボチお母さまのペースで。
      私は小さな縦長プラスチック容器に入れて、バッグに入れて持ち歩いても居るし、夫や親戚が海外出張や、旅行のときは、ひとかけらずつ、景色のよいとこに埋めてます。
      マーキングと呼ばれてます。
      漫画家の西原理恵子さんも、世界中にご主人の遺骨を散骨されてましたもんね。
      身近なとこでも少量なら散骨しても違法ではないそうです。
      どうかあなた様のお気持ちのままに。

      • しろちゃんさん
        ありがとうございます。
        浄土真宗は位牌もなく、お釈迦様は全ての人を御浄土へお導きくださるという教えですよね。
        ありがたい教えだと思います。
        実家は遠く広島です。
        いつか京都の本山か、実家の菩提寺に聞いてみようと思います。

        東京の高尾山に、労働災害で亡くなられた方の供養塔があります。
        そこは無料で永代供養してくださるということなので、お願いしました。
        遺品や写真や遺骨と、納めるものは自由だそうです。
        少しの分骨も良いかな?
        機会があれば行ってみようと思っています。
        しろちゃんありがとうございます。
        もも

    • ももさん、由紀子さんが言っていたように離れていく人は離れていくけど、新しい友がやってきます。
      それは、ももさんと痛みを分かち合える人。
      私も娘を亡くしてからたくさんの友が去っていくのを見送りました。
      それは、悲しく寂しいことには間違いないけれど、それよりわが子が愛しいので友が去ろうが私は娘を思い、悲しいときには涙を流し、人のために元気になることを止めました。
      そしたらかえって楽になりました(^_^.)

      だから、本当は墓石屋さんから「悲しんで当然。子供を亡くしたんだから。悲しみに寄り添えなくて離れていく人もいるけれど、悲しみを知る人が寄り添ってくれる。元気になれなくても、わが子を思い、いつか自分の人生をもう一度わが子と生きることができるよう今を生きてほしい」と、言ってほしかったですね…
      そうですね、「決心がついたらちょっとだけ」、そんな楽な気持ちが一番です。
      そしたら、娘さんも夢に現れてくれますよ、きっといつか(^_^.)

      • kikiさん
        ありがとうございます。
        新しいスレッドがあるのにこちらでごめんなさい。
        弟さんとお嬢さんを亡くされて、なお自分の人生を生きなくては。
        と、言えるkikiさん。
        そうですね。
        人のために元気になることはないんですよね。
        みんな元気で幸せだったころの友人たち。
        悲しみに寄り添ってくれるわずかな人だけがいまなお気にかけてくれます。

        今朝駅までの道を歩きながら、この道を歩いて娘と小学校に通い、小川でカニを捕まえながら帰った事を思い出しながら、なんのために娘は生まれてきたんだろう。
        悲しい悲しい。と、胸が張り裂けそうに辛い。

        kikiさんやしろちゃん由紀子さんも同じなんだ。
        辛いのに生きなければならない。

        宇宙や地球営みに比べたら、私たちの命は一瞬のことなのに、生きるって、どうしてこんなに苦しいんでしょう。
        娘は苦しくて、逃げてしまったけど、
        私たちは逃げられない。
        生きるしかないなら、
        kikiさんやみなさんのことを思いながら、生きます。
        kikiさんのご主人がkikiさんのお気持ちを理解してくれないのと同じように、私が唯一頼りにしている友人も、少しは元気になるようなことも考えてね。と、言うとき、
        あー。どうして解ってくれないだろう。と、辛くなります。
        そんなときにはkikiさんやみなさんのことを思います。
        みなさんありがとうございます。

  5. kikiさん
    ご無沙汰しております。

    しろちゃんさん
    由紀子さん
    まんまさん
    はじめまして。ももと申します。
    私も娘を亡くしてからkikiさんのブログに救われたひとりです。

    このところみなさんのやり取りを拝見させていただいて、
    みなさんすごいなぁ。と、思っていました。
    しろちゃんさんは娘さんとあの世と交信しておられるし。
    由紀子さんはまだ日が浅いのに…。
    私はもう少しで1年3ヶ月。
    娘は夢には出てきてくれません。

    お彼岸にお墓が完成することになったのに、
    納骨する決心がつきません。
    納骨の事を考えると、また娘と別れなければならないのか。と、辛くて辛くてまたりません。
    イヤでイヤでたまりません。
    ちゃんと供養しないと成仏できないよ。とか。
    みんながお参りにきてくれたら、娘さんも喜ぶよ。とか。
    墓石屋さんや友人に言われても、納骨のことを思うと、胸が押しつぶされそうになります。

    どうしようもない思いで、こちらにコメントをさせていただきました。
    どうしたら良いのでしょう
    質問コーナーでもないのに申し訳ありません。
    みなさんの思いを聞かせて頂けたら幸いです。
    もも

