癒しになればそれでいい

死んだ娘の夢の後日談

だいぶ前、たぶん娘が亡くなって六ヶ月ぐらいの頃だと思いますが娘の夢を見たことがあります。そのときのことは「生まれ変わり」というタイトルで書きましたが実はその後日談があるのです。いつか書きたいと思いながら時間が経ち今になってしまいました(^^;

生まれ変わる

娘の死から六ヶ月してみた夢の中で娘(というか娘に姿かたちがそっくりで私が娘に違いないと思った女性)は、自分の名前を「ミカジマです」と名乗りその時に書いてくれた漢字の一文字が娘の法名に使われている「院」という文字であったことから、私は目が覚めた後に「娘は生まれ変わったに違いない」と思いました。

夫はアメリカ人でカソリックの家庭に育っています。かつ、今は無神論者なので「生まれ変わり」などと私が話しても同感してくれないと思ったのでこのことは夫には話さず自分の心の中で思うだけにしました。

誰も信じてくれなくても、自分がそう思うことで癒され心が軽くなったのでそれで良かったのです(^^)

そしてそれからまた半年が過ぎ娘の死から一年が過ぎたある日、私はオハイオからアリゾナの我が家に帰り今は娘の遺品となってしまったパソコンを引っ張り出していました。

娘が亡くなったあと一ヶ月ほどは『なにか娘の自殺の理由がわかるものが残ってないか』と開いて文書などを探してみましたが特に何も見つからず、余計に辛くなるだけでしたのでそれ以来触れることもなく納戸にしまわれたままだったのです。

『ほとんど新品だし私が娘の代わりに使ってあげよう』と思いました。でも、やっぱり開くとついつい娘の残していったメールが目に付きます。まるでまだ生きているかのように楽しそうなはつらつとした文章が並んでいて涙がポタポタこぼれ落ちてとまりませんでした。

どれぐらい時間がたったのか、ふっと一つのメールに目が留まりました。タイ語を習っていた娘がネットで見つけたタイ人の先生に宛てたメールのようでした。でも、その最後に記された名前が娘の名前ではないのです。

暫く混乱して考え込みようやく「あー!そっか、ハンドルネームを使ってメールのやり取りをしていたんだ。これは娘のその時に使っていた名前なんだ~」と納得しもう一度その最後の一行を見ると、なんとその名前は「ミカ」と記されていたのです。

これにはびっくりして声を失いました。

以前見た夢で娘が私に教えてくれた名前は「ミカジマ」アメリカ式に解釈すればミカが名前でジマが苗字です!

娘は生前「ミカ」という名を使っていた、そしてその名が私の夢に現れた娘の生まれ変わりと思える人の名前と同名・・・

ただの偶然かもしれません。それでも私は『ああ、やっぱり娘は生まれ変わったんだ』と思うことにしました。なぜなら、そう思うことで癒され気持ちがうんと楽になれたからです。

誰がなんと言おうと良いのです。肝心なのは自分が娘の死を受け入れ悲しみを抱きながらでも自分の人生を生きること。娘のいなくなったこの世界で悲しみと折り合いをつけながら・・・。だから、娘にはもう会えないとわかっていても、自死した娘が今は生まれ変わって新たな世界で新たな人生を過ごしていると思うことで自分も前に進めるなら、そんな気がして生きることが少し楽に感じられるなら、それでいい、そう思うのです。

大切な人を亡くした後に生じる喪失感、悲しみ、嘆き、怒り、無力感、絶望感、様々な喪失に伴って湧き上がる感情を一つ一つ消化(または昇華)していく作業がグリーフワークだと言われます。

亡くなった人との関係、亡くし方、年齢、性別などで個々人のグリーフワークは異なります。亡くしてすぐに取り組む人、あまりに苦しく直視できずに暫く死自体を否定したり考えないようし時間が経過した後に取り組み始める人、自助グループなどに参加し気持ちを吐き出すことで消化する人、日記やノートに気持ちを書き綴ることで消化する人、一人で故人を思い消化する人、本を読んだり映画を鑑賞したりしながら感情を手放す人、友達に語ることで消化する人・・・、やり方も期間も本当に千差万別です。

でも、たぶん最終ゴールは立ち直る(亡くなった人が生きていた時間に戻ってその時に生きていた自分に戻る)事ではなく、大切な人がいなくなってしまったこの世界で悲しみを抱きながらも生き、そしていつか悲しみを抱えながらも生きる喜びを感じ一瞬一瞬を生きることができるようになることなんだと思います。

ひな壇飾りと着物を着た少女がその前で座り微笑む画像

ずーっと、昔のかわいいわが子

 

癒しになればそれでいい」への2件のフィードバック

  1. KiKIさま

    こんばんは。 
    お写真のお嬢さんは、おすまし顔で色白の可愛いお嬢さんですね。 

    ミカというHNを見つけられたときは、とても驚かれたでしょうね。
    と同時に言葉では表しがたい嬉しさもこみあげこられたのではと感じました。
    お嬢さんが、KiKiさんに知らせてくれたのですね。

    先週、今週と続けて分かち合いの会に参加してきて、少し心が
    穏かになれる時間を持つことができました。

    • リンさま

      ありがとうございます(^^) 先日、昔の写真を整理していて見つけました。ひな祭りも近いのでスキャンしてアップしてみました。私は色黒なのですが、娘は私の父に似て色白で自慢でした。でも、はなペチャさんで、鼻の話は禁句でした(笑) 来ている着物は髪飾りと共に母が贈ってくれたものです。まだ小さくて着物よりお雛様のあられが気になってしかたなのない無邪気な年頃でした。

      そうなんです、ミカという名前が娘が生前使っていたハンドルネームだとわかったときは一瞬体が凍りました。そして、その後涙とともに嬉しくて暫くその文字から目が離せませんでした。娘は死んで、もう私の娘はいなくなってしまいました。でも、この世かあの世かそれはわからなくても、どこかで生まれ変わって穏やかな心でいると思ったら「もう、心配しなくていいんだね」って、ふっと心が軽くなったんです。きっと私は死んだ後もずっと娘を心配していたんですよね。

      リンさん、あの日からやっと六か月が過ぎましたね… 分かち合いの会に参加されているのですね! 良かった。一人は本当に辛くて、時々身動きが取れなくなりますから… 一時より回数は減りましたが、私も今も参加し続けています。心の中にたまったものや、気が付いたことなどを口に出して言える、自分の話に耳を傾けてくれる人がいる、それだけでも癒しに感じます。会を通して友達もできました。お互い助け合いというよりは、支え愛の関係です。これまで倒れそうなとき何度も支えてもらいました。リンさんからも、メッセージを通して支えてもらっています。「この辛い道を歩いているのは、自分一人じゃない」って。メッセージ、本当にありがとうございます。リンさん、まだまだ辛い日がおおいと思います、どうかお体大切に、一日でも、一時間でも心穏やかに過ごせる日が多くなりますよう私もアリゾナから祈ってます。

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