娘を自死で亡くして初めてわかったこと

自殺(自死)に対する偏見

27歳と言う若さで娘が川に消えてから既に5カ月が経ちました。自死でした。

私は一つ違いの弟を癌で亡くしています。31歳でした。二つの死を経験し、自死で家族、それも我が子を亡くすということがいかに辛いことであるか、そしてその苦しみ悲しみは永遠と思われるほど長く続くと言うことを知りました。弟の死も辛かった。でも、子供の自死はその何十倍も辛く、おそらくは私が死ぬまで心の痛みとなって残る事だと思います。

ようやく狂気の時間が過ぎ「子供を追って死にたい」という意識が次第に「家族のために生きなければ」という意識に変わり始めた頃から今度は無気力と無感動という状態に陥りました。これは、今もなお続くのですが、悲しみという強い感情が時折襲ってくる以外、他の感情をまるでどこかに置き忘れてきたかのような感覚です。

気がつくとぼんやりと台所の椅子に腰かけ外を眺めている、そんな日が何日も続いた頃ようやく「このままではいけない」と気力を振り絞って地域の自助グループに参加し始めました。

愛する人を自死で亡くした人たちが助け合う自助グループ

この会に参加して初めて知ったことは、アメリカでは家族や恋人友人が自殺を図り死に至った場倍、警察をはじめとする特別チームが遺族のケアのために派遣されるのだということです。そして必要とあれば心のケアだけではなく、物質面や経済面で今後必要となる情報の提供がなされるようです。

しかし、私の娘は日本で自殺したので、このようなケースが発生した場合第一報を受けるアメリカの公的機関が介入せず援助を受けるための必要な情報が私のもとには入って来ませんでした。

そのため、娘の自死から四か月が経過して初めて自助グループに参加することになったわけです。

自助グループではお互いの感情を分かち合うことで「自分はひとりではない」という気持ちをはぐくみ孤立からの解放を図ります。毎回会に参加する人もいますが、1年2年と時が経ち回復が進んだ方は特別に支えが必要な時―例えば亡くなった方の誕生日が近い、クリスマスが近いなど―だけ参加される方もいます。

そうして、私より先を進むメンバーの様子を見て「今はとても立ち直ることなどできないと感じても時が経てばいつかあの人のように強く生きて行くことができるようになるんだ」という希望を持つことができます。

私は現在「子供を亡くした遺族(自死に限らない)の会」と、「愛する人を自死で亡くした遺族の会」の両方に参加しています。

その中で感じたことは、自死も交通事故も病死も死には変わりがないのに自死で家族を亡くした遺族は愛する人を亡くした苦しみだけではなく、いわゆる「世間の目」という自死に対する偏見にも苦しまなければいけないということです。

自死に対する偏見と無理解

アメリカでは、「死は恐れるもの、避けるもの」として死について語ることを良しとしない慣習が存在するようです。また、自殺についてはいまだに「罪悪である」として「神に与えられた命を自ら断ったものは天国には入れない」として公の場で語る人がいます。これは、自殺予防という観点から語られるとは思うのですが、自死で愛する人を亡くした遺族にとって耐えられない苦しみです。

また、日本でも「家族の自殺を公にしない」人たちがたくさん存在するのだということも知りました。自殺に対する偏見や無理解を恐れてのことです。

つまり

  1. 自殺=してはいけないこと。それを自ら選択して自死したのだから同じ死であっても病死や事故死とは異なる(周囲の人からの共感や同情が希薄となりやすい)。
  2. 「自殺は止められるもの」「止められなかったのは家族の愛情が不足していたから」「自殺のサインに気付かなかった周りの者のミス」というように自死は自死遺族の努力と責任不足。

というような概念が社会の中に存在するということです。

そういう観点からも自助グループは遺族に「自死の事実を話しても安全な場所」を提供し「何もいわずとも悲しみ苦しみを理解してもらえる」という安心感を与え遺族を孤立から救ってくれる場所です。

友人の支え

自死遺族のための自助グループでメンバーから良く聞かれるのは「友人が去っていった」「昔の友人が急に冷たくなり何人かとは距離ができてしまった」「もう一年以上前の事をいつまでも悲しんでばかりいないでそろそろ前に進んだらどうなのかと言われる事が辛く友人と会えない」というものです。

しかし、家族を自死で亡くした人にとって友人の支えは必要不可欠です。というのも、ただ側にいて話を聞いてもらえるだけで生きる力を取り戻せるからです。昔は、多くの人が大家族でしたので家族親戚同士で支え合うことができたかもしれません、しかし、核家族化が進んだ今遺族は孤立してしまいがちで社会復帰ができなくなる危険を多くはらんでいます。