    • はじめまして。
      後輩遺族からで恐縮ですが。
      実は私は娘の葬儀では僧侶も呼ばず、お経もなしでした。
      知らないお寺に来られたくないし、自死だと拒否されり、批判されたりすると警戒したのです。
      法名もなしでしたよ。
      しばらくして、娘の友人がショックで学校お休みしていると聞き、故郷の慣れ親しんだ菩提寺に依頼し、法名頂き、49日と初盆供養して頂きました。
      納骨については全て散骨予定でしたが、さすがに大きな骨をどうするか、になり、東本願寺の集団納骨堂に納骨することになりました。
      納骨については、東本願寺も西本願寺も、電話でお伺いしたら、いつまでに納骨、という決まりがないから、何年たっても良い、家族で納骨したいと思った時が納骨時、といわれました。臨済宗のお坊さんからも同じ回答いただきました。
      故人は安らかな世界に逝かれている、宗教行事は遺族のためのもの、だそうです。
      どの宗教かはわかりませんが、総本山のお寺に問い合わせてみてはいかがですか?
      末寺だと、結構勝手な解釈してる住職多いのです。自死への対応についても、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の研究所がそのような調査報告をし、改善するよう教育する、としています。
      西本願寺のサイトからも行けますし、結果はネットでも公開されてますよ。
      あとは、自死と向き合う僧侶の会に聞かれたり。
      周りはなんとでもいうので、論破して黙らせるために調べた私でした(笑)
      仕方ないから、しらべてロジカルに反論するしかないですよ。どうせ皆が言うのは迷信なんで。
      じつは、浄土真宗の自分の菩提寺は納骨急がせる、急がないと浮かばれないと住職がいうと私にしつこくいう方がいたので、
      京都の総本山はそれを否定している。自称浄土真宗の寺が多くて困ってる、お宅の菩提寺は本当に浄土真宗か、総本山で調べたがいい。
      そもそも子供亡くした親から遺骨まで奪う必要はない。
      遺骨を拝むこと自体が間違いと総本山も言ったこと、拝む対象は阿弥陀さまなのに、遺骨は故人そのものではないのにと。
      そう言いました。
      感情的、迷信的なものは相手にその根拠を問い、そして自分はロジカルに説明すると、相手はなにも言わなくなりますよ。
      あと、我が家は手元に少し残してます。

    • ももさん、はじめまして。
      私も納骨嫌だった。
      前日まで納骨しない〜。ずっと家にいて欲しい。って思ってました。
      本当にいなくなっちゃうみたいでさみしくてね。
      皆さんに少量の遺骨残して手元に置いてもいいし、本当に嫌なら連れて帰ってきてもいい。って言ってもらって。
      結局、当日は穏やかな気持ちで納骨しました。
      正解はないのだと思います。
      ももさんが納得できる時にでいいと思います。
      私は父母の遺骨はしばらく家にいてもらいましたよ。
      親戚からかなりキツい事も言われましたが。
      友人の近所の方は息子さんの遺骨を20年以上納骨しなかったって言ってました。
      そういう方もいるのだから大丈夫。

    • ももさん、お久しぶりです。
      どうしていらしゃるかなと心配していました。
      かといって、私に何ができるわけでもなく心配ぐらいしかできないのが申し訳ありません(^^;

      少し自分ごとでネット環境から離れていて返事が遅れてしまいました。
      ごめんなさい。

      納骨のこと、皆さんが書かれているように、やはりももさん自身のお気持ちに従うのが一番かと思います。
      供養とは後に残された者のために行うものだと私は感じています。
      「ちゃんと供養しないと成仏できない」というのは、残されたものが後に悔いが残るような事をしないほうが良いという事であって、亡くなった方が成仏できないと言うのは変だなあと思います。
      だって、ももさんのお嬢さんは既にちゃんと仏様になっていますから(^^)

      墓石やさんやお友達はお子さんを亡くされたことがないので、供養とは何であるかも知らずにそんなことをいうのですよ。
      お子さんを亡くされたらももさんのお気持ちがわかると思います。
      だからと言ってその人たちも「亡くせばよい」とは思いませんが(^^;

      ももさんが、娘さんのお骨をずっとそばにおいておきたいと思われたらそうするのが一番です(^^)
      反対に、家では泣く場所がなく納骨し、お墓に毎日通いそこで泣き子と静かに対話される方もいます。
      アメリカでは土葬の場合は無理ですが、火葬をされる方はずっと傍において片時も放さない方もいらっしゃいます。
      もっともアメリカの火葬は文字通り「灰」になるまで焼くのでとても小さくなるから家においておいてもそれほど目立たないということがあるからかもしれません。

