私が死んでも…

私の遺品を大切に思ってくれる人はいない

娘が亡くなって、以前していたウェブデザインの仕事ができなくなりました。顧客とのやりとりが精神的に負担で頑張れなくなったのが原因でした。ドメインの管理もしていたので、自分の個人のドメインも二つ持っています。でも、ウェブデザインの仕事を放棄してからは、夫からサイト管理料についてクレームが出ていました。使用していないドメインのために高い管理料を支払い続けるのは無駄だというもっともな理由からでした。

しかし、娘の死後その公開していないドメインを、私の個人的な、完全に閉じた未公開日記として自分のためだけに使っていたのです。娘が亡くなった日のこと、通夜の日のこと・・・、今でも昨日のことのように思い出すことのできる恐怖と言葉に表せないような狂気をそこに書き綴ることで最初の数か月を生き延びてきました。その後も真っ暗で死にたくてどうにもならないと感じた時など時々書き込み書くことで崩れそうな自分をなんとか保ってきたのです。それは、自分がこれまで生きてきた証であり記録でもありました。

ウェブサイト上に残していたのは、どこかに「自分が死んだあと誰かに読んでもらいたい。これが私の生きた足跡」と言う気持ちがあったのだと思います。それが、夫から、「未公開のサイトなんてウェブ上に保存しておく意味なんてないでしょ」と言われ、まるで自分がこの世から消えても誰も気にしちゃいないと言われたように感じ急に悲しくなりました。

『ああ、そうだ、子供を亡くしてしまった私にとって、私が死んでも誰もこの日記を開いて読もうとする遺族はいないんだ…』と、子供を亡くすということがどういうことなのか改めて現実を突き付けられた気がしました。

私にとって亡くなった娘の遺品は唯一娘の生きた証として大切なもの、それは私が娘を大切に思っているからです。娘が書き残したものは、生きていた時の娘からのメッセージのようで私にとっては失いたくないものです。

でも、私には私の死後そんなふうに思ってくれる子供はもういないのです。なぜだか、突然涙がほろほろと零れ落ちました。

久しぶりに心の底から寂しいと思いました。

それでも、春はめぐってきます。今年のフェニックスの冬は何年かぶりに雨が多く、それはこの厳しいアリゾナの環境で生きる砂漠の植物にとってまさに恵みの雨でした。降雨量、気温と、絶妙な条件がそろった年だけこの時期一斉に野生のポピーが花開きます。ですから、毎年花が見られるというわけではないのです。他の多くの植物も同様で、このチャンスを逃したら次の世代を残すことができないとばかりに急いで大きくなり受粉し種を落とします。何年も休眠中だった植物が、今、目をさまし、大地は緑に覆われ、野草が花を咲かせています。

娘が死んでも、私が死んでも、こんなふうに季節はめぐり命は再生する。形を変え、時を越え、永遠の命の連鎖の中に私たちの生きた記憶は残るのかもしれない。

だとしたら、私が死んでも、泣き偲んでくれる子供がいないとしても、娘と私がこの世に生きた奇跡は残り大宇宙に広がって永遠に消えはしない・・・

ならば、今この大地に生きる私は、この野草たちと同じく自分の与えられた環境の中で、あまりに厳しいと感じるときは休眠し、稀に降る恵みの雨に花を咲かせ、そうやってその日一日を天命尽きるまで生きぬくことが私に与えられた使命なのだと思います。

近所のハイキングトレイルのエントランスに咲き乱れるポピーの花

近所のハイキングトレイルのエントランスに咲き乱れるポピーの花

今年は美しい春を迎えました

今年は美しい春を迎えました

 

私が死んでも…」への25件のフィードバック

  1. しろちゃん、ご自分のお母様と旦那さんのご両親…
    頭が下がります。
    在宅介護は、利用できるサービスは利用しないと地域包括の方、良い方で良かったです。
    確かに高齢者の方々は福祉の人と会うのをいやがりますね。
    出来ない事を頑張って介護度が下がってしまったりしますから。
    そのままの生活の不自由を理解しないと生活の質が下がってしまいますよね。
    被災地の介護職員の苦労は伝わってきます。
    最近は介護ボランティアの募集も少なくなっています。
    しろちゃん、少し寝たらだいぶ楽になりました。
    怒り、自責、さみしさ、いろいろありますがゆっくりと感情を整理して行こうとおもいます。
    しろちゃんもご実家の片付け、介護、お疲れだと思うのに、わたしの散らかり放題の感情に優しい言葉、ありがたいです。

