子供の死から立ち直れないという現実と向き合うことが回復への次の扉を開く

癒しの行程

自殺について考える

娘の自死という重い荷を背負いながらそれでも生きていくことが私の進むべき道と受け入れたのは、自分自身が自殺未遂まで行き着いた時でした。それは、子供を失ってから十か月目のこと、アリゾナから離れ友達も自死遺族の会もない、孤立した世界にいた時のことです。

娘が自死したということ自体が身を切るように苦しかったのですが、それに加えて私を苦しめていたのは「誰も私の苦悩を理解してくれない」という孤独感と孤立感でした。周囲の人たちはまるで娘の死などなかったかのように日々の生活を楽しんでいるのに、私はいつまでたっても立ち直れず、無理して笑顔を作ることもできず次第に人に会うことが辛くなり家に引きこもるようになっていた時です。娘を救えなかったという罪悪感と絶望感、そしていくら頑張ってもどうすることもできないという無力感と一人ぼっちで闘っていました。

しかし、どんなにしても以前のような活力溢れる自分には戻れず、一日暮らすだけでもやっとで仕事どころか家事さえもしっかりこなすことができず、娘を亡くした辛さを話をしたくても話を聞いてくれる人もおらず、まるで怖いものでも見るかのように避けられ誰からも声をかけてもらえず、世間からも見捨てられたと感じ孤立感が日増しに強くなっていきました。そして、いつのまにか「自分は駄目な母親だから、自分は駄目な人間だから、生きていても人の迷惑になるだけ、私が死ねば夫もお荷物が減って楽になる、私は死んだほうがみんなのためになる、娘が死んだのに自分が死ねないわけがない」と、どんどん暗闇に落ちていったのです。

そんな日のある夜のことです、きっかけは本当にほんの些細なことでした。夫以外話す人がいなかった私は、その夜も夕飯が済むと娘を亡くした辛さや、周囲の人の無神経な言葉が辛いと泣き泣き訴えていました。一時間ほど話した後、ふっと、夫が上の空であることに気が付いたのです。「何を考えているの?」と聞くと「ワインに酔っぱらったかな、もう寝る」と答えたのです。普段の自分であったなら、「あっ、そう疲れているのね、ごめんね、長々私の話に付き合わせて。じゃあおやすみ」で済むところなのですが、この時は違っていました。夫のその言葉を聞いたその瞬間、何かが音を立てて崩れていくように感じたのです。夫の言葉が原因というよりは、それまで微妙なところでなんとかバランスを保っていた感情が一気に壊れ自分がいなくなった、そんな感じでした。

『ああ、私は夫のお荷物でしかない。私は生きていても意味がない。死んだら、もうこんなつらい思いをしなくていい。そうよ、死ねばいい』

そう思ったとたんにそれまで感じていた絶望感と無力感が消え、不思議にも幸福感に似た安らぎを得たのです。まるで探していた究極の解決策を見つけたような・・・『モウスコシガンバレバオワリ、ワタシハモウジュウブンガンバッタ、モウコレイジョウガンバラナクテイイ、コレデワタシモミンナモラクニナレル』と。

そして淡々とお茶碗を台所にさげ洗い物をかたずけ、夫が床に就いたのを確認すると一人家の裏の車庫に向かいました。もう何も辛くも悲しくありませんでした。

しかし、車庫の梁に電気コードをひっかけ、それを首にかけ椅子を蹴ろうと体重を移動させたとたん「うっ」となりました。その瞬間、『もし、死にきれずに中途半端に生き残ったらどうしよう?』と言う考えが不意に脳裏に浮かんだのです。その途端、怖くなってできなくなりました。正気に戻ったのです。死ぬのが怖いというよりは、生き残って今よりみじめに苦しむことになったらと、それが怖くなったのです。死ぬこともできない自分が情けなく、娘にも申し訳なくその場に座り込んで泣き崩れました。

『ああ、娘はこんなにも耐えきれない痛みに苦しんでいたんだ。死にたかったわけじゃない、家族や友達を恨んでいたわけじゃない、ただ苦しくて辛くて、その心の痛みを終わりにしたかったんだ。家族を思っていなかったんじゃない、家族を愛していたからこそ、家族の迷惑になっていると感じ自らの命を犠牲にしてでも絶望感と無力感と言う恐怖にも似た心の痛みから逃げたかったのだ』と。

『これ以上生きていても意味がない』と・・・

大声をあげて泣きました。娘は、耐えきれない痛みに終止符を打つために死んだのです。誰にも自分の苦しみはわかってもらえない、誰もこの痛みを消してはくれないと、娘はそう感じ、楽になりたくて死を選んだのです。そして、私たち残された者が娘にかわってその痛みを引き受けたのです。