      私の場合は別れた夫がさっさと自分の実家の墓に納骨し永代供養もしてしまったので私には選択の余地がありませんでした。
      お通夜からも締め出されたくらいですので仕方がないといえば仕方がないのですが…
      でもそのおかげで娘のお墓参りができます。

      それでも不思議と娘はお墓にいないと感じるのです。
      お骨はもう娘ではないというか…
      娘はそもそも自身の魂の入れ物(肉体)が好きではなかったのだと思います。
      娘の魂は亡くなったその瞬間に体を離れ自由になったと私は強く感じたからなのかもしれません。

      亡骸と書くように、魂の抜け殻である体を焼いて空に返し、最期に残ったお骨を大地に帰すということでは納骨も意味があるのかなあななどとも思います。

      いずれにしても皆それぞれ悲嘆との向き合い方は違います。
      ですから、ももさん、嫌だと思ったらお墓はとりあえず「いつか納骨するため」として今年でなくても良いですよ(^^)
      ももさんの心の準備ができたときでよいのです。
      誰かのために納骨するわけではないのですから。
      自分がよければそれでよし、です(^^)

  6. しろちゃん、繋がってるなら心強いです。
    いつか会える。とおもっていたのが、きっと会えるに変わりますね。
    息子の部屋にベッド入れて、息子の寝転ぶスペースがなくならないように配置します。
    うちの息子は190センチ越えの大きい子でした。待ち合わせの時は目立つから便利でしたよ。
    早く私の夢にも出てきて欲しいです。

    • はい。こちらからは見えないけど、繋がるというか重なってるというか。とにかく残してきた親や友人のために色々忙しくしてるみたいです。
      実は先日、娘を10年間妹みたいに可愛がってくださってた塾の女性スタッフから、
      「実は娘さん亡くなったあとしばらくして、奇跡がたくさん起こりはじめたのです。大学生スタッフで娘さん担当者の論文が大変な注目集め、念願の大学に残っての研究に繋がったり、私自身途方にくれる事態のときに、助けて!と思ったら、いきなり助け船現れて、一気に奇跡的に解決できて救われた。
      その時皆が感じるのが、娘さんのパワーなんです。
      あまりに不思議すぎて、これはもう娘さんが神様で、私たちを助けにこの世にあらわれ、あの世に移動後も引き続き守ってくれてるとしか思えない。出逢えたこと、まもられていることに感謝してます」
      と言われました。

      ちなみにそれ信じない人にはあまり感じないみたいですが、やはり難逃れはしてるみたい。うちの夫も難逃れと、仕事がパワーアップしてます。うちらが夫婦ケンカ悪化すると、旅行というか法要旅行セッティングしてくるし。
      京都に納骨しましたが、一周忌ちかいし、来月中に墓参りとお経をと考えてたら、一気に今月になりました。奇跡的に会社の保養所のキャンセルでて、なんとお彼岸に、です。
      と同時に来月は家屋解体、介護認定などで一気にスケジュール埋まって。

      一説では春分の日はあの世とこの世が一番近づくらしいですね。
      こうなったら由起子ママも、智也さんが、神様になってまもられていることを信じましょう。小さなきせきに気付きだすと、だんだん智也神様が感じられますよ。

      いやはやもう、うちらの子供、菩薩や神様の生まれ変わりで、
      うちらを救いに現れたんですね。
      有難いことです。
      これほどのパワーと愛に満ちた子供たちの親にしてくださったこと感謝です。

  7. キキさん。
    力強い言葉に励まされます。
    しばらく、現実逃避してました。
    お香典返しのあれこれが終わり、支払いも済ませ、親としてやるべき事を終えたと思ったら、涙が止まらなくなり、息子の残した本や、漫画を読んだりして過ごしました。
    いつまでも悲しんでいると人は思わないのですね。
    元気になったね。とか、言われます。
    元気であるわけないけど、社会人として働けてるから大丈夫だと思われているみたい。
    しろちゃん、大変でしたね。
    お大事になさって下さい。
    私も筋腫、検査に行かなくちゃいけないけどちょっとこわくて行けない…
    早めに行きます。
    では、また。

    • 由起子さま。私も納骨のあとそうでしたよ。
      いや、最近なんて寂しくてね。昨夜も泣いてました。8か月ですがまだまだ。実は亡くなったことが信じられないんですよ。ひょっと帰ってくるんじゃないかなって。
      悲しいですね。さみしいね。
      震災特番見ていても、震災の日は娘は風邪で休んで一緒にテレビ見ていたから思い出して。
      熊本の震災もきっとつらい。
      夫は死にたいといっては荒れるし、病院ではおとなしいから大丈夫jと言われるし。
      ひとりで立ってるのも大変な状況に、もともと鬱な夫が寄りかかる。
      気にいらないと離婚しろとかね。
      本当に迷惑ですが、とりあえず専業主婦していたので食べていけず、現状維持してます。
      いずれ離婚もありかな。体調管理しながら自立考えて暮らしていこう。退職と同時に離婚もあるしね。
      どうなるかわかんないけど、もう自由に生きていきたいなあと思います。
      我慢しなくなった私。
      筋腫もポリープも用心してください。私は大量に出血したりしましたよ。
      それはストレスからでした。
      筋腫は小さいなら漢方あります。不正出血も きゅうききょうがいとう
      で3日で止まりました。
      そのあと止まんなかったのはポリープだなあ。
      婦人科とか膠原病気をつけてください。