    しろちゃん、お身体大切に、私は明日、メンタルクリニックです。

    • 本日スマホからタブレットにしました。ガラケーは持ってるので
      早速Googleアースで実家見ました
      宇宙からアップしていくのが新鮮
      ストリートビューでも見ました
      震災後の様子見れて凄い
      まだまだ熊本市東区や益城町はひどいですね
      阿蘇大橋のとこもGoogleアースで凄まじさわかります
      ここで大学生が車ごと土砂崩れで流され、ご両親が何ヵ月も川を捜索。
      捜索たいが引き上げたあとも捜索してお盆前に発見されました
      そのとき息子を川の中に放置したことを息子さんに謝罪され、自宅に連れて帰れると喜んで泣いておられたのを見て涙がでました
      秋には稲を収穫されて息子さんに供えてね
      震災で子供すべて失ったかた、家族すべて失ったかた、
      喪失の凄まじさを思います
      住む家があり、弔いができていることは幸せでありがたいとつくづく思います

  2. しろちゃん、本当にありがたいです。
    息子、両親に守られているのだと思う。
    ぼちぼちと言いながら、キリキリしていたのは私だった。
    重度の障がい者のママさん、本当に追い詰められていると思う。
    日本は多様性を認めている様で全く認めてないと思う。
    皆んな同じでないと迫害まがいの事をされ、黙らなければならない。
    少しでもそのママさんの心が軽くなるといいですね。

    あ、息子の最後に会った人は息子と12年間友達だった女の子だったの。
    息子の近しい友人は好きな人が居たのは知ってます。って。
    母は、思いました。
    失恋したからだったのか?
    と思いましたが、最後の時間
    好きな女の子とデートして幸せな気持ちだったのかな?って。
    少し幸せで、仕事はハード。
    それを考えて旅立ちをきめたのかな?
    今となっては分からないけど、最後母に会いに来ても良かったのに。
    なんだかいつも以上に散らかってる感情。
    でも、愛おしい。

    • そうそう。なんで?なんで?の連続ですよね。
      本人も今となってはよくわかんないのかも、と思います。寿命かなあ~とかね。
      怒りがずいぶん消えたので、無理な我慢や好い人ぶることもなく、毎日力を抜いて生きてます。
      ただ、こちらからは見えないだけで、あちらから見てるのか、本当に困ったときに誰からか助けられ生きてます。

      実は夫の両親も体が悪くなってきて、子供はみんな他県だし、心配だし、うちの夫は弱ってる被災者の両親にとうとう孫の死を言えてなくて~(病死と伝えただけでうちの母は半狂乱になり、認知症進んだのを見てますからね~)

      以前母の件でお世話になった、地域包括支援センターの女性が、全て知ったうえで、夫の両親の支援を続けてくれてるんです。
      地域包括支援センターは、認知症以前でも、65才以上だと、介護予防や安否確認、様々な社会資源紹介してくれますもんね。
      自治体の委託だから無料で、在宅ならケアプランも立ててくれるし、施設の紹介もあるし。

      で、うちの母、家屋解体、娘の件で夫が動けないから、頻回してくれてるみたいなんです。
      今は食事の宅配を紹介されて頼んでるし、
      根気よく介護申請勧めてくれてるし、助かります。
      高齢者は福祉のかたとの面会嫌がるケース多くて。
      そうなる前に信頼できるかたに御願いできてよかったです。

      夫はあまり実感はないみたいですが、介護してる私からしたら、見えないとこで皆さんが配慮してくださり、助けられてるとわかります。
      熊本は福祉の職員さんたちも被災者で、片付けやその他大変なんですから。
      きっと由紀子ママも知らないとこで、知らない方々が暖かく助けてくださってますね。
      でないと、私みたいに泣く暇なく介護職員に壁際に追い詰められますから(^-^;

      お母さんや智也くんもきっと周りに助けられ元気に貴女さまを助けてくださってるんですね。
      貴女さまの文を読むと伝わります。
      今日も生かされてる私たち、感謝です。

