周りの無理解に悩む自死遺族

ハッピーな季節の憂鬱

アメリカは感謝祭の終わりとともにクリスマスに突入です。クリスマスプレゼントを買う人で町は溢れ、テレビやラジオからはクリスマスソングが流れ幸福そうな家族の様子を映し出します。この季節は、自死遺族にとって故人の命日と誕生日に続いて苦しい時期です。そして、アメリカでは自死者数が格段に増える季節でもあります。

少し前の話になりますが、先週の日曜日に自死遺族会で出会った友人とブランチに出かけました。彼女と出かけるのは一年ぶりです。彼女は一昨年のクリスマス前にご主人を自死で亡くされました。出会った時の彼女の年齢が亡くなった娘と同じ年齢だったこともあり、声をかけずにはいられなかったのです。

この日はフェニックス(アリゾナ)の冬にしては少し肌寒い日でしたが、空は晴れ渡り屋外でも日の光の中にいる限りそれほど寒さも感じずここちよい日でした。

午前九時には開いているだろうとその時間に待ち合わせしたものの、レストランは十時開店ということで、広い庭の一角にあるカフェで飲み物を注文し戸外に設置されたソファーに座りおしゃべりをしながら開店時刻を待つことにしました。

話は自然とお互いの亡くなった愛する人の話になります。結婚記念日を迎えた日の彼女の一人旅のこと、もうすぐご主人の二回目の命日が来ること、二人が出会った頃の思い出話、そして私の娘の話・・・。一年目の命日前とは違う気持ちでいるものの、悲しみはやはり同じで、強い痛みは和らぎ罪悪感は消えたものの、後悔は今も数限りなく残る。

コーヒーも冷めた頃、彼女がふっと言った言葉に『ああそうだ、私も同じだ』と共感を覚えた瞬間がありました。

「 何もわかっていないくせに、ちょっと私の話を聞いただけでああだこうだと決めつけたり、人の感情についてそうではなくてこう感じるべきだと説教したがる人は、私は嫌い」

そうなのです。

頼みもしないのに「辛いのはわかるけど(何もわかっていない)、亡くなった人のことばかり考えているからいつまでも立ち直れないのよ(決めつけ)、いくら考えたって過去は変わらないんだからさ、悲しんでばかりいないで今あるものに感謝しなくちゃね。世の中にはもっと大変な人もいるんだから。その人たちのことを思えば、あなたはまだまだ恵まれているんだから幸せだって思わなくっちゃね(どう感じるべきか説教する)」などと、ニコニコしながら自死遺族を励ましている気になっている人は結構多いのです。

でも、そんな励ましは何の役にも立ちません。

なぜなら、愛する人を失った悲しみと共存しようとしてもできなくて不幸のどん底で苦しんでいる人に「悲しむな」「不幸だとかんじるなんてあなたは間違っている」というメッセージを送っているだけだからです。

感情の否定は何の助けにもなりません。

何の気兼ねもすることなく亡くなった愛する人の名を口にし、思い出を語り、たまには少し涙ぐみ、でも、笑ったりもできる、こんな風に話せるのは同じ痛みを知る人だけです。お互いが何を言われたくないか、どんな言葉に傷ついたか、どんな痛みを感じているかわかっているから、恐れることなく普通に話ができるのです。

他の人に話したらきっと『二年も経つのに未だに亡くなった人の話をして泣いているなんて、この人鬱病だわ』と決めつけられてしまうところですが、私たちはそんなことは少しも感じません(^_^.)

不思議です、どうして悲しみを表現したら鬱だと決めつけられるのか・・・。

何も知らない人から見たら「立ち直れないかわいそうな人」と判断されるかもしれません。しかし、私たちは知っているのです。誰よりも頑張って悲しみから逃避せず、現実を否定することなく立ち向かい、愛する人を忘れることなく心に抱き続け、そうやって生きてきたからこそ今があるのだと。

気が付くと、レストランの開店時間です。

庭に面した二人掛けの席に通されると、ウェイトレスがブランチメニューを持ってきました。モダンでかなりおしゃれな店内にふさわしいしゃれたメニューがのっていました。そしてそのいずれもヘルシーでダイエット中の私にぴったり。沢山の細かい文字でもってどんなお料理なのか説明されています。老眼の私は、正直言って『写真がついているといいのに』と思うのですが、ここはアメリカ、頑張ってその細かい英文を読み文面から適当に想像して注文するしかありません(^.^)