      • 追伸
        昨夜娘が夢に現れました。一緒にバスに乗ってて、しきりと、「お母さん、この世とあの世は繋がってるから、全く心配する必要ないよ。みんなに伝えてほしい」と言われました。
        どうも死んだら繋がるではなく、現在繋がってる、見えてないだろうけど傍に居る、というのです。
        みんなもうちも楽しくやってるんだから、みんなに伝えて、と。
        というわけで、kikiさん、由起子ママ、ままんさま、はじめ皆様にお伝えしておきます。
        夫とケンカしてたから心配して出てきたのかな。
        春先から夫婦で不安定でケンカばっかり。
        まあ我慢ではなく、夫にはアンガーマネジメント覚えてもらいますけどね( `□´)
        マインドフルネスかな。勧められてはいるので。

      • やっぱりそうなんですね、以前からそう思っていて、他の自死遺族の方にも「見えないだけで、亡くなった人はいつも傍にいるから」と言い続けてきましたが、しろちゃんさんの娘さんからのメッセージで勇気づけられました。

        しろちゃんさんの娘さんは本当にちょくちょく夢に訪れてくれるんですね(*^_^*)
        いいな~
        うちの娘は、半年にいっぺんかそこらしか来てくれません。
        前回の夢では、姿を見せず電話のみでした(^_^;)
        だんだん横着になってきています。

        しろちゃんちも夫婦関係が不安定ですか?
        うちもです(._.)
        喧嘩というよりは、お互いどんどん離れていく感じです。
        寂しいです。
        分かり合えないのは仕方ないのでなるようになるしかないかなあと思っています。
        前回と違い、仕事もしていないし、帰るところもないし、日本ではないアメリカで離婚し一人になったら生きて行けないだろうなあと思います。
        でも、もう、なんだか最近何もかもめんどくさくて、「その時になったら考える」ことにしました(^_^;)
        もう、疲れた~(-_-;)

    • 由紀子さん、暫くコメントがなかったのでどうされているかなあと思っていました。

      現実逃避、そうですよね、たまに必要だと私も思います。
      現実は辛すぎて、毎日向き合うのも大変ですから(^_^;)
      私もこのところ頑張って自死遺族以外の人と交流をもとうとしていましたが、どうも自分でも気が付かないうちに無理していたみたいでエネルギー切れなのか、一気に落ちています。
      トライ・エラー・トライの、今回は「無理しすぎ」だったようなので、もう少し自分にあったものに切り替えようと思います。

      「元気になったね」ですか…、まだ一年も経っていいないのに元気なわけないのにね…(._.)
      『あなたのために無理して元気にふるまっています』とも言えませんしね(^_^;)
      経験したことのない人にはわからないから、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど、がっくりです。

      そうそう、この時期、検診は大切ですよ、由紀子さん。
      子供を亡くした親はストレスで心身ともに弱って免疫力も極端に落ちますから。
      お体大切にしてくださいね。

      • キキさん。そうなんです。現実は厳しいです。
        思い出の息子の部屋をパートナーはそろそろ片付けなさい。と言い、職場ではフォローも限界なのでそろそろ通常勤務になんて言われたり。
        で、息子の部屋にベッドを入れました。
        私の引きこもり用に。
        そこなら泣いても何しても良いし。
        思い出を分類しながら疲れたらお昼寝してもいいし。
        いい人でいるのは大変です。
        でも、職場に恩返ししてからやめようと思ってるので今年いっぱい勤めてきつかったら辞めてもいいと思って働きます。
        介護福祉士だけじゃむりかなぁ。
        いざとなれば工場で働く事もありですね。

      • それは、辛いですね…
        まだまだ片付けられる時期じゃないですよ(._.)
        大切な息子さんの部屋、いいじゃないですかねー、ずっとそのままでも。
        私の自死遺族友達のシャローンは八年たった今もそのままにしています。
        それでもいいと私は思います。