娘が、死を決断した時、今の自分のようであったとしたら、私にはどうすることもできなかった、そう思いました。たとえ親であっても、私は娘自身ではないのです。心の痛みを取り除いてあげたかった、でも私にはできなかった。私は、どんなに頑張ってもただの一人の人間であり、どんなに願ってもどうすることもできないことがあるのです。悲しい事実ですが、私はその事実を心から受け入れることで強い罪悪感から次第に解き放されていったのです。

Forgiveness

罪悪感から解き放されその感情が後悔に変わっても深い悲しみから立ち去れるわけではありません。悲しみは愛情が姿を変えた形であり、子供が死んだからと言ってその愛が失われるわけではありませんから。それどころか、その愛を受け取ってくれる人、共に喜びを悲しみを分かち合う人がいなくなってしまったという喪失感は愛が深ければ深いほど強いものです。ですから、何年たっても愛する人を思って泣く、それはごく自然なことです。涙は愛がせきをきって流れ出している、私はそう思うのです。特に突然愛する者を奪われた人は、十分な別れの時間が与えられず、死という事実を受け入れることだけでも時間がかかるのです。そういう意味で、愛する人の死から立ち直るとか完全に回復するなどということは決してないのです。

死という事実、娘はもう二度と帰ってくることはなく、これまでのような時間は戻ってこないのだと心から受け入れた時から今度は亡くなってしまった愛する人との関係を新たに築いていかなければいけません。それが、癒しに向けての第一歩なのだと思います。しかし、亡くした人がわが子である場合、そして、死が自死という形で訪れた場合、悲しみだけではなく、ショック、罪悪感、自責、後悔、無力感、怒り不安など様々な感情が交錯し、一年や二年といった短期間で悲しみを癒し悲しみを抱きながら上手に生きていくことなどできるはずがありません。悲しくて辛くて当たり前なんです。子供を亡くしてどうしてそんなに簡単に以前と同じように何事もなかったかのように毎日笑顔で生きることができるでしょうか。

しかし、嘆き悲しむことが愛情が姿を変えた形だと理解できず、悲しむ人は憐れで弱い人だと思い違いをしている人が多くいるように感じます。そういう人たちは、これまでに大切な人を亡くしたことがないか、あったとしても愛情を感じていなかったか、または、悲しみと対峙することを恐れ、全ての感情に蓋をして生きている人ではないでしょうか。

私にとって、罪悪感に次いで苦しいのはそういった「悲しむ人は不幸でかわいそうな人だから助けてあげなくちゃ」と自称カウンセラー達が私の心の痛みを理解しようともせずわかったような顔をして励まそうとしたり助言をしてくることです。まるで、悲しむことは悪いことだと言わんばかりに「ああしろ、こうしろ、立ち直るためにもっと頑張れ、そんな顔をしていたらいけない」と、既に一日生きるだけでいっぱいいっぱいの私にうるさく言ってくるのです。本人は、人助けのつもりで言っているのでしょうが、それは、私にとっては娘を奪われるも同然の行為で拷問のようなしうちです。

「いつまでも悲しんでいないで、しっかりしないと亡くなったお子さんが悲しむわよ」

「私も最近わが子のようにかわいがっていた愛犬を亡くしたからあなたの辛さがわかるわ」

「自殺なんて本当に自己中で身勝手な行動よね、どうして家族のことを考えて思いとどまってくれなかったのかしらねえ」

「一年前よりは回復しているみたいだけど、はっきり言って回復したとは言えないから専門家に診てもらったほうがいいと思うわ。だって、いつまでも悲しんでいるなんて良くないもの。人生は楽しむものなんだから。これは、心配しているから言っているのよ」

「死んだ子はいくら思ったって生き返っては来ないんだから、早く忘れて前に進まないと」

「子供さんがほしくても授からない人だっているけど、そう人たちでも幸福に暮らしているんだから、そう思って元気出しなよ」

「世の中にはもっと辛い思いをしている人もたくさんいるのだから、いつまでも嘆き悲しんでいないで、そういう困っている人のために働いたら気持ちも晴れるわよ」

「家にいてぼんやりしていないで、働くとか何かして自分を忙しくして考える暇を持たないことが一番よ」

「医者に行って、抗鬱剤を出してもらえばすぐに気分は良くなるわ」

いずれも、私を思っての親切心からの言葉とはわかっていても私にはそうは聞こえず「今の自分では駄目だ」と言われているようで辛いだけです。それでも、私は「私を元気づけようと善意で言ってくれているんだから、感謝しなくては。みんなに心配をかけないようにするためにも早く元気にならなくちゃ」とついつい考えてしまい、相手に対して怒りを向けることができず「立ち直れない自分が悪い」と、怒りを自分に向け自分を責め始めたのでした。

