生きてください

子供を自死で失った親たちの生きざま

人生という字は、人が生きると書きます。

生きることそれ自体が人生の意味なのだと思います。

娘の命日に合わせて一時帰国しました。娘が亡くなってから二回目の命日。不思議なことに、帰国前あれほど心配していた母との関係も今年は穏やかなものでした。去年の私は激しい悲嘆の真っただ中で、かなり無理して頑張っていました。でも、今年は頑張ることをやめたことが良かったのかもしれません。いえ、もしかしたら、母のグリーフは私のスピードとは違いゆっくりで今年になって別の段階に進んだからかもしれません。母が「川を見るのが辛くて川が見れない」と言い、また、「かさねのことを口にして嘆くと同居の息子が『いつまでもめそめそしていたってしょうがないだろ!』と怒るから話せない」と言うのです。正直驚きました。去年そう言って私を苦しめたのは母その人自身だったからです。

今年は、母と二人同じ気持ちで亡くなった娘を思い川を眺めお墓参りができました。

日本滞在中にたくさんの自死遺族の方にもお会いしました。昔からの友人や自死遺族以外の方には自分が傷つくこと、そして反対に相手を傷つけることを自分が言うかもしれないと恐れ怖くて会えませんでしたが、なぜか一度もお会いしたことのない見知らぬ自死遺族の方にはとてもお会いしたかったのです。

お子さんを亡くされて一年も経たない親御さん、一年してようやく日常生活をなんとか送れるようになったお母さん、過労から自死に至った娘さんのため会社を相手取り必死で戦うお母さん、そして息子さんの死から四年、自死遺族の方に少しでも思いやりを伝えたいとかわいい手作りキャンドルを制作し手渡しているお母さん。会うなり涙がこぼれ、抱きしめずにはいられませんでした。愛する我が子を失くし深く傷つき悲しむ人たちであるにもかかわらず、その方々は誰よりも愛と思いやりに溢れ、見知らぬ私を両手を広げて向かえ入れてくれました。

なんと、慈愛にみちていることか・・・。感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。

まるで今も生きているかのように微笑むかわいい子供たちのはつらつとした写真を見せていただくたびに「どうして?」と泣きました。わが子を思うのと同じようにお子さんを失くした親御さんのお気持ちを思って泣きました。私にはそれぐらいしかできることがないことがとても悔しいけれど、せめて少しの間だけでもそばにいて共に泣きたいと思いました。

優しい人たちに囲まれた時間はあっという間に過ぎ去り、アメリカに戻り、また一人、異邦人の生活が始まるとあの寂寥感が戻ってきます。仕方のないこと、なぜなら娘が自死したあの日から私はAnother World(別世界)の住人だから。

初霜がおり冬の足音がし始めた日、アリゾナに向けオハイオを出発する日を決めた私たち夫婦を夫の両親が家族全員が集まる昼食会に招いてくれました。食事も済んでリビングでくつろいでいるときのこと、義母が私にこう聞きました。

「私は長生きして良かった。そして、できるだけもっと長生きがしたいと思うのよ。あなたもそう思うでしょ?」

この質問に私は少し躊躇した後、こう答えました。

「お義母さん、こんなことを言ってはいけないのかもしけないけれど私は長く生きたいとは思えないんです。お義母さんと違い、私にはこうやって私を慕って訪ねてきてくれる子供たちも孫もいないので、長生きする理由がみつからないんです。できたら、亡くなった子供の待つところに早く行きたいと思っているんです。」

お義母さんは悲しい顔をして、

「そんな悲しいことを言わないで。私はあなたに私の息子と共に人生を楽しんでほしいわ。自殺なんかしないでしょうね?」

私は、「自殺はできませんし、できるだけ人生を楽しみたいとは思うのですが、ただ、長くは生きたくないのです。もう、後に残されるのは嫌だから、せめて夫よりは先に死にたい。彼は、長生きしたいと言っているし、健康だから誰か新しい若い奥さんをもらって私のいなくなった後も人生を楽しむと思いますよ」と、冗談めかして笑って言いましたが、その実、私は本気でそう考えていました。