        通常勤務も、そうですか…、もう…、職場はフォロー限界なんですね…、自死遺族のタイムラインとは大きく違っていますね。
        本当に、いい人でいるのは大変だってしみじみわかります。
        娘が亡くなってから私も「いい人」でいられなくなって、泣き泣きブチギレ、何人か友達も失くしましたし、夫ともギクシャク(^_^;)
        大切な子供を亡くしても残された親にはそのあとの人生を生きていかなければいけない。
        本当に辛いことばかりですね…
        お仕事「きつかったら辞めてもいい」という気持ちで働かれるのとても良いと思います。
        今由紀子さんはどんな仕事よりもうんときついことと向き合っているのだから…

  8. kikiさんありがとうございます。
    今朝夫からは、現職の学校教員、福祉担当者が受験して、そのなかでの高倍率であり、
    即戦力の職業人を養成する大学院だから、専業主婦が年末からちょっと勉強しただけでは合格しないだろう。
    果たして君がやりたいことが臨床心理士が必要なのかそれも含めて、社会にでて、世の中を眺めたがいい。
    少しずつ家庭からでていくことで見えていくことがある、と言われたとこでした。
    また改めて臨床心理士調べたら、最近は指定大学院卒業した研究者ですら臨床心理士は合格が厳しい、現役の臨床の現場の職員重視と書かれていました。
    放送大学で少しずつ学びながら、自死遺族の会に参加し、会場設営手伝ったりしつつ、学ぶこと、決めることが大事なんですね。
    いずれにせよ、大好きな勉強で楽しかったから、勉強は継続したい。
    まずは実家の解体と介護認定更新作業からですね。
    婦人科系はストレスと繋がってますよね。
    私も筋腫大きいから、もう閉経でいいんですけどね。
    平均閉経年齢なったし。
    本当に今回突っ走り過ぎたのを止められました。
    kikiさんには教わることばかりです。

    • しろちゃんさん、私、アメリカに来てから四人のカウンセラーにかかりましたが、正直言ってカウンセラーより同じ自死遺族のお母さんたちの方がよほど助けになり支えになってくれました。
      そこで、わかったのはどんなに勉強して修士とか博士とかの肩書があっても知識ばかりでは何の役にも立たないということです。

      共感をもてずただ学んだテクニックを応用するだけのカウンセラーは助けを必要としている人には毒にこそなれ薬にはなりません。
      辛さを経験した人からの言葉には心があり、経験に基づく知恵は研究結果などの裏付けがなくても力があります。
      そういう意味で、肩書がなくともしろちゃんさんはどんな臨床心理士よりもこれから学ぶことを心の底から理解できる可能性を秘めているのだと思います(^^)
      知識を得ることではなく、学ぶこと、学ぼうとすることが、一番大切なんだと私は思います(#^.^#)
      そして、教科書にないことでもしっかりと目に前に見えるものを受け入れることだと思います。

      いえいえ、しろちゃんさん、私は自分が経験したことを話せるだけで、何もお教えできるようなことはないんですよ~(^_^;)
      でも、少しでもしろちゃんさんのお役に立てているようで嬉しいです(*^_^*)
      こちらこそ、いつもありがとうございます。

      • 本当にそうですね。
        私は誰よりkikiさんの言葉が一番です。

        いろんなサイト見たり本も読んだのですがピンとこなくて。

        理由として、
        kikiさんが読書好きなこと、もともと心理学を学んでいること、カウンセリングも遺族会も参加して、
        そこからkikiさんが反芻し、理解し、一番ストンとおちるような言葉に翻訳してエッセンスを書いてくださってるからではないかと思います。(弱った身体に効く甘酒みたいな(笑))

        意識されてないと思いますが、
        心理学勉強しだして、kikiさんのサイトにどれだけその知識がベースになっているか。
        やはり確かな学問と知識、豊富な経験に裏打ちされていることがわかります。
        それは日本と違ってアメリカのほうが自死遺族ケアやカウンセリングが進んでるからかもしれません。

        実は臨床心理士や公認心理士とれてもカウンセラーになる気はなかったんです。

        コミュニティ心理学のほうに進み、遅れている社会資源のネットワークを作りたかったんです。
        ただその活動に、臨床心理士資格はあったほうがいいかなとかね。
        大事な親や兄弟をなくした子のサポートしてるNPOも臨床心理士が中核です。
        社会福祉士資格だけでは心を扱うような分野にいかないよう当時きつくいわれてました。
        あれから10年たち、心理学も社会福祉もどんどん融合してきましたね。
        コミュニティ心理学もアメリカボストンからで、ようやく日本で最近言われてきました。

        とりあえずやりたいことは社会福祉中心で、きちんと心理学も学んでおきたい。
        ああ、臨床宗教師みたいな感じかな。

        やりたいことの真ん中は全くぶれてないんです。
        アプローチの方法を変える。
        いやあ頂上目指すのにはいろんな道がありますから。

        熊本でようやく自宅解体したかたが50になって二重ローン組んで頑張ってますが、この度はじめてカウンセリング受けたそうです。
        カウンセリングしたのは保健師さん。