私もそうでしたが自死に限らず愛する人を突然亡くした人はショックから長い間立ち直れす、生きる力が極端に低下し一日一日を生きるだけで精一杯にってしまい仕事にもミスが多くなったりと何事にも集中できなくなり、そのような「以前のようにできない自分自身」にも失望し社会から孤立してしまいがちになり、友人の助けが必要と感じても自ら連絡をすることさえできない状態が続くことがあります。

しかし、周囲の人は「そっとしておこう」「連絡もないし、もう三か月も経ったんだから元気にしているんだろう」と日々の忙しさにまぎれ遺族のケアは忘れがちとなってしまいます。

そうすると自死遺族は社会から見捨てられたと感じますます孤立してしまいます。

オープンネスと気づき

現在読んでいるAfter the Suicide: Helping the Bereaved to Find a Path from Grief to Recoveryという本の中で自死遺族の回復のあったてオープンネスの重要性を説いています。

Opennessとは「開放」「率直」「秘密のないこと」「心の広さ」などと訳すことができますが、自死遺族が率直に自死の事実や気持ちを伝えることによって必要なサポートが受けやすくなるという考え方です。

私は世の中に自死に対する偏見が存在するとは考えもせず最初から率直に娘が自らの命を断ったと周囲の者に伝えていました。そして自分の辛さ苦悩を最初からオープンにしていました。

正直言って「娘の死因を隠しておいた方が良かったのかも」と考えたこともありました。でも、今は正直に話して良かったと感じています。なぜなら、自分の苦悩を正直に友人に話し支えてもらえることができるからです。また、そのことによって、自分の感情を押し殺さずことがなくなり罪悪感や悲しみといった気持の解放が図れ心が一時でも楽になれるからです。

それでも、娘の死因を知った途端によそよそしくなってしまった友人の姿をみるのは辛いものです。

ある日、娘の死の当初からずっと変わらず支えてくれる友人に思い切って自分のそんな不安を正直に相談してみました。

「娘の死が自死だから、私が娘の自殺を止められず母親として失格者だから、周囲の人は私を避けているんじゃないかと思うと悲しくて…」

友人は、「それは友達が直にあなたにそういったの?それともあなたが感じていることかしら?」と私に問いかけました。

私:「直接言われたのとは違うけど、私が娘を亡くしたという事実を知っているのに最初にお悔やみをくれただけでその後は何の連絡もなかったり、全く私の存在を無視するかのように別の話で盛り上がって気にもかけてくれない様子を見るとそう感じてしまうの」

友人:「確かに自殺に対する偏見は日本にもアメリカにも存在すると思うわ。でも、あなたの事を良く知る友人だったら娘さんが自殺したからと言ってあなたを軽蔑したりすることは決してないと思う。だってみんなあなたがどんなに娘さんの事を思い愛し一生懸命頑張ってきたか知ってるもの。

確かにあなたを知らない人は勝手なことを言うかもしれない、でも心ある人は、ただ単にあなたに何と声をかけていいかわからず、そうしている間に時が経ってしまっているのよ。そんなつもりでなくても安易な言葉で傷つけたらどうしようって不安なのよ。それに、あなたがいまだに苦しんでいると知っても今更声もかけづらいこともあるだろうし、単純に『愛する人を自死で亡くすということがどれだけ辛いことか』ということを知らない人もいることも事実だしね」

その言葉を聞いてはっと思いました。偏見を持っていたのは私の方なのかもしれないと。自死は病死や事故死と違いどこかに自分と娘が世間に対してやってはいけないことをしたようなそんな感覚があるからこそ、他の人が自分をそういう目で見ているのではないかと、だから声をかけてくれないんだって。

そして、自分が娘を失う以前は、自分自身これほどまでに長い期間打ちのめされるとは思っても見なかったのではないかと。振り返ってみれば、知人のお子さんが自殺したと聞いても「おかわいそうに」とその時は思っても一か月もすれば、日常の忙しさにすっかり忘れてしまっていたし、友人のお子さんが亡くなった時も半年もすれば悲嘆は薄れ普段の生活に戻れるとなんとはなしに考えていた気がします・・・。

友人が続けました。

「私は今仕事もしてないし、心にも時間にも余裕があるから、そして以前と同じ間違いをおかしたくないから、あなたがお嬢さんを亡くしたと聞いてすぐに連絡をとったの。昔若いころね、親友がお子さんを亡くしたことがあって…。でもね、私はまだ20代で、何と言って慰めたらいいのかわからなくて声をかけられずにそのままなんとなく疎遠になってしまったのね。その友人も仕事に戻って普通に暮らしているようだったし…。