私は身勝手なのかもしれません。「早く死にたい」と自分では言いながら、でも、夫や、日本の家族、夫の両親、そして今回日本で出会った沢山の自死遺族の方に私より一日でも長く生きてほしいと祈るのです。生きてほしい、そしていつか心の平穏を得てほしいと思うのです。私にとって大切な人たち、かけがえのない人たちをもう二度と失いたくないから。

10月1日、行方不明だった娘が川から見つかった日、遠くから友が来てくれました。それまで毎日のように雨だった空が晴れ渡りわが子に宛てたメッセージをのせたゴム風船が空高く舞い上がりました。天に戻った娘たち、きっと私たちのメッセージを読んでくれたことでしょう。愛は決して消えません。

10月1日、行方不明だった娘が川から見つかった日、遠くから友が来てくれました。それまで毎日のように雨だった空が晴れ渡りわが子に宛てたメッセージをのせたゴム風船が空高く舞い上がりました。天に戻った娘たち、きっと私たちのメッセージを読んでくれたことでしょう。愛は決して消えません。

生きてください」への6件のフィードバック

  1. 丁寧な、心のこもった御返事ありがとうございます。
    娘は虚弱体質でもあり、入試も負担になったのか、また、未知の免疫疾患の可能性は死後指摘されました。
    それにしても、娘の部屋から音がしたとき、
    勉強してる音じゃないわよ!静かにしなさい!と叱りましたが、
    それを聞きながら意識を失ったのかと思うと、
    どうしていいものかわかりません。
    頭がよく期待していましたので、数秒で意識を失う方法だった、苦しまずに亡くなりましたよ、とかかりつけ医が説明してくれたのは
    せめてもの救いですが、
    第一発見者としての衝撃はすさまじく、ときどきフラッシュバックしているし、
    地下鉄や飛行機に乗ることができないときがあります。
    閉鎖空間が駄目みたいで。
    テレビ見ても、親子連れ、家族、孫がテーマになると消してます。

    今年はことのほか暑い夏で、ようやく涼しくなってきたので、
    娘の部屋から、ロフト、倉庫まで片付けてます。
    机は8月に処分し、引き出しの小物に着手しました。

    これがやはり泣くしかなくて、夫の出張中一日中泣きながら片付けてました。
    そんな夜に、ふと昔の家計簿開いたら、小学生だった娘から
    「片付け頑張って」と小さなメモと、プレゼントの折り紙チューリップが挟まれてました。

    思わず、はい、と返事しました。

    霊感強い私の兄弟によると、娘は知り合いのところに自由に往来し、私のとこにも様子を見にきてるそうです。

    自殺した部屋には当時実家の仏壇中身を置かせてもらってまして、
    優しかった私の祖母が自殺認めるわけがない、
    これは寿命だった、ご先祖たちが納得のうえ、苦しくないやりかたで連れていかれたのでは?
    と思います。

    私の兄弟も、娘の部屋に最初に入ったとき大変驚き
    両家のご先祖軍団が大量に来てるから、すぐお茶だして!といわれました。

    ご先祖は、私たちが後追いしないようずいぶん長くいてくれたようで、
    なんとか夫婦で生活をできてます。

    人生にイエスという、の著者は、アウシュビッツて妻子を失い、自身もギリギリで生還されたかたです。
    私は心理学を少し勉強したので以前からその考えかたが好きで…
    一番有名なのは、「夜と霧」です。