正直言って、この「自己嫌悪」が前述した自殺未遂にまで落ちてしまった原因ではないかと思います。

そんな出口のない苦しさに悩んでいた時、ふっと手にした本にForgivenessの重要性について書いてあることに目が留まりました。Forgivenessとは、日本語で「許すこと」「容赦」「寛大さ、寛容さ」などと訳されます。これまでに読んだ自死遺族サポート関係図書の中でも何度か目にしたこの言葉ですが、どうも私にはしっくりとこなかったのです。

『何を許すというのだろう?』

『わが子を救えなかったという自分の罪?』

心からの受容

「Be willing to forgive」と見出しのついたその一章には次のようなことが書いてありました。

程度の違いはあるものの、愛する者を自死で亡くした人は、精神的苦痛、怒り、責め、拒絶といった感情を抱きます。このような感情は、自分自身に向けて、もしくは他者に向けて感じる負の感情です。もし、あなたが心の平安を必要としないというのであれば、あなたは誰をも何をもforgive する必要はありません。しかし、拒絶、憎悪といった負の感情を抱き続けることは、あなたの健康や幸福にとって何一つとして良いことはなく、forgiveness がない場合自死遺族自身、そしてその周りの者が不幸かつ孤独に陥るまで続き破滅的な道を進むことになるでしょう。

自らに対する、そして、他者に対するこれまでに積もり積もった怒り、責め、憤りなどといった感情をForgive することは、自死遺族であるあなたにとってとても難しいことでしょう。ですが、そこにこそチャンスがあるのです。しかし、Forgiveしようという気持ちは、なにもせずして湧き上がってくるものではありません。自ら進んでforgiveしたいと感じることがとても重要で、それがforgiveの過程における第一歩となります。Forgiveness とは、心の奥底から湧き上がる感情です。それは、慈悲であり、それはあなたを含むすべての自死遺族が得たいと心から願ってやまない心の平安と受容をもたらすものです。

Forgiveness の利点は、「非難、不安、怒り、嫌悪といった負の感情を解き放すことができる」、「愛する心を取り戻すことができる」、「心に平安をもたらすことができる」、「恐怖感を手放すことができる」、「とても受け入れられないと感じていたことが受け入れられることができるようになる」、「平安と自由があなた自身にそして周囲の人にもたらせる」、「Forgiveに早すぎるということも遅すぎるということも決してない」などということがあげられます。

ここで、私は最初ForgiveまたはForgivenessを「許す」または「許し」と解釈していました。そして、罪や失敗を許すことが癒しに繋がるのだと解釈しようとしていたのですが、そう考えると必然的に「罪」や「失敗」が最初にあってそのことを許すということになり結局自分であろうが他人であろうが「悪いこと」をしたのだという観念から逃れられず罪の意識にとどまってしまったのです。つまり、どんなに頑張っても「何のために許さなければいけないのか」わからず「許せない」自分がいたのです。

そんな時、何気なく観ていたお正月特別報道番組のインタビューに答える女性に目が留まりました。その女性は、連続レイプ殺人事件の被害者でたった一人の生存者でした。他の女性は全てレイプされた後に殺され死体を隠されていたため犯行が表にならず犯人は犯行を繰り返していたのです。その被害者リデアは、その日殴る蹴るという暴行にあった後犯され、その後犯罪を隠すため犯人に家に火をつけられたのです。全身に傷を負いながらも、なんとか窓から飛び降り一命は取り留めました。しかし、その際脳に障害をおい何か月も意識不明の重体が続きました。その後、奇跡的に死の淵から蘇ったものの、言語障害と運動機能障害が残り長期にわたるリハビリが必要となったという信じられないような話でした。その美しい30歳の女性リデアが聞き手の「犯人の公判日に立ち会ったんんですよね」という質問にまだ言葉がうまく話せない様子で一言一言ゆっくりと言葉を探すようにして笑顔で答えていました。

リデア: それは私の人生で最も厳しい日でした。彼(連続レイプ殺人者)を許すことはすごく大変でした。

聞き手: あなたにあんなひどいことをした男をどうやったら許すことができたんですか。

リデア: 自分が癒されるためです。怒りにとらわれているより、癒しを得たいと思いました。

聞き手: 怒りの感情は、あなたを苦しめ続けるだけだからということですね。

リデア: そうです。

聞き手: 憤りは少しもありませんか。ちっとも?