こんなのが来ました(^_^)

ちょっぴりベトナム風な一品です。ブラウンライスに、赤唐辛子、それとなにやらブドウの実のようなものも。味は日本人の味覚にもあってなかなかのお味でした(*^_^*)

ちょっぴりベトナム風な一品です。ブラウンライスに、赤唐辛子、それとなにやらブドウの実のようなものも。味は日本人の味覚にもあってなかなかのお味でした(*^_^*)

子供を亡くしたばかりの頃は食欲もなく一気に痩せましたが、その後は外にも出ず食べていれば少しは気持ちも上向いたので食べてばかりいたらこの二年間にかななり重めになってしまった私。半分だけいただいて後はお持ち帰りにしました。アメリカでは残した食事は家に持って帰ることができるので、そこは無駄にならなくて好きです(^_^)

ダイエット中なのにはもう一つ理由があります。娘が大学二年生の時にアリゾナの私を訪ねて遊びに来てくれたことがありました。その時に娘が「お母さん、こういうスリムパンツをはいたらいいよ。これは、お母さんにあげるからさ、はいてよ。私、痩せたらぶかぶかになっちゃったから」と、笑いながら私にくれた黒のパンツがあるのです。まさか、この時はそれが娘の遺品になるなんて思いもせず、笑いながら「お母さんにはちょと無理だよ~。まあ、痩せたらはくね。ありがと~」と、タンスの奥にしまってあったのです。

先日思い出して引っ張り出し足を入れてみましたが、その時より太ってしまった私は穿くどころか、太もも下でストップ(^_^;)

五十三歳の私が二十三歳だった娘のスリムパンツをはきたいだなんて、かなり無謀な試みですが、痩せたら膝の痛みもなくなるかもなあと、ただいまダイエット中です(^_^)

同じお店で頼んだハーブティです。焼き鳥の串のようなものでティーバックがとめられていました。「ふーん、こんな風に使えるのか」と、ちょっと感心。

同じお店で頼んだハーブティです。焼き鳥の串のようなものでティーバックがとめられていました。「ふーん、こんな風に使えるのか」と、ちょっと感心。

 

周りの無理解に悩む自死遺族」への6件のフィードバック

  1. 追伸
    そう言えば、高校生の親戚が自死したかたに聞いたのですが、葬儀にきた菩提寺の住職さんが、お経あげながら、だんだん怒りを露にして木魚を強く叩きだし、最後は木魚がぶっ飛んだそうです。
    両親が理由きいたら、
    両親の不仲、父親の精神的な虐待が原因の突発的な死で、
    本人は死にたくなかったとさまよってる。
    だから、あの世にいけ、お前は死んだから成仏せよ、と説教した、と言ったあとに、両親を責めたそうです。
    以後、お母さんは精神病院に入退院繰り返してるとか。
    仏教でも宗派違うと、教えは違うから、でしょうかね。
    それともお坊さんの考えかた、力量なのか。

    最近は自死遺族をケアするお坊さんの会もあちこちありますね。

    理由はどうあれ、子供亡くして悲嘆にくれる親に、そんな説教するお坊さんは私は耐えられないなあ。
    そもそもそのお坊さんはそんなに偉いのか。親の悲しみは理解できるのか。

    自死は魂がさまよう、浄土にいけない、成仏できない、と主張する有名人(霊能者?とか、そういうのがわかる。と自称してテレビに出てくる)たくさんいますが、

    たいてい独り身だったり、自死遺族知らなかったりですよね。

    いかにも知ってるかのような、偉い評論家みたいな、そんな顔してテレビで流さないでほしいですね。

    私はやさしい友人には恵まれてますが、近隣からは完全に避けられて、
    近隣の子供たちは我が家の前を通るときに、除霊!と叫んでポーズ決めて行きます。
    たまたまベランダにいて、それを見たら、気づいて、ヤバイ逃げろ、と走り去りました。