    片付けるたびに泣きますが、同時に気持ちも整理できますね。

    • キャンプをしながらアリゾナの我が家に向かう旅の空からしろちゃんさんを思っています。昨夜はテントの中から見える星空を眺め、亡くなった娘のこと、しろちゃんさんのお嬢さんのこと、そしてこれまでブログを通して出知った沢山のかたの愛する人を思って『みんなどこにいってしまったんだろう…』と、涙で曇る星ぼしを見つめていました。そして流れ星が一つ。『あ、あれは娘に違いない』と思いました。しろちゃんさんのお嬢さんはご先祖様に付き添われて今は苦しみのない場所にいるのですね。
       しろちゃんさんと同じように私のアメリカ人の友人シャローンも、息子さんが自死されたとき同じ屋根の下にいながら何も気づかずに別の部屋にいました。お風呂場で亡くなっていました。彼女が第一発見者です。他にも目の前にいながら止められなかったお母さんもいました。しろちゃんさんのせいではない、これだけは言えます。誰もとめられなかったのだと…。だから、どうかご自分を責めないでくださいね。
       後追いせずに生きることは残されたも者にとって辛く苦しいことです。私も一時『こんな思いをして生きるより娘を追っていっそ死んだほうがうんと楽に違いない』と、死のうとしましたが結局できませんでした。娘とは違い、まだそのときではないのだと悟り辛くとも娘を心に抱き生きねばならないのだと思いました。
       「夜と霧」は、私も大学の授業の課題として読みました。それでも生きる、今を生きることに意味があるのだと感じます。お嬢さんからの「片付け頑張って」という小さなメモと、プレゼントの折り紙チューリップ、姿は見えずともお嬢さんは傍でお母さんを見守っているのですね。とても優しい繊細な女の子だったのだのですね。
       生きることは時に死ぬより辛いと思います。でも、一人ではないです、だから一緒に生きていきましょうね。

  2. はじめまして。
    五月に高校生の一人娘を自死でなくしました。
    私は一階で疲れてうたた寝し、二階の娘の部屋の物音がしたとき、さほど気にせず見にいきませんでした。
    二時間後、自死したのを発見した次第です。
    震災で実家が倒壊し、その処理に追われ、認知症の親の世話にあけくれ、娘のことはほったらかし、いや、志望校には必ず合格するように、と当日朝もきつく叱りました。
    本人は遺書には、勉強や親、いじめが原因ではなく、自分の性格が原因と書いて、申し訳ないと
    書いてました。
    親のことがようやく一段落し、娘の机や写真を片付けていたら、涙が止まらなくなりました。
    そのなかでこちらにたどりつきました。
    自室での自死で、救急車で運ばれるのをご近所が勢揃いで見ていたこと。
    カウンセリングを受けようと予約した心療内科の受付が近隣のおしゃべりおくさんで、一気に拡散されたのか、近所から避けられてる日々。
    元気にふるまう私を初盆にお参りにきたかたが見て、安心したし、私も気持ちが整理できましたと言ったこと。
    以来人にはなるべく会わず、うちにもお参りは断る日々です。
    そんななかにも優しい人はいて、服は友達の妹たち、参考書類は小学生から通った塾の先生がたが全てもらってくれました。
    がんばり屋で優しかったから、ご利益がある、と言ってくれてます。
    親の入居する介護施設の職員は、なかなか会いに行けない私に、「私にも二人息子いるから子供失った悲しみは理解できます。子供死んだなら親のことをしたらいいのに!」とえらい剣幕で怒鳴られました。
    体を壊して大量に不正出血しながら被災家屋の瓦礫処理、事務手続きなど抱えてるのを知ったうえでの発言。
    親は前頭側頭型認知症で人格が変化してしまい、面会すると罵詈雑言、暴力で
    さすがにそこまで受ける体力も精神力もなく、
    認知症専門医に受診し、統合失調症の薬の投薬開始後は、面会には行っていません。
    本当になんというつらいことが重なる一年かと思います。
    幸い親の主治医が素晴らしいかたで、私にも漢方処方したり、親のことは主治医と施設に任せてしばらく休養を、と言ってくれてます。
    大変ななかにも救いがあるから、なんとか立ち上がるしかないですが。
    我が家は両家とも跡取りがいなくなりましたので、
    来月は信仰する宗派の総本山に納骨し、永代経をあげようかと考えてます。
    つらい出来事のなかになにを見いだすべきか。
    再度、精神科医のフランクルの「それでも人生にイエスという」を読まねばと考えてます。
    書いていたら泣き止みました。
    ありがとうございます