        いろんな悩み抱えて相談したら、
        とりあえず優先順位つけて、急がないものは心の押し入れへ、といわれたのだそうです。
        それで助かったらしいです。
        被災者は相手が被災者でないと心を開きません。
        カウンセリングという学問だけではなんにもならない。
        そこには豊富な経験と困難を乗り越えた経験と人間性が必要ですね。
        それも含めてkikiさんは私に教えてくれているのです。

      • しろちゃんさん、私もね、心理学を専攻しているとき、カウンセラーは自分には向いていないと考え、それで研究職につきたいと思って博士過程に進もうと思いました。結局、お世話になっていた教授がその年一人もとらないと宣言し夢は夢のまま終わりましたけど(^_^.)
         しろちゃんさん、夢は捨てたら叶わないけど、もち続けていたらいつか違った形で叶う時が来るかもしれません。ゆっくりでもいい、勉強続けてください(*^_^*)
         保健師さんの言葉、素敵ですね。急がないものは心の押入れ、私の物はみんな急がないものばかりだけど、みんな関連事項ばかりで、とりあえずなくのが一番、と、泣くことにしています(^_^;)

  9. こんにちは。昨日婦人科受診しましたら、いつも冷静で寡黙な先生がすっとんきょうな声をあげました。ポリープ、しかもかなり大きい!いや、これって。と。
    看護師さんもびっくりしていて。
    一昨日子宮脱か?と思い、筋腫検査兼ねていそいで受診したのです。
    子宮けいかんポリープだったそうで、半年前にはなかったのですが。根元が太い場合は大きな病院で入院麻酔手術といいながら診察続行。怖いし痛みも若干あり、ついつい騒いでたら、はい、おしまい(笑)
    なんとかクリニックで切除できるレベルだったとか。
    筋腫は六センチ、二センチ2つで変わらず。
    ポリープは原因不明。ストレスかもなあと。
    前回もストレス原因で大量出血していて。
    一般的には米粒くらいのポリープが、親指大で。
    半年でこれかと。
    不正出血、更年期障害や筋腫だと思ってましたが、ポリープもあったんですね。
    やっぱりまだ身体にストレスかかってるんだなあと実感しました。
    数日は寝たり起きたりします。
    kikiさんも皆さんも、本当にストレス原因のまさかの病気に気をつけてください。

    • 追伸
      大学院合格発表ありました。
      やっぱりあっさり落ちてました。
      25人中、多分合格者は1,2人です。
      基礎学力見られましたね。
      とりあえず放送大学で心理学の科目だけ受講して、認定心理士から取得して、あと1、2年じっくり基礎を固めようと思いました。
      それから先臨床心理士目指すのか、別のことをするのか、過程でのんびり決めていこうかと。
      この一年は、娘の死に加え、震災、認知症の母と無理に無理を重ねた結果婦人科系に異常が何回も生じてますしね。
      やっぱりアメリカでは遺族が心理的なものに関わる、新しいことを始めるには2年は休息取らせますか?
      まだ仕事見つけはやめたがいいのかな。
      在宅で考えてみようかとかいろいろ思ってしまいます

      • しろちゃんさん、残念でしたね…(^_^;)

        でも、落ちて良かったのかもと思います。
        今の状態で合格していたら学業も重なりますますストレスになっていたことでしょうから。
        とても「楽しんでやる」どころではなかったと思います。

        そうですね、自死遺族のためにカンファレンスに参加した際、自死遺族になってから二年経たない者はファシリテータ(自死遺族会の世話役)や自殺現場に直行し家族の心のケアをする仕事につくことを禁じています。
        実は私も今のしろちゃんさん同様、娘が亡くなって一年も経たない頃、グリーフカウンセラーのための専門課程の授業を受けようと担当する大学の先生に連絡を入れた事があります。
        しかし、やんわりと断られました。
        その時は、「まだ心の傷が癒えてなくて、死にかかわる仕事や授業を受けることは負担ということかな」と考えたのですが、今は「もっと大変なことに身を投じることで、大切な人を亡くした辛さをごまかしグリーフから遠ざかろうとすることは、かえって良くないこととその道の専門家は知っているからだ」と思い始めました。

        私の経験からしか言えませんが、子供を自死で亡くした親の場合は二年どころか五年は休息したほうが良いと思います。
        もちろん、無理のない程度で「好きなこと」として勉強したり何かをやることは良いと思います。
        私の場合は、ヨガになりました(*^_^*)
        しろちゃんさんのように人様の助けになるようなことではなくお恥ずかしい限りですが(^_^;)
        でも、かさねとの心の絆を深めることができ自分の助けにはなっているなあと思います。

        今は、頑張りすぎないこと、自分からストレスになることをしょい込もうとしないことが良いのかなあと思います(*^_^*)
        たぶんしろちゃんさんの娘さんもそう考えて今回の試験では落とすようにしたんじゃないかな~(^_^.)