リデア: (笑って) 私が怒ることはめったにないです。 あの人は恐怖と嫌悪からあんなことをしでかしたと私は思うんです。 私は、恐怖より愛と平安を選びました。 だから、私の勝ち(笑)

彼女の笑顔と自信に満ちた笑顔にハッとしました。そして、「ああそうなんだ!」と初めて気が付いたのです。「Forgivenessとは、自分の心の平安のために怒りを捨てるということを決断することで、誰が悪いとか良いとか判断しその人の罪を赦免することを言ってるんじゃないんだ、そうじゃなくて、あるがままを受け入れること、心からの受容で、自分も相手も否定することではなく、事実は事実として自分の感情も含め、ただ受け入れること、そうすることで怒りや不安という負の感情から立ち去り過去にとらわれず今を生きることなんだ」と。

「愛する我が子は自らの命を絶った」

「世の中には、子供を亡くした親の気持ちが理解できず善意からであってもその言葉に私は傷つくことがある」

「私は、そのような無理解に怒りと悲しみを感じた」

「私は、娘を亡くしたため悲しみにくれ今までのような自分ではないことを発見した」

「私はその事実に怒りと悲しみを感じた」

これが事実です。

私がなぜ前に進めなかったかと言えば、許すことつまりあるがままの自分をそして他人をあるかがまま受け入れられず、実は自分に対しても他人に対しても怒りを感じ続けていたからです。そして、それにもかかわらず、「そんな感情を持つことは良くないこと」と自分の感情を否定しようとしていたからなのです。だから、怒りがどこにもはけ口を見つけられず、積もり積もって自分にもわからないどろどろとした感情になり不安や憤り、そして自己嫌悪へと変わっていったのです。

子供を亡くしてしまってそれでも幸せになれるかと問われれば、今の自分は「決してそんなときはやってこない」と答えるでしょう。でも、今、私は、リデアのように私も恐怖や不安から抜け出して心の平安を得たいと心の底から思うのです。

もう、自分や他者を責めることを終わりにしたい、と、心の底から思うのです。

これまでも美しい自然の中に身をおくとき、ヨガの後の瞑想のひととき、私は心の平安を得られることを見つけていました。その時、私はその瞬間に身を置き何も考えていなかったのです。昔の自分とは違ってしまった、でも、今の自分に怒りを感じることを止めることで同じような心の平安を得られるのだと知ったのです。

心からの受容、それがForgivenessであり、癒しへの一歩だと初めて心から理解することができました。私は、娘を亡くした悲しみだけではなく怒りにとらわれることで自分を他者を責め自分もそして周りの人も不幸と破滅に導くところでした。愛する人を偲んでの悲しみは人を傷つけないが愛を生む、でも怒りは人を傷つけ愛を失う、そう知ったのです。

では、実際にどうやったら「心からの受容」ができるようになるのでしょうか。私が手にした本では、以下のようなことを試してみることを勧めています。

  • 怒り、不安、非難、心の傷などの感情全てを手紙に書き、信頼できる友人や、カウンセラーといった心の治療の専門家の前で声に出して読み、その後破る燃やすなどして捨て去る。
  • 自分自身を、そして相手を非難し傷つけるまたは罰することを止め、そのような不愉快な気持ちを与える人はあたなに許しと受容を学ぶ機会をもたらしているのだと考える。あなたが他者に対して許しと受容をもたらすとき、同時にあなた自身にも許しと受容をもたらし平安と自由が与えられるということに気が付く。
  • 許し受容するということは、他者の行いを容認するということではないということを心に留める。
  • 許しと受容について他者と話し合う。

おそらくは、私がクリスチャンではないことからForgivenessについてすぐには理解できず混乱した理由だと思います。夫はクリスチャンではないですが、カソリックの家庭に育っているので私がForgivenessについて話をすると、

「そうだよ、Forgiveとは、良いとか悪いとか判断を下し罰するべきところを容赦することではなく、あるがままを認め受け入れることで怒りを捨て去ることだよ」と、言いました。

私は、周囲の人が自分の今の状態を「いつまでも立ち直れないのはいけないこと」と判断されることに不安と怒りを感じ、また、「立ち直れない自分はダメダメ人間」と判断を下し不安と怒りを感じ自らを不幸に陥れ続けていました。そして、そうしているとは気付かないうちに実は他者をも心の中で非難し続けていました。