    • しろちゃんさん、旅の途中でネット環境になくすぐに返信できずにごめんなさい。今日メッセージを拝見し、なんと返してよいのか言葉を失いました。震災、そして親御さんのお世話、一人娘のお嬢さんを自死で亡くし、心無い人の無神経な言葉に傷つき、どんなお気持ちでここまで生きいてこられたかと思うと胸が張り裂けそうに痛み涙ばかりが流れます。そのような中にありながらも、親御さんの主治医の方が理解のあるかたで本当に救われました。その先生がおっしゃるとおりです、しろちゃんさん、どうかまずはご自分のお体をいたわりください。子供を亡くしたことのない人にはどうやったてこの辛さはわからないのです。今のしろちゃんさんは心も体もボロボロに疲れきっているはずです。ですから、人がなんと言おうとまずはご自愛ください。誰もわからなくても、私、そしてこのブログを読んでくださっている方皆さんしろちゃんさんの悲しみを知っています。
       「それでも人生にイエスという」という言葉、心に痛く響きました。一生懸命頑張って生きてきたしろちゃんさんに、なぜこのような人生の苦しみばかりが続くのかと思うととても辛く悲しいばかりですが、どうか、どうか、生きてください!生きていればいつか晴れる日も来ると信じて…。お辛い中、メッセージを本当にありがとうございました。しろちゃんさんを思って泣くぐらいしか私にはできることがないのが悔しく申し訳ないばかりですが、遠くからしろちゃんさん、しろちゃんさんのお嬢さんのことを思っています。

  3. kikiさんへ
    今年の1月に息子を自死で亡くし、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった時にkikiさんのブログをみつけ、コメントをさせて頂いたと思います。その節は有難うございました。メルアドも書いて頂いたのに、聞いてもらいたい事はたくさんあったのに、メールを書く勇気というか力が出ませんでした。
    その後、他の方からみれば落ち着いたようにみえるようになったというか、上手く隠すようになったというのでしょうか。
    元気にみえるかもしれませんが、中は真っ暗。。いや濃いグレーの世界です。 私の心は息子が亡くなった時に一緒に逝ってしまったんだと思うと少し気が楽になります。
    私も自分から自殺することはありませんが、死は怖くないものになりました。
    日本に帰ってこられていたんですね。
    私もお会いしたかったです。
    今度、良かったらメルアドの方に送らせて頂いてもよいですか。
    よろしくお願いいたします。

    • くららさん、メッセージを本当にありがとうございます。もうすぐ初めての命日をお迎えになるのですね。きつい時期なのではないかとお察しします。「私の心は息子が亡くなった時に一緒に逝ってしまったんだ」と書かれていましたが、本当にそのとおりで、愛する人を亡くした遺族の方皆さんそのように感じていることだと思います。息子さんがこの世に存在していた時のくららさんは息子さんとともに逝ってしまいましたが、今度は息子さんのいない世界に存在するくららさんをこれから創造していくことになります。でも、これってとても悲しく時間のかかる作業で…、私は娘の死から二年たち、さすがに周囲の者の手前では悲しい顔も見せられず、見た目は笑顔ですが、仮面をかぶっているだけで結構疲れ時々言いようもなく空しくなります。 今、私はオハイオからアリゾナに向かう旅の途中です。夫が、途中ディズニーのEPCOTに行きたいというので、楽しめるかなと思っていたのですが、やっぱりでめでした。せっかく連れて行ってくれた夫の手前、うわべはそれなりに楽しんでいるように頑張って振舞っていましたが、何を見てもむなしいというか…。昔の自分は娘と共に死んでしまって、もう昔のように楽しむことはできないのだなあと実感しました。寂しいです。特に『ああ、昔娘を東京ディズニーランドに連れっていたっけ…』と、周囲の幸せそうな家族連れを見ると空しさと悲しさでいっぱいになりました。
       くららさん、いつでもメルアドのほうにメールください。今は旅の途中でネット環境が悪くすぐにお返事ができないかもしれませんが、必ず返信します。くららさん、これから命日までの二ヶ月ちょっとは不安定さが戻ってくるかもしれません。どうか、無理をなさらず、お体をたいせつに、ご自愛ください。遠くからではありますが、くららさんと、息子さんのことを思っています。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください