絆ー自死遺族同士の支えあい

肩を抱き合い泣ける仲間

三泊四日の行脚に行ってきました。ずっと会いたかった人に会う旅です。共に肩を抱き合い涙しお互いのかわいい子供を思う時間旅。

悲しみを抱えながらも優しさを失うことなく思いやりを持って一生懸命生きる沢山の人にお会いし、この絆を結んでくれた今は見えない子供たちに手を合わせて感謝した旅でした。その旅の終わり、北上する台風に追われるようにして帰る新幹線の中、夜の帳が下りた真っ黒な車窓に映る寂しい自分の顔を見ながらぼんやりとお会いした人を思いました。

「寂しいという漢字は冠部分が家を表し、その下の部分が細く小さいことを表していて、全体で家の中の人声が小さくなったさま、つまり人がかけてしまって静かになってしまったことをいうんだって」と大阪のお母さんが話していたことがふっと頭に浮かびました。

そして、「寂」という字は、仏教では「死」や「悟り」の意味も持つことも思い出しました。

それぞれみんな違っても子を思う気持ちは同じ… この悲しみの海は暗く深く広く、一人ぼっちでは泳ぎきれない。大波に飲まれそうになるとき、もがき苦しみながら伸ばしたその手をとって、「大丈夫、一人じゃないよ」と言い一緒に隣を泳いで悟りの岸辺に導いてくれる人達…なんとありがたいことか…

家につきお風呂につかって長旅の疲れを癒してお布団にはいると、台風が追いついたのかにわかに雨の音…

目が覚めたら外は静かです。寝ている間に台風は去っていたよう。静寂が部屋をつつんでいました。

そのときなぜだか半分水がはいったコップが突然頭に浮かびました。『コップに水が半分ある…』そう思いました。その瞬間、「ああ、これだ!」とわかったのです。

人は、同じものを見ても「まだ、半分水がある」と考える人、「あと、半分しかない」と考える人がいます。たいていの人は、前者は前向きだからそのように考え生きることがよろしいと言います。そして、私はずっとそうしようと思いながらも「あと、半分しかない」とかっらぽになったコップの上部を見つめ悲しみにくれる生き方を50年以上してきました。そして、「まだ、半分ある」という前向き思考ができない自分はネガテブ思考でだから駄目なんだと自己否定に走っていました。

でも、本当に必要だったのは「コップに半分水がある。That’s it」だったのです。「まだ」でも「あと」でもなく、「ある」それだけでよかったのです。目の前にあるものをあるがままにとらえること…

娘は二年前に死んだ、と、いう事実… 失って空っぽになった空間を見て嘆き続けるのでもなく、あるものだけ見ようと失くしたものを見ないようにするのでもなく、目の前の事象をあるがままに捉え生きること。

悲しいときは悲しみ、でも空っぽになったコップの上部だけにとらわれ悲しみに飲み込まれることなく愛を忘れず感謝の気持ちを持って生きること。何も知らない子供のような手放しのHAPPYは二度と感じることがないとしても、時々でいいから生きる喜びを感じることができるように。

今から10年前に大切な人を亡くした新潟の友人から羽仁もと子著作集「みどりごの心」の「人の世の悲しみ」の一節を引用したメールが届いたことがありました。

その一節に、

『人の世には実に多くの悲しみがあります。病める人の悲しみ、貧しき人の悲しみ、親を失ひ子に別れる悲しみ、不才の悲しみ、孤独のなげき、もとより数えあげる譯にゆきません。さうした多くの悲しみの中で、もしたった一つでも、それが唯誰か一人にだけあることならば、その人は到底その苦しみを堪へ忍ぶことが出来ないでせう』

と、ありました。

そのとおりだと思いました。もしも、わが子を自死で亡くする悲しみが、それが唯一自分ひとりだけにある悲しみであったなら自分はこの悲しみを耐え忍ぶことなどできなかった、と。

娘を失い、暗闇の世界に閉じこもったきりで空っぽになったコップの上部だけを見つめ、この悲しみは唯一自分ひとりにあるものだと嘆き、同じようにしてわが子を失った沢山の人の悲しみに気がついていなかったら、その人達の思いやりに触れることができなかったら、今の自分はなく、耐え切れず死んでいただろう、と。

コップに水が半分ある。

あるがままに事象をとらえよう。

私は頑張らなくてもいい、悲しいときは悲しんでいい、苦しいときは苦しいといっていい、ただ、その悲しみに飲み込まれず、亡くなったわが子がつないでくれたこの絆を大切に、わが子と、そして、沢山の支えてくれる人に感謝してこれからも生きよう。

かさねが微笑んでいる、ふっと、そんな気配を感じます(^^)

大阪で出会ったお母さんは愛する人を亡くした方に思いやりを伝えようと善意でいただいたお寺で燃え残ったロウソクを使って手作りキャンドルを作っていらしゃいました。

大阪で出会ったお母さんは、愛する人を亡くした方に思いやりを伝えようとお寺の善意でいただいた燃え残ったロウソクを使って手作りキャンドルを作っていらしゃいました。悲しさを優しさにかえて思いやりの輪が広がっています。その一つのキャンドルの名前は「色かさね」。

 

 

絆ー自死遺族同士の支えあい」への9件のフィードバック

  1. Kikiさん、はじめまして、Ryoと申します。
    私も昨年7月に大切な息子が旅立ちました。24歳でした。
    てわたしろうそくを私も頂き灯しております。
    大阪へお見えになった事はお聞きしております。
    また、機会があればお会いしたいですね。