  3. 今日からまた仕事です。
    来月も夜勤のみの勤務にしてもらい、あとは有給使わせてもらい、なんとか続けられそうな勤務になりました。
    四月からは普通の勤務に戻そうかと思いましたが、主任から慌てなくてもいいですよ。
    ゆっくりやりましょう。との言葉。
    夜勤のみでみんなに迷惑をかけている。辞めてもらって構いません。って言われるのが不安だったけど、
    主任の言葉に甘える事にしました。
    しばらくはのんびり働きます。
    しろちゃん、宇宙から地球を見てみたいですね。
    学ぶ事、伝える事、両方とても大切な事ですね。
    誰かに伝わってればいいなぁ。
    学ぶのは一生ですね。

    • 由紀子ママさま。優しい方に恵まれて、全力でお母さんや智也くんが守ってますね。
      そうやって、本当に困ったときに助っ人出てきますよね。子供が采配してるのかな?

      先日知人から聞いたのですが、重度障害児のママが、子供を一人残して死ねない、子供が先に亡くなり、きちんと弔いしてから自分が死にたい、子供の弔いができる親は幸せだ、と話していたそうです。
      一人だけさずかった子供が障害で、この先が不安すぎるんですね。
      大事な子供の弔いを願わないといけないくらい追い詰められてるとは~
      世の中の様々な環境で生きてるんですね。
      息子と連絡とれなくなった知人は、アパートのロフトから転落して気絶していた息子を病院に運んだそうです。
      幸いソファーに一度バウンドしたあと床に落ちたのか、どうもなかったらしいけど。

      人間生きてるのは奇跡なんですね。実感しました。
      奇跡の連続だったのね~

  4. キキさん、しろちゃんありがとう。
    リンさんはじめまして。
    私は太平洋がわなんで、前は日本海に憧れて福井まで行きましたよ。
    海を見てると自分の悩みや人生が小さく思え、まぁ、いいか。って思えませんか?
    色々考えたりしても地球の営み星の光、それからしたら私の人生なんて一瞬だなぁ。なんて思って。
    一瞬なら頑張って生きようか?って思いました。
    そう思っただけでもこの旅は意義のある物だったなぁ。と感じてます。

    • 宇宙にいったら人生観から全て変わるらしいですよ(笑)
      そうですよね、外から地球を眺めるんですものね。
      夜は昼間見えない星の輝きが見えて、日頃、そこにあるのに、見えない大事なものがわかったり、見えたり、つながったりするような気がします。
      私は勉強や作業は夜がはかどるんですが、昼より雑念が減り、集中できる感じなんですよね。
      私たちの一生は、地球上の歴史のなかでは一瞬に過ぎないもんだなあとも思います。
      私たちはなにかを伝える子供を失いましたが、
      周りのいろんなかたには、確かに愛を伝えられ、それがまた次世代に伝わるといいですね。
      歴史のなかで、先達はどう考え、何を私たちに伝えてきたのか。
      自分の子供以外に何を伝えていくのか、知恵を授かるために
      歴史書に尋ねてみますかね~
      ひといきついたら、中国の歴史書からとかね。
      小学、大学とか、四書五経からとか?
      様々な時代を学ぶことは大事なことですね。

    • 由紀子さん、ああ、そうだと思いました。
      「一瞬なら頑張って生きようか?」
      いい言葉です(^^)

  5. kikiさん 私もここ数か月、私が亡くなった後の始末を考えています。
    遺言状をいつ作成するかとか考えて、最近 何かを残してあげたい相手がいないことの寂しさを痛感しています。
    でも、この記事やほかのおかあさんのコメントを読ませていただき
    想いは私の心に残ればよしとしなきゃですね。 
    最初はね、私の棺にいれて欲しいものは、すぐにわかるように別に
    しなきゃとか考えていました。でも、ふとそれを誰にたのむのかを
    考えたら、託された人もしんどいだろうと・・・
    断捨離するにも、思いを残したままではできないのでゆっくり、ゆっくりお別れの準備です。
    持たせられなかった娘のお気に入りは、先に会えるはずの私の母に持っていってもらおう。なんて親不孝な私は考えたりしています。
    いつか、娘の遺骨を納骨する時に、娘が気にってくれていた
    私の指輪だけ、一緒にいれてあげたいと思います。