でも、「心の平安」を手にしたいと思ったとき、怒りを手放す用意ができたのです。

この時寛容なのは、上記にもあるように「許し受容するということは、他者の行為を容認するということではない」と言うことです。つまり、相手の行為がたとえ善意から出たものであっても、自分が傷つけられると感じた場合我慢しそのままその状態にいる必要は少しもないということです。相手に対して、どのような言葉に傷つけられたか正直に伝え、わかってもらえない場合はたとえ友人であったとしても関係を断つことも必要なのだと思います。この時、わかってもらえないからと言って怒りを持ち続けないことが肝要なのだと思います。「あの人は残念だが言ってもわからない人だ」と水に流すことが自分の心の平安のために大切なことなのだと思います。

とは、言ってもこれまで私は自分が傷つくことがあっても自分の感情を健全な形で表現することができず、心とは裏腹に黙ってニコニコして耐え、そのあとに自分に対する怒りと相手に対する恨みにとらわれ、それ以上傷つくのを恐れ人と会うのが不安になり毎日を鬱々として暮らすというパターンを繰り返してきたのですから、Forgiveが大切だとわかっても一朝一夕にはできるはずもありません。

でも、気が付いただけでもすごい、と、思いこれから少しずつ練習していこうと思います。なぜなら、私もリデアのが言ったように怒りと不安にとらわれ残りの人生を過ごすより、愛と平安を得たいから(^_^)

白鳥が湖に姿を映している画像

昔娘と一緒に白鳥を見に出かけた実家の近くの池。楽しかった時間です。

 

子供の死から立ち直れないという現実と向き合うことが回復への次の扉を開く」への3件のフィードバック

  1. 亡くなる時、自死する時 その当事者は目分がどれだけ愛されているか?どれだけ必要とされているか?
    自分は価値がない。孤独だ。迷惑をかけている。自責にとらわれすぎて自死を選んでいる。
    私の息子は そうだったようで一ヶ月を過ぎて 彼の自死は間違ってると。
    それを話してあげられず 結局後悔している母です。
    6人家族と割と大家族で育った息子が一人学生を経て社会人になった時、友人共休みの日が合わなかったり ましては、彼は夜勤があったり不定休という仕事で祝日が休みとなる事は少なく、就職後 孤独感を感じ 考えないでいい事まで考え、一人APで休みの日資格勉強だけに集中できずゲーム(課金)したり.パチスロを覚えてしままいギャンブルへ その為給料を そちらに使いこみ、家賃も私が(保証人)払う事もあった。彼を遠くに就職させた後の私達家族のフォローが金銭面だけではなく、心のフォローに欠けていた。結局、亡くした後 後悔だらけ。
    悲しく、悔しく、もう彼は戻って来れない、心の病みは遺族しか解らない。26歳、若すぎる。彼の事 こんなに愛してるのに(泣) 貴女の所に逝く迄背追う母が限界がきたら、私も。

    • 息子さんを亡くされたお母様の悲しみが痛いほど伝わってきます。息子さん、お母さんにこんなに愛されていたのに、それなのに孤独を感じてどうすることもできないで苦しんでいらしたのですね… 優しい息子さんだったんですね、男だから、「寂しい」なんて言えないから一人で頑張って何とかしようとしていたんですね。でも、どうすることもできなくてどんどん自分が思う方向とは違う方向に行ってしまった。辛くて悲しいばかりです。
       息子さんを亡くされて一月、今はショックと想像を絶する心の痛みで本当に苦し句辛いことと思います。こればかりは本当に愛する者を自死で亡くした遺族にしかわからない痛みです。この痛みは愛する者を取り戻せない限り消えることのない痛みです。でも、その人は逝ってしまって帰ってこない… 
       「今は泣くしかないです」と、私にはそれしか言えなくて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。どうか、どうか無理をなさらずお体をいたわってください。とても眠られないかもしれませんが、眠られるときがあったら少しでも休んでください。食べることもできないかもしれません、でも、とにかく食べてください。今はとにかく「今日一日を生き延びる」ことに全気力を向けてください。痛みは必ず和らいでくるときが来ます。息子さんが生きていた時とは世界は一変してしまいこれからどうやって生きていけばわからない気持ちでいらっしゃると思います。気が狂ってしまうのではないかと感じているかもしれません。でも、それが普通です。愛する我が子を自死で亡くしたら正常でなんかいられません。誰もわからなくても私はその痛みを知っている一人です。良かったらいつでもメールをください。私にはなんの力もありませんが、お母様の痛みを理解する者の一人です。この道は苦しくきついです。ですから、一人で歩くより誰かと支えあって苦しみを分かち合いながらすすむことが助けになります… どうか、どうかご自愛ください。

  2. ピンバック: 結婚式に招かれて | Kiki East2AZ·

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