    • Ryoさん、昨年一月に24才の息子さんを…。さぞかしお辛い一年をすごされたことかと思うと心が痛みます。そうですか、Ryoさんも手渡しロウソクをご存じなのですね!私も今回大阪のママンさんからいただいて帰ってきました。火をともすのがもったいないほど優しく奇麗で、そのまま亡くなった娘の遺影に飾り手を合わせました。愛するものを失くした心の傷を癒すのは、たくさんの思いやりと愛だとこの二年を生き知りました。Ryoさんは、大阪にいらっしゃるのですね。はい、ぜひ機会がありましたらお会いし共に語り合いたいです。私は泣き虫なので、お顔を拝見するだけですぐ泣きますが、そこだけはご容赦くださいね(^_^.)
       Ryoさんの二年目が、多くの心優しい人に囲まれ心安くすごされる日々が今より少しでも多くなることを遠くアメリカから祈っています。

  2. ありがとうごさいます! とても楽になります。
    kikiさんは私よりも未だ近い時に亡くされているのに立派です。
    時間は解決はしないけど、風が少し風向きを変えてくれたり、いつの間にか立て掛けていた壁を削ってくれていたり・・
    自然も有難い存在です。
    先週尾瀬に行ってきました。まだ紅葉には早いけど、主人と安らぐね心のふるさとだねって  実は結婚前二人で山小屋で働いていました。
    だから、故郷なんです。
    こういう事もしなくちゃ、自分じゃなくなるし
    心ここに無い時もあるけど、生きるためなんですね。
    これで良いのですよね。
    koume

    • Koumeさん、そうです、それで良いのです(^^)
       私も自然の中にいるととても安らぎます。風に、光に、水の流れに、大地に命を感じ、亡くしたわが娘、そしてこれまで出会った沢山の自死遺族の方の大切な人の命を感じます。時に涙し、涙しながらそれでも微笑むことができるようになりました。私たちの深い傷は他の人には見えないけれど、そんなに簡単に癒えるものではないのです。だから、いっぱい心に栄養が必要です。それは、ひとそれぞれ違うと思いますが自分が「安らぐ」ものが心の栄養なのだと思います(^^)
       

      • このように会話できるってこと凄く有難いです。
        また拝見します。
        ありがとうございました。
        koume

  3. 初めて見ました
    2012年5月に息子が自死しました
    悔やんでも悔やみきれません
    4年以上経つけど
    この悲しみをぶつける場所がありません
    このサイトを見て、涙が止まりませんでした
    仕事中なので・・・又書きます
    koume

    • 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない…、メセージを拝見し四年間どんなに苦しんでこらたことかとKoumeさんの深い悲しみが伝わってきました。本当にお辛いことと思います。ましてやお仕事もあり、その中で息子さんを突然失った喪失感と悲しみを一人背負われてここまで生きてこられたのですから、どんなにかお辛い日々であったことかと想像にたえません。四年間本当によく頑張って生きてこられましたね。生きることさえ大変なこの日々を耐えてこられたのですね。メッセージをありがとうございます。悲しみは消えることはありませんが、同じ悲しみを知る者どうし共に手をとりあって生きていきましょうね。

      • 帰りの電車の中でスマホを見たら返信がありびっくりしました。有難うございます。駅から我家までの帰り道、涙がとまりませんでした。心に突き刺さるような言葉ではないのにこんな優しい言葉なのに私はいくらでも涙が出てくるんだと・・
        弱虫の自分 もっと強くなんなきゃいけませんね
        私には夫と結婚した娘と一匹の猫がいます。
        最初の頃当たるところがなく全て夫のせいにしていました。
        もっと男親として息子と向き合っていたらこんな事にはならなかったでしょう。今更、の事が沢山出てきました。
        でもそれにも疲れてきて、夫だって辛いんだって事が今頃やっと分かってきました。当たり前ですよね。でもそうでもしないと私自身が潰れてしまいそうだったのかもしれません。
        仕事に没頭したのも我家にいるとただ苦しいだけだったし、電車からの帰り道、もう10歩で家という所で
        ご近所の方に声を掛けられただけで大泣きしてしまい、ビックリさせてしまいました。風船がふんわり浮いていて、ちょっと何かに当たったら割れてしまいそうな、そんな心境だったんだと思います。
        最近娘に子供ができ 私には孫ですね(^-^;
        母の気持ちが少しわかるようになってきて、色々話すようになってきました。娘は、お兄ちゃんが死んだ気はしない、亡骸を見たときもあれはお兄ちゃんじゃないものと泣きながら話だしました。
        アーこの子にもとても哀しい思いをさせてしまっていた、私だけが悲しいのじゃないんだと、思い知らされました。

        残された者は・・・辛いんですね
        でも歩いていかなきゃいけない!
        何のために生きていくの?
        自分はどうでもいいのに
        きっと目標が無くなったからかも
        今まで目標があった、この一年これをしようと
        立てていた目標がこの4年間何も無い
        でも今はまだたてられない・・・・
        まだこんな気持ちです。
        koume

      • 「何のために生きるのか、生きる意味なんてない」と、私も何度も何度も考えました。Koumeさん、目標が立てられなくても良いのです。生きている、それだけですごいのですから。私も主人に泣き泣きあたったことがあります。辛くてそうしなければ生きていけなかった。その時の私は、主人は何も感じていないように思えたのです。でも、あとで私も彼は彼なりに苦しんでいる、と、知りました。Koumeさんのご主人もお優しい方なのですね。Koumeさんの悲しみを受け止めていらしたのですね。同じ家族でもみんなそれぞれグリーフ過程(悲嘆の表現の仕方)が違うのですれ違うとき苦しいですが、そうなんですよね、みんな愛する人を亡くした痛みを抱えながら生きているんですよね… Koumeさん、泣けるようになって良かったです。一人じゃないです、弱虫でもいいのです。子供を失い強くなんかなろうとしてもきついだけで無理です。生きているそれだけで、すごいのです(^^)

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