    • 私も経験ありです(^_^;)
      でも、娘が亡くなるうーんと前、日本にいて働いていた三十代から四十代前半です。

      子宮頸管ポリープと中にできるポリープ、子宮内膜ポリープ両方ともできました。
      職場の婦人検診で毎年ひっかかって、婦人科外来で切除してもらっていました。
      かかりつけの婦人科医は「仕事のストレスが原因だろうから仕事を辞めるのが一番なのですが、それはできないでしょうしね…」と言っていました。

      子宮内膜ポリープの方は、外来で手術はできないという事で仕方なくアメリカに引っ越す一年ほど前に入院して手術を受けました。
      その際先生が「ポリープができないようにその個所を焼き切っておいたけど、再婚するという事だから、妊娠も考え子宮の半分だけにしたよ」というので、私が笑って「先生、もう四十もすぎて子供は無理ですよ」と言ったことを覚えています。

      ポリープが原因だったのかもしれませんが、三十代後半は出血がひどくて大変でした。
      これもかかりつけの医師に相談するとストレスだろうと言われました。
      その頃は、本当に仕事が忙しく、かつ、子育てもあり一日四時間ほどしか睡眠時間がとれず、週末も仕事に行かなければいけないこともありましたから。
      また、その先生がまじめな顔で「これ以上過労が進むと早期更年期になり老化が早くなりますよ」と言われたことを思い出します。
      実際、四十代半ばで更年期が始まり、母に「私は五十過ぎまで生理があったけどね~」と馬鹿にされました(^_^;)

      弟は大腸がんで亡くなったのですが、実は十代の頃から肛門にポリープができ出血がひどくなり手術したことがありました。
      それで、私も「今はポリープで済んでいるけど、癌になったら困るな」と思い、再婚を期に残業から過労死になりそうな仕事を思い切って辞めたんです。

      筋腫もあると医師に言われていましたが「妊娠予定がないなら閉経と共に小さくなるからほっといてもいいだろう」という事でそのままにしておきましたら、先生の言うとおり、更年期(老年期?)に入った今は婦人科検診に行ってもポリープも筋腫も何も言われません。
      ばばあになるといいこともあるのだと思いました(^0_0^)

      娘はストレスから不安症がひどくなり自死に至ったのではないかと思います。
      弟も事業失敗の借金から寝る暇もなく働き続けストレスから癌になって死んだのだと思います。

      私は、そういう意味では幸いだったのだと思います。
      あの時、再婚を機に仕事を辞めることができて。
      でも、その10年後に娘が亡くなるとわかっていたら、あのまま仕事を続けて娘の前に自分の方が先に過労死していた方が良かったと思います。

      ストレスは怖いです…
      そして、同じことが起きてもストレスなく笑って暮らせる人、ストレスになることは最初からしない人、ストレスを強く感じ心の病気になってしまう人、ストレスから身体の病気になる人、様々ですが、ストレスは本当に怖いです。
      そしてきっと今は私が夫のストレッサ―だと思います。
      今でも時々不安定になり、夫の前でも泣いたり「生きていることが辛い」とこぼしたりしますから(._.)
      私の悲しみを理解できない夫は、きっと「好きなことばかりして生きているのに、何が不服でこうもネガティブ思考なんだ、もっと頑張ればいいのに」とうんざりしていることと思います(^_^.)
      そんなうんざり顔の夫の顔を見る度に「本当に辛いのは私なんですけど」と、心の中で言ってますけどね(-_-;)

      しろちゃんさん、ストレスは避けて通れないものですが、ストレスの原因は自分の生き方を変えることで減らすことができるのかなあと思います。
      無理はしないこと、誰かに頼むることは頼むこと、そして余計な仕事を抱え込まないようにしNOと言えるようになることが今の私の目標です。
      つまり「良い人でいる」ことを止めることかな(^0_0^)

  10. 先ほどテレビ見ながらうたた寝していたら娘が夢に出てきました。今までは距離持って離れていましたが、ソファーの上で体操したりおどけたあとに、布団に潜り込んできたのです。抱きしめたら体温感じて生前と同じ。夢の中でも娘が死んだことは知っていますので、もうすぐ消えるんだね、消えるまでぎゅうだよ、と抱き締めたら布団の中から顔出してニコニコしてまして。
    夢から覚めたあと涙が止まらなくなりました。
    夢ってあんなリアルなんですかね。
    なんか私はパラレルワールドか次元越えて、魂の面会場所で娘とであってるような気がするんです。お互いにチャンネルうまく合わせられるようになって、そのうまくいくタイミングで、です。