    私と娘、kikiさんとかさねさん 同じ想いのお母様とお子さんが
    一緒に過ごした証、それは絶対に
    消えることのないものだと私は信じます。

      

    • リンさんもそうでしたか…
      私は、「断捨離」という言葉も「終活」という言葉最近まで知らなくて、日本のテレビを見ているこちらに住む日本人の友人から聞いて初めて知りました。
      リンさん、本当にそうなんですよ、「何かを残してあげたい相手がいない」ってこんなに寂しいものだとは思いませんでした。
      そうやって片付け始めると何もかも取っておく意味のないものばかりです(^_^;)

      形のあるものはいずれ消え、反対に形のないものは残るのかもしれません。

      ああ、そうでした、私も母に頼めます。
      母に持っていてもらえます(^_^.)

      いえいえ、親不孝ではないですよ、私たち。
      だって、親より長く生きるつもりで悲しみに耐えちゃんと日々を生きてますもん。
      そういう意味では私たちの先に逝ってしまった子供たちは親不孝者かもしれないですが、頑張って生きた子供たちを怒れませんね(^_^;)

  6. 無事に納骨終えました。
    不思議と今朝は穏やかだった。
    昨夜ね、旅に出たいなぁ。って思ってね。
    いろんな事は明日にして今日は納骨したら海の見える所に行こう。って。
    で、西伊豆にいます。
    不思議です。今までは家から出たくない。
    あんまり長く家を空けたくない。って思ってたのに。
    しろちゃん、色々な事が動き始めてますね。
    ぼちぼちでいいと思います。
    私もぼちぼちやっていきます。
    キキさんも、溜めないでぼちぼちですよ。

    • 納骨終わったんですね…
      穏やか…、その言葉を伺い『ああ、由紀子さんの息子さんは今も由紀子さんの傍らにいて一緒に海を見に行ったんだ』って感じました。
      ぼちぼち、ですよね(^_^.)
      ありがとうございます。
      はい、私もぼちぼち生きます。

    • 由紀子ママさま。伊豆ですか。よいところでしょうね。私は日本海側なんで太平洋側の海は特別です。海の向こうはアメリカか~とね。
      太平洋は気持ちが大きくなります。
      もともと海が好きですが、娘のこと以来、よく海を見に行くようになりました。あと星もよく見ます。
      人間はどこから来てどこに行くんでしょうかね~
      私も納骨は前がきつくて、納骨時は大丈夫で、以降ホッとしました。
      お疲れが出るかもしれません。気をつけて。

  7. キキさん。今は帰りの電車です。
    実家最終的に入りました。毎日余震あるんで、本当に傾きがひどくなってて、兄弟からも、もう家屋は解体立ち会い以外は入れない、もしかしたらこのあと強めの余震でドア開かなくなるのかも、といわれました。
    若干の本など搬出し、自宅に宅配することに。自宅でゆっくり選別します。
    母は症状は進行しているけれど、抗精神薬が少し増やされてからは、ひどい興奮はなくなり、部屋の片付けがかなりできるようになってきたみたいです。
    焦燥感、怒りが静まり、ブツプツ文句をいうように。
    兄弟が会いやすくなったみたいで、少しずつ家屋解体や自動車の話をしたり、祖父の没年確認をしてるようです。
    まだ私にたいしては不快みたいなんで、さらに落ち着くまで待ちます。
    様子聞いていると、春に解体後、一周忌終わったら、不動産管理を弟に一任する手続きをしてくれるような気がします。
    司法書士を連れてきてきちんとやれば、母も弟に公式に頼めるし、なにか売買したら有料老人ホーム代の足しになりますからね。年金では足りないから。

    今日の墓参りはご先祖が全員集合していた、と兄弟はいいました。
    いい感じに動けばいいな。暫くでいいから、母ときちんと話できたらいいな。
    それを御願いしました。
    実家にはお辞儀をして出てきました。
    いよいよお彼岸あたりに立ち会い調査、4月には解体です。

    今日はご先祖軍団が私の自宅に集結だと兄弟がいいました。
    祖父母も好物だった寿司屋の寿司をテイクアウトしたのでお供えです。

    • ほんとうに、本当に寂しいですね…
      生まれ育った想い出のいっぱい詰まった家を取り壊さなければいけない…
      それでも、少しでも「さよなら」の時間があって良かったなって思います。