何年かしてその友人と再会する機会があって、その時友人がお子さんを亡くしてどれだけ辛い思いをし長い間立ち直れず苦しんだか話してくれたの。私、その言葉を聞いてどうしてもっと早くに連絡を取らなかったかってすごく後悔したのね。だから、今回あなたがお子さんを亡くした時迷わず連絡を取ることができたのよ。でも、私は子供を亡くしたことも自殺で身近な人を亡くしたこともないから、もし、私があなたを傷つけるような事を言ったらすぐに言ってね」

と思いやりのこもったまなざしで私を見つめました。そして友人はこうも言いました。

「あなたが苦しんでいることが他の人にはわからないように、もしかしたら他の人も重大な問題をかかえていて自分の事だけで精一杯であなたの傍にいて力になりたいと思っていてもあなたを思いやれる余裕がないのかもしれない…」

恥ずかしくなりました。自分は自分の悲しみだけにとらわれて周囲の人の状況を理解する心の余裕がなく、「みんな冷たい、電話もメールもくれない」と嘆いていたのですから…。

オープンネス、そう、グリーフワークを進め、回復に到達するためには自分自身にも心の広さが必要なのです。それは、悲嘆にくれ生きることさえ辛い時に本当に大変なことです。しかし、社会からの孤立をさけもう一度社会の一員として生きるためには自分自身の心の広さが大切であり、自分に優しくそして周囲の人にも優しくあらねばいけないと感じました。

ピンクの箱に入ったゴデバのイースターバニーチョコレートの画像アメリカは、イースターが近づきスーパーにはイースーターバニーのチョコレートがいっぱい並んでいます。亡くなった娘はチョコレートが大好きでした。娘の位牌にひとつ供え、話しかけました。

「こんなダメダメお母さんだけど、あなたにあの世で再会する時笑われないよう最後まで精一杯生きるから、だから、そばで見守っててね」

 

娘を自死で亡くして初めてわかったこと」への6件のフィードバック

  1. 享年8歳の娘がおります。小児癌でした。
    自殺も病気だと、病死だと思ってます。気持ちと身体のアンバランスからの病気です。私はそう思っています。

    • ようこさん、かわいいさかりのお嬢さんを癌で亡くされたのですね。看病されているとき、そして遠くに行ってしまい会えなくなってしまったとき、どんなに辛かったことかと…、幼くして病気と闘った娘さんのことを思うとき、心の奥底にある悲しみはどんなであろうかと…。ようこさんと、ようこさんのお嬢さんの姿を思い浮かべ涙がこぼれます…。そのような悲しみを抱えながらも「自殺も病死だと思っています」と言ってくださりありがとうございます。「できるものなら、救ってあげたかった」と、そう思います。遠くに逝ってしまったわが子を忘れることは決してなく、どんなに時がたっても、痛みが和らぐ時があっても、母親が子供を思う気持ちはかわることがないのだと感じています。ただ、その痛みと上手に暮らせるように模索しなければ生きることが辛いだけの毎日になってしまうのだと思います。
       私のいとこも小児癌を抱えて生まれました。生まれた時からずっと大学病院で日々病気との戦いでした。痛い思いをするために生まれてきたようで、お見舞いに行ったときそのけなげな笑顔を見て私は涙が止まらなく「どうしてこんな人生をおくらなければいけないのか」と思ったことを思い出します。薬の副作用で、聴力を失い、腎臓の機能も低下し、透析が必要となりました。それでも何度も死の淵から蘇り、その愛くるしい笑顔で入院している他の患者さんたちの心を和ませ、看護婦さんたちのアイドルでした。14歳になった時、完治したと退院したのですが、その後に肩から入れていた管から黴菌が入り、急死しました。本当に、悔しかった。花火を見るのが大好きで、花火大会には大学病院から出て見にいっていました。今でもあの子の姿を思い出します。
       娘も頑張って頑張って生きていました。でも、そうなんです、病気に連れていかれました。ようこさん、亡くなったお嬢さんのこと、そして思いやりのこもったメッセージをありがとうございます。

      • Kikiさん、心のこもったメッセージありがとうございます。
        私はブログやSNSがとぉ〜〜てもニガテです。この世の中でツイッターも未だに全く使いこなせない…メッセージの送り方や返信の仕方など不備がありましたらごめんなさい。
        どう読み進めたらいいのかもよく分からないながらも娘の病気をキッカケに色々な方の闘病記や体験談を携帯から検索し見るようになりました。しかしこうしてメッセージを書いたのは今回が初めてです。
        癌で亡くなられたいとこさんのお話。こんな私に教えていただいてありがとうございます。涙涙で読みました。うちの娘も脳の腫瘍が悪さをして片側の聴力視力がほぼない状態でした。kikiさんの娘さん、いとこさん、そしてうちのハルちゃんが向こうで楽しく遊んでたらいいな〜なんて思います。
        来週木曜日が娘の百か日、だそうです。
        亡くなってから100日。そろそろ涙するのは卒業