    前回、臨床心理士の件、子供さんのためにと書いて下さいましたが、
    最初そうだったのが変化しました。
    なんだろう、純粋に好きでやりたいから、ですね
    すごい気持ちに正直なんです。
    今朝も夫に、娘には受験頑張らせて過酷なことを言って、責任感じる。でもそれ以外は看病看病でご飯をめちゃくちゃ作って送迎六時間とか看病頑張って自分がこのままだと死ぬかもと追い詰められるくらい濃厚な子育てしたから、子育て頑張ったこと、その時々最善を尽くし全力で子育てしたこと間違いない。だからしてやりたかったことってほとんどしてるから、悔いはないよ。
    と言いました。夫も同感でした。
    確かに結婚子育て以外楽しいことは経験していったからな、あいつは、と。
    凝縮した17年だったと思います。
    だから、まrydr子供が巣立ちしたあとみたいな感じが出てきました。
    夫もこんごの夢を語り、私も好きなことをする。
    それをすぐ近くで娘が見ていてたまに魂の再会場所で逢う。
    寿命が来たら娘のとこに行く
    とりとめのない話しになりすみません

    • 娘さんをしっかり抱きしめることができて本当に良かったです。
      それに、ニコニコと笑顔の娘さんの顔も見ることができたなんて、本当に癒されるお話をありがとうございます、しろちゃんさん(^_^.)
      娘さん、この世での苦しみからすべて解放され、ようやく子供らしく笑顔でお母さんお父さんのそばにいられるようになったんですね。
      良かった、本当に良かった…(;O;)
      「凝縮した17年」を一生懸命生きて巣立っていった娘さん、その娘さんの思い出を胸にしろちゃんさんは臨床心理士を目指して勉強。
      しろちゃんさんのグリーフ・ジャーニー、悲しみの中にも夢があっていいなあと思います(^_^.)

  11. 大事な家族が闘病で弱っていくのを見るのはつらいことだ、と娘は友人の小学五年生の妹が小児がんで亡くなったと聞いた後話してました。
    友人もご両親も嘆き悲しみ、友人は休学してしまいました。
    妹が中学校の制服欲しがるとみんなでいろいろ買い与え、ゲームは課金凄かったからお母さんが注意すると、どうせあたしはモウスグ死ぬから好きにさせてといわれ、
    一年間かかって衰弱する娘さんを、看取ったそうです。
    男の子ばかりのなか、ようやく授かった女の子だったみたい。
    喪失が沢山あるkikiさん。本当につらかったですね。よく頑張ってここまで生きてこられたのですね。
    実家の裏のおじいちゃまの娘さんも、もしかしたらもう亡くなったかも、と最近不在がちなお宅みて思います。
    自身体きついし80近いし、震災片付け大変ななかでの娘さんの末期がん宣告で。
    本当に人間はどれだけ抱えていきていかねばならないのか。
    昨日はひな祭りでしたね。
    体調悪いけど、確定申告して納税すませて、夕方スーパーに立ち寄ったら、刺身やちらし寿司に割引シール貼り出してて。
    おばちゃんなんで急いで買いました。
    貝汁なども作り、仏壇にお供え。
    なんか急に寂しくなくなり、夫も風邪が急に良くなり、ひな祭りご飯食べました。
    帰省したのかな。
    実は家屋解体も前倒しなると連絡ありまして。
    余震がかなりあるので心配だったんです。
    来月の解体が今月末かもで嬉しい。
    兄弟はご先祖軍団スゲー‼といってました。
    そういやうちの娘、いろいろ最近忙しくて疲れた、と座敷のこたつ入ってましたもんね、私の夢で。
    お盆は夢の中でご先祖かわかんないけど大宴会して、めでたい!と騒いでたし。
    泣き叫んでるのに、なぜあんな夢?
    とりあえず不思議なことばかりです。
    きれいなポピー。たぶん弟つぁんもかさねちゃん、お父さんもご一緒だったと思います。うちもいたかも(>_<)夕飯後気配がないから。
    すみません

    • そうですね、娘が亡くなるまで自分でも気がついていなかったのですが「たくさん辛い喪失を味わってきたんだ、自分」と、「それでも一生懸命生きてきたのに、どうして娘まで失わなければいけなかったのか」と感じました。娘を亡くして初めて自分はこれまで周囲の者の「泣くな、がんばれ、苦しくても笑顔で頑張れ、みんなそうしている」という言葉にだまされてきたんだな~、と、気がつきました。「そんな風に生きていたら、気が狂うんだ」って知ったんです(^^;
       お雛様のご馳走、いいな~。おいしそう。私はやっとお雛様出しました。うちの実家はなんでも旧暦でやるので、四月三日になるまで飾っておくつもりです(^^)
       家屋解体が早まったんですね。そっか~、きっと娘さん、そしてご先祖様が奔走してくれているんですね(^^)

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