    そのうち、不動産評価が下がった、と裁判でもされやしないか

    事故物件と化した我が家ですが、でもこだわって子供のために建てたので、死ぬまで暮らし、あとは更地にしてもらうようにしておこうと思います

    • 「なんて、ひどいボンサンなんだろう!!!」と、読みながら非常に腹だたしく思いました(-“-)こんなひどいボンサンもいるんですね。最悪です。ただでさえ、子供を亡くして強い罪悪感にさいなまれているであろう親に向かって、知ったようなことをいうこの馬鹿者こそ成仏できずに迷うに違いないです。慈愛のかけらもない!!
      だいたい「自殺したら魂がさまよい成仏できない」なんていうのは自殺を考えている人を脅して止めようとする思想から湧いて出たものだと思うんですよ。アメリカでも同じで「自殺は罪だから天国にいけない」と言い、ひどいときは教会から自死遺族まで追放されてしまいます。これだって、自殺をさせないように教会が作り出した迷信。遺族に言う言葉じゃないです(-“-)でも、今でも結構いるんですよね、こんなことを自死遺族に言う人。
       近隣の子供たちはなんでそんなことを言うんでしょう。ひどいです!きっと、その子たちの親が間違った解釈を吹き込んでいるんでしょうね…。アメリカでも似たようなことがあります。自死遺族をまるで病原菌のように避ける人が。病気がうつるとでも言わんばかりに。怖いから避けるんでしょうね。どの家族にも起きうることだと認めたら不安で今後生きていけないから、自死があった家族は「自分たちとは違う」と差別化して安心したいのだと思います。「親が悪い」とか「たたりだとか」…。本当は、交通事故死より自死死者数は多いのですけどね…。そういう意味では、どの家族にも起きる可能性のあることなのですが…。自死に対する偏見がはびこっている実態は本当に悲しいことです。

    • しろちちゃんさん、はじめまして。いつもコメント拝見しております。
      両親の不仲、父親の虐待で自死されたというのは事実なのでしょうか?それともお坊さんの勝手な想像? もし事実だとしたら、お坊さんは亡くなった子供さんに感情移入しすぎて両親を許せなかったのでしょう・・・ お坊さん自身が虐待経験者だたのかもしれません。私自身父親から虐待を受けて育ち、学生時代何度も家出し死にたいと彷徨いましたが、私の場合自分が死ぬ前に父を殺してやりたいという復讐心が強くそのおかげで生きてきたという面もあります。親からの虐待に苦しんだ子供としては、お坊さんが、加害者の父親とそれを止める役目を放棄した母親に説教してくれるのは、唯一の味方のようでありがたく思います。 あくまで本当にそれが原因で亡くなったのなら、ですが。そうでなくて、お坊さんの思い込みで罪のない両親に説教されたのならとんでもないです。愛をもって育ててきた子供を亡くした両親にこれほどの仕打ちはないですね>< もし私の息子が亡くなったのは私が虐待したからだと言われたら発狂しそうです。世界中の誰よりもあの子を大切に育てたのに!と。

      ご近所の子供たちの言葉はその親たちの言葉ですね。情けない親です。子供に何を教えているのか。そんなご近所との付き合いではストレスも相当だと思います。大切な子を亡くして心が敏感になると、人の気持ちを理解できない大人の多さに驚きます。こんなにも他人は無神経なのかと改めて感じますね。

      • ありがとうございます。私も詳しくは聞いてないけど、お母さんはかなり可愛がっていたらしく、以後おかしくなったと聞きました。

        私も虐待受けて育ちましたが、父親を変化させるには、家族療法などを使い、力関係を正常に戻したり、両親のなかのインナーチャイルドを癒すなどしないと解決はしないのだろうと思います。

        お坊さんが木魚ぶっ飛ばして死者を説教するなど言語道断ですし、
        仮に虐待が原因としても、父親の考え方を変えさせないと、配偶者に責任転嫁したりするから
        懲りるなんてないと思います。

        まあお坊さんもそれぞれだから~いろいろ生臭なお坊さん知ってますしね。

        私自身、共依存症の治療受け、改善しましたが、大変よかったです。

        虐待は世代を越えて連鎖する。たぶん虐待してる大人も虐待されて育てられてます。
        連鎖絶てたらいいのですが。

        近隣はもともと噂話が大好きで、あることないこと我が家のこともメールで回していて(1ヶ月くらいすると私の友達に回ってくるので把握してます(笑))
        そんな方々です。

        ただ、近隣含めた地域が閉鎖的な田舎で同調圧力強く、大学進学目指して塾に通ってた、珍しい我が家は常に非難の的。
        塾にやるからからだが弱い、精神的におかしくなるから止めたがいい、とはしょっちゅういわれ、

        止めないため、誹謗中傷の嵐でした。
        ここは塾に通うのは絶対秘密でないといじめにあうとは後で知りましたが。

        だから今回自死したのは、ああ、やっぱりね、親が塾にやり大学なんぞにやろうとするから、
        となったと思います。

        夫がチャリで出勤しようとこいで、ふと振り替えると、奥様方が輪をつくり、夫見ながらひそひそ。
        頭にきて、すごい勢いで引き返したら、蜘蛛の子散らすように逃げた、と怒ってました。

