子供を亡くしたあとの鬱と上手に付き合うには

一人で泣く時間

娘を自死で亡くしてから六か月。

時間の経過とともにあの心が切り裂かれるような激しい痛みは少しは和らいできましたが、時折襲ってくる強い悲しみはどうしようもなく私を打ちのめします。

どんなに後悔してもどんなに悲しんでも娘はもう帰って来ないのだから、しっかり前を向いて生きなければとこの三カ月自分は必死でした。

そうしなければ、自分も娘と同じように暗闇に引きずり込まれてしまうかもしれないという恐怖に近い不安を感じていたのだと思います。

「早く立ち直りたい」

「引きこもってしまってはいけない」

「でも、気分が沈みどうしようもない」

「こんなことでは駄目だ」

「どうしよう…」

「どうしよう…」

娘が死んでしまったあの日、突然これまでいた世界からまるで全く知らない別の世界に落ち込んでしまったようでした。それまでの自分は娘の死とともに一緒に死んでしまい、何も見えない、何も聞こえない、誰もいない、一人ぼっちの暗闇の世界で途方にくれる私の知らない自分がそこにいました。

それでも手探りでようやくロウソクを見つけ灯りをともし、目の前にある荒れ果てた道を泣き泣き歩き始めたものの、少し歩いては躓き、転んでしまう。だから手も足も傷だらけ。

消えてしまいそうなロウソクの炎を消してはならないと手で覆い、周りは暗くて何も見えないので自分の足元だけを見て今度は転ばないようにと一歩一歩手探りで進む。

やっと少し来たと思ったら行き止まりだったり、大きな穴があいていてそこに落ち込んで這い上がるまでに何日もかかったり。

これまでの私の六カ月はそんな感じでした。仕事もしていないので気をつけないと出口のない思考の悪循環にはまり込んでしまい、どうにもならなくなって一日中ベッドにもぐりこんでいた事もありました。

自殺者遺族の自助グループの集まりに参加しこんな思いで苦しんでいるのは自分だけではないと気付いた頃から少しずつ気持ちが外に向いていったように感じます。

友達に話を聞いてもらうだけで癒される日がありました。

反対に友人から冷たい態度を取られひどく沈んでしまう日もありました。

Survivor―遺族を英語でこのように言うことがあります。生き残った者、そして自分はやっとのことでこの六カ月を生き残った。

でもこれからどうしたらいいのだろう?どこに向かって行けばいいのだろう?

自分に優しくありなさい

五月には夫の両親が待つオハイオに行かなければなりません。

アリゾナを去りオハイオに帰る日が近づいてくるにつれ自分の心が沈んでいくのがわかりました。

アリゾナに帰り、友達に囲まれ、自助グループの人たちに会い、ジムに通うようになりようやく生活のリズムも戻ってきた、元気とは言えないまでも、心の平静を保てるようになってきた、そう感じ始めていたのに友達もいないオハイオに戻らなければいけない。

『また、一からやり直し?』

『あの暗闇の世界に戻ってしまうかも』

『まだしっかりとしていないのに知らない人ばかりの中でどうしよう…』

『頑張らなくっちゃ、早くちゃんと普通に生活できるようにもっと頑張らなくっちゃ』

そんな気持ちとは裏腹に心は沈み、まるで何カ月も後退してしまったかのような鬱に襲われました。

そんなある日、とにかく一人になって落ち着こうとヨガに行った時のことです。

クラスの終わりにShavasana(シャバーサナ)というリラクゼーションのポーズがあります。

その際、インストラクターがその日一日を心穏やかに過ごせるようメッセージをくださるのですが、この日の陰陽のヨガのインストラクターの言葉は次のようなものでした。

「人の言葉に惑わされず、自分の心の奥にある声に耳を傾けなさい」

「その声に従いなさい」

「そして、自分に優しくありなさい」

その言葉を聞いたとたんに涙が溢れ止まらなくなりました。

『ああ、今の私が一番必要とするものだ』そう思いました。

レッスンが終わるとそのインストラクターにお礼のあいさつに行きました。泣いている私に「Are you OK?」と声をかけてくれました。

「ごめんなさい、泣いてしまって。あなたからのメッセージにお礼が言いたくて…、娘が自殺したんです…、自分が今一番聞きたかった言葉をあなたからいただいて…、とても心に響きました。本当にありがとうございます」

「I am so sorry…」と、私の娘と同じ年頃と思われるそのインストラクターはしっかりと私を抱きしめてくれました。

ふっと、心が軽くなるのがわかりました。

ジムから帰る車の中、ラジオから流れる曲に私は泣きました。

家に帰ると、昔聞いた日本の曲が聞きたくなり小田和正のアルバムを引っ張り出し洗濯物を畳みながら聞きました。

涙が次から次と流れてはこぼれおちました。たくさんの想い出が曲の詩と重なって流れて行きました。

もう娘に会えない、逝ってしまった。

涙が洗濯物に落ちては吸い込まれて行きました。

『もう、泣いたらいけない。悲しんではいけない。みんな辛い思いを抱えながらも頑張って生きているんだから、辛くても笑顔で私も頑張らなくちゃいけない。泣いたらいけない』

そう思って頑張って、頑張ってきたのです。でも、本当はもっと娘を思って泣きたかったのです。

『私は泣きたかったんだ』

そう気がつきました。

すると、娘だけではなく、今から17年前に癌で亡くなった弟、2年前に肺炎で亡くなった父、私が高校生の時に白血病で17歳で亡くなった友人、小児癌でずっと入退院を繰り返した末に14歳で逝った従妹、私をおいて先に逝ってしまた人が思い出され涙がこぼれました。

ずっと、ずっと、泣いてはいけない、泣いてる暇などないと自分に言い聞かせ悲しみを押し殺して生きてきたんだと知りました。

そして、娘を思ってまた泣きました。

スピーカーから優しい声が響きました。曲は、「緑の街」

忘れられない人がいる

どうしても会いたくて

またここへ来る

想い出の場所へ

その人のために今は

何もできない

どんな小さなことも

あんなふうに

 

もしできることなら

あの日に戻って

もういちどそこから

歩き始めたい

誰よりも君のことが

君のすべてが

今も好きだとそれを

伝えたい

届け

この想い

あの日の君に

どうやったらこんなに涙が出るんだろうと思うぐらい泣きました。

そして、アルバムの最期の曲、なんという歌なのか。力強く、でも、優しく澄んだ声。

確かなことなど今何もないけど

ほんとうに大切なことは君が教えてくれた

僕は君に何も誓えない

でも僕は君のためにせいいっぱいの人生を生きる

桜の花の画像

去年娘が送ってくれた桜の写真です

一人で泣く時間、私にとって一番の癒し。悲しい時には泣いていい。頑張れない時は頑張れなくていい。だって、私は娘を亡くしたんだから。

自分に優しくあろう。

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