      お母さんとの母娘の時間もきっと戻ってきますよ。
      きっと、きっと、お母さんときちんと話ができる時間が持てると信じて祈ってます。

      お疲れのことと思います。
      ゆっくり休んでくださいね。

  8. 由紀子ママさま。
    キキさんが言われるように、私も一部手元に残してますから寂しくないです。それは私らの遺骨と混ぜて納骨します。
    それでも故人は喜びますよ。
    すでにご先祖のもとにいて、光のなかから見ておられますから。
    宗教行事は遺族のためのものだから。

  9. キキさん。その気持ち本当によくわかります。
    私たち死んだら娘や息子を誰が弔い覚えてくれているのか。
    でも子供の友達たちはきちんと覚えて、自分たちが子育てするとき思いだしてくれるように思います。
    まあ遺品やら私らの日記はわかんないけど~それも震災にあったらおしまい(T_T)
    大規模災害を経験すると、この世の無常さ、儚さを実感します。
    納骨堂すら倒壊し、墓も粉々。
    遺骨は瓦礫と一緒に震災ゴミに出すしかないのかも。
    実際仏壇から全て出せなかったかたは多いですし、葬式すら出来なかったりね。寺が倒壊したから。

    でも、確かに、私たちが存在し、子やほかの人を愛して生きたこと。
    それを周りでみているかたが愛を次世代につなぐこと。
    これが私たちの存在意義であり、今ここにいる理由なのかなあと最近思います。

    胸をはって娘のとこに行けたらいいなあ。
    お母さん頑張ったよ、ってね。
    いつかお迎えきてくれるまで。私たちは手をとりあい、子やご先祖に導かれ、光ある方へ歩むこと。
    それしかないんですね。

    ただひたすらに仏の声を聞き、困難で辛い道を無心に歩くと、いつの間にかあたり一面花畑が広がっている。
    そう熊本の菩提寺の住職に言われました。
    そのまま行けばよい、
    そう仏は言われる。迷いがあればお経を唱えること。
    本当に見えないけれど、そんな存在に守られ生きていくんですね、きっと。

    フロイトは、故人のことは早く忘れるべき、それが喪の作業を順調に進める、と言っている、しかし最近では海外でも、日本みたいに故人と共に生きる喪の作業が良い、とされてきてるとか。

    そう考えると、アメリカのご主人か昔のやりかたをされようとしてるのでしょうね。そう教育されてきてね。
    故人と対話、ともに在る、は日本やアジア特有ですもんね。

    ドアの開きかたが反対なように喪の作業も反対なら仕方ないか。

    大丈夫。私らついてるから、ですね。
    繋がりますのでね。
    私ら力あわせないとなかなかキツいですが、ひとりではないから。
    では明日はいってきますね。

    • そうですね、しろちゃんさんの震災での喪失を思う時、それこそ無常を感じます。

      私もアメリカの「人の死をいつまでも悲しんでいる人は病気、そんなことは早く忘れてしまい楽しいことだけ考えて暮らすのが良い」と言う考えにはついていけず、そういう人たちに出会うとかえって鬱になりそうです。
      ですから日本人に生まれ、こうして少しでも故人と共に生きる喪の作業を分かち合える方たちと巡り合えありがたく思っています。

      でも、日本人でも最近の若い人たちは「ネクラ」と言われることを恐れ「暗い話」や「悲しい話」は友達ともしないし、家族とも話し合わない人が多いようですね。
      こうういう、日本的喪失との向き合い方は60年代生まれで終わりなのかなあと感じるときが多々です。
      震災ですべてを失った若い人たちはどうやって喪失の悲嘆との共存の仕方を学ぶのでしょうか。
      心配です。

  10. 由紀子ママさま。
    今夜は智也くん(間違えてない?)やかさねちゃん、うちの娘たちに餃子作りました。
    明日は納骨ではなかったかな、と。
    私は火曜に実家の解体前の生ゴミ搬出してきましたが、明日は最終的に実家にはいり、点検とお別れしたら墓参り、役所に各種手続きしてきます。
    もう勝手口のフレームかなり歪んできてるから、開かなくなるから、お別れです。
    お墓参りしたらうちのご先祖にも智也君のこと、由紀子ママのこと、御願いしてきます。
    なにしろ200キロもの(処理場で計量して判明)一人で搬出して、積み込みする体力なくて途方にくれてたら、
    ちゃんと助っ人連れてきてくれましたから。
    たぶん父です。すごく朝から父がいるような気がしていたから。
    由紀子ママのお母さんがたくさんのご縁をつないでくださるはずですよ。
    明日はお互いにボチボチやりましょうね。