        そんな家庭の子は当然学校で暴力沙汰起こすけど、先生が注意で居残りさせると、集団で怒鳴り込み~すごいでしょ?
        肋骨折られた、プールに沈められた、首絞められた、うちは刃物で軽くですが切られてました。

        まあ学年半分がそういう家庭だったんで

        そんな家庭にキズつけられ踏ん張りましたからね。

        あれが深いキズになってましたから、許せないですね。
        転校させてもなかなか癒えなかったのかな。とも。

        学校の先生が数人入院、退職、警察が毎日きてましたね。でも先生がたは必死に守ってくれました。
        だから今回葬儀で号泣されました。
        何年も前のことでも、守ってあげられなかった、と深い悲しみで。

        まあそれもこれももう過ぎました。

        そんな生き方はきっとうまくはいかない。

        で、君子危うきに近寄らず?でしたかね。
        彼女ら始め、地域には近寄らず生きていこうと思います。

        町内会も学校荒れてたとき抜けましたから不便ないし。

        今は学校も収まりいい感じらしく、
        田舎だから快適に散歩。
        離れた場所の農家と、農作業されてたら野菜わけていただいたり、
        そんなふうに暮らしてます。
        長々スミマセンでした。ありがとうございました

  2. 悩みや苦しみを抱えた人には、傾聴、共感以外は良くないですね。
    「辛いのはわかるけど」とはよく使われますが、これはとりあえず相手に共感したふりをして、自分は気遣っている、と建前上、表明した上で、次に相手を否定するための枕言葉ですからね。

    今回は納骨にあたり、質問のため電話して、いろいろなお坊さんと話しましたが、

    娘を亡くしましてと話したら、
    皆さん、「そうでしたか。それは本当に本当に」と言われて、あとは言葉はなしでした。
    そして、「今ちょうど銀杏が美しいですよ。
    どうぞ気をつけてお越しください。永代経にお逢いするのをお待ちしておりますよ。」
    といわれました。
    浄土真宗ではお経を納めるとかいわず、なになに経にお逢いする、とよく言われるんです。
    生きてる人のための経なんで、いろいろなお経に出逢い、心を整え生きていく、ご縁を大事にする、という感じですね。

    辛いね、苦しいね、はお坊さんはおっしゃらない。
    あくまでも傾聴ひとすじです。

    親鸞聖人は

    ◎嘆き悲しむのをいさめてはいけない。あるがままでよい(仏はそんな凡夫を救う)

    ◎すでに悲しむ人を必要以上に悲しませてはいけない。酒は憂いを忘れる忘憂という名がある。だから酒を勧めて相手にほほえみが生まれるほどに慰めて帰るがよい

    ◎愁嘆の世界から離れ、憂いのない極楽浄土で再会できることを心静かに導いていくなら、悲嘆は少しずつ晴れ阿弥陀さまの光に包まれるだろう

    と話されたとか。
    また、死別は悲しいけど、残された人々には、亡き人は確かな道しるべ、浄土への導き手と話されたそうです。

    作家の五木寛之氏は「他力」という著書で、
    対治的方法(いつまでもくよくよするな。という否定から出発した考えかた。対立と攻撃の思想で、悪を叩くことで善を回復する、ヨーロッパ近代文明の一面)よりは
    同治の思想(黙って一緒に涙を流し、その人の心の重荷を少しでも自分に引き受ける態度)がよい、
    と書いておられるとか。

    そのあたりの文明や文化の違いはあるかと思いますね。

    今日は娘の好きなスタバにいき、クリスマスの珈琲豆を買いました

    • とても心に響くメッセージでしたので、ポスト本文に再掲させていただきました。本当にありがとうございます。五木寛之氏の「否定から出発した対治的方法」は、まさしくキリスト教が主流のアメリカで人々が使う方法です。これはこれで失敗や難事を乗り越えるためには役立つ方法だと思うのですが、愛する人を亡くし心身ともに弱り果て再生の力が一つも残されていないような自死遺族にはとうてい無理な方法であると私も思います。同治の思想を持つ共に涙を流してくれる人に出会うとき、確かに心の重荷が軽くなるように感じます。そのような人は重荷を「引き受け」てくださっているんですね。なんとありがたいことかと思います。

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