ショックな言動

悲しんだら悪いの?

「I can’t stand her! (彼女には我慢できないわ!)」

後ろの中年女性が大きな声で隣の女性に話しているのが耳に入りました。

いつも参加している8時45分からのヨガ教室でのことです。ヨガですのでインストラクターを待つ間はマットに腰を下ろして静かにストレッチをしたり瞑想をしている人が多い中で彼女の大きな声は不適当に響いて聞きたくなくても耳に入ってきました。すると、その女性が友達と思われる女性にこう言っているのが聞こえてきました。

「その友達ったら、会うたびに母親が死んでしまって悲しいって泣くのよ。もう何日も経ってるのに会うたびに母親の話をしてはオイオイ泣いて私に母親が恋しいって嘆くのよ。そりゃ親が亡くなって悲しいかもしれないけど、泣いてばかりいないで何か楽しいことでもすればいいのよ。ほんと、彼女には我慢できないわ!」

明らかに憤慨した調子で隣の人に話していました。

この女性とはヨガ教室でたびたび一緒になり、時々あいさつもかわし『フレンドリーな人だ』と感じていただけにショックでした。『悲しい顔で自分の子供が自死したなんてこの人には言えない・・・、気をつけなくっちゃ・・・』 と感じ、思わず体が硬くなってしまいました。

実は結構こういうアメリカ人は多いのです。葬儀が終わったら悲しい顔は人に見せないことが社交辞令とでもいうような・・・

『なんでなんだろう…』と思いました。

私だったらそんな風には思わないのに。だって家族を亡くしたら悲しくて当然だし、そういうときこそ親身に話を聞いてあげるのが友達じゃないの?

なんで?

考えられる答えは、

  1. その人にとって亡くなった人は重要ではないから
  2. 悲しい話は気分が沈むから

でした。

確かに「他人事」で、たとえ友人のお母さんが亡くなってもこの女性にとっては関係のないことだから聞くのはうんざりなのかもしれませんが、これが男女関係のもつれとか世間話だったら身を乗り出して聞く感じの女性なのです。じゃあ、二番目の「悲しい話は気分が滅入るから聞きたくない」と言う理由でしょうか。だとしたら、どうしてでしょう?

どちらかというと私は悲しい話を聞いたら共感し自分も一緒になって泣くほうですが気分が滅入ることはありません。友達と悲しみを分かち合えかえって良かったと思うぐらいです。

それなのにどうしてこの女性は他の話だったらいいのに「死にまつわる悲しい話」を聞くことは嫌なのでしょうか。もしかしたら、死と言う現実と向き合うのが怖いからかもしれません。そうでなければ、これまで自分がそういう喪失に遭遇しても悲しみに蓋をして感じないようにしてきたからかもしれません。だから、誰かの家族が亡くなったことに対する悲しみを見ることはそういった解放せずに閉じ込めた自分の中の負の感情が浮上してきてとても不安な気分になるのかもしれません。

「これって悪循環だな・・・」

って思いました。

だって、社会の風潮が「悲しむ」ことを良しとせず、悲しいのに無理して元気に頑張っても苦しいだけじゃんって思うからです。『友達は楽しい関係じゃなくっちゃいけない、だから悲しみは表に出したら嫌われちゃう、辛いなんて言っちゃダメ』、そんな気持ちで毎日暮らしていたら苦しいだけなんじゃないでしょうか。

悲しいときに悲しい顔をしてどうして悪いのかなあ・・・

と、ふっと感じた日でした。

私と同じように8年前に息子さんを亡くした自死遺族の方から誕生日のお祝いにいただいたトンボの形をした飾りものです。風に揺れる姿をぼんやりとみていると癒されます(^^)

私と同じように8年前に息子さんを亡くした自死遺族の方から誕生日のお祝いにいただいたトンボの形をした飾りものです。風に揺れる姿をぼんやりとみていると癒されます(^^)

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