    • しろちゃん。そうなの。明日納骨なんだけど。気持ちが前に進めない。
      一応の準備はして、息子の友人や、自分の身内に連絡したけど。
      納骨堂の前で駄々捏ねそうでこわい。
      入れちゃやだ〜。とかね。
      餃子、多分息子喜んでる。
      餃子の日はホットプレートで仲間集めて米一升たいてパーティー。
      そんなことしてた。
      なぞのチョコレート餃子とか、ガム餃子紛らせて。当たり!なんて笑ってたっけ。
      しろちゃん、ありがとう。
      私も明日は頑張ります。

      • 由紀子さん、無理そうだったら息子さんをまたおうちに連れて帰ればいいですよ(^_^.)
        まだ時が満ちていないという事だから。

        私の弟が31歳で亡くなった時、全部納骨しないで分骨しお嫁さんがずっと家においていました。
        でも、再婚し10年たってようやく気持ちに少し整理がついたのか、納骨しに来ました。
        みんなそれぞれです(^_^.)

  11. キキさん。
    さみしいけど、子供を亡くした私達にはそれが現実だと思います。
    私も、あの日から日記をつけてます。
    誰も読まない前提でですが。
    うちにもパートナーが居ます。
    10年近く共に生きていますが、所詮、他人事なんだなぁという様に感じる事もあります。
    でもね、
    仲間がいますよ。
    私、あの日にキキさんに救われた。
    あのまま後を追うのも出来たけど、母親として、見送るのもできた。
    キキさんが、近くにいたら抱きしめて一緒に泣いてくれる。って言ってくれた。
    私も今同じ気持ちです。
    距離が近かったら抱きしめて一緒に泣きたい。

    • 由紀子さん、ご自身の方がまだまだ日も浅くお辛いだろうに、私の悲しみに共感していただき本当にありがとうございます。
      今日は、感謝の気持ちでうれし泣きです(;O;)

      辛いこと、悲しいこと、寂しいこと、いっぱいいっぱいあって、それでもここまで来ました。
      良い日があり悪い日があり、だんだん嵐もおさまり「ああ、いい感じ」と思っていても、ふいに冷たい風に道を見失ってしまったように感じ転んでしまいます。
      でも、一人じゃないって思うと、立ち上がってまた歩き出せます。
      「今日は駄目でも明日はまた微笑むことができる」「幸せとはほど遠くても、寂しさと共にまた心穏やかに暮らせる日が来る」と、大きく深呼吸して今の寂しさ悲しさを吐き出せます。
      貯めちゃったら駄目ですね(^_^;)
      今日は、前回お休みした自死遺族会に行ってきます!

      由紀子さん、私も近かったら由紀子さんと抱き合って泣きたいです。
      本当に、本当に、支えてくださってありがとうございます。

      • キキさん。
        こちらこそありがとうございます。
        辛いとき、悲しい時、さみしい時、キキさんのブログを遡り貪るように読みました。
        そこには、今の私がいました。
        苦しい。何でこんな事に。
        あの日からキキさんがお手本です。
        自分を責めて後を追いたい。
        仕事に復帰しても朝が辛い、無気力。
        そんな日にキキさんのブログに行って、辛いよ。さみしいよ〜。って泣いた私。
        いつも優しく声かけて、悲しみは人それぞれ、泣いても愚痴ってもいいって、言ってくれたキキさん。
        キキさん頼りにしろちゃん、私、ほかのママさん達、歩いたり泳いだりしてます。
        キキさんがさみしい時、私たちも一緒泣きますよ。
        キキさんの灯りにつどった蝶々です。
        頑張りすぎないで…
        泣きたい時は一緒に泣いて、嬉しい事あったら一緒に喜んで。
        そうやってみんなで一緒歩んでいきましょ?
        ここにもあるじゃないですか、キキさんが生きた証。
        しろちゃん、ままんさん、私、他のママさんパパさん。
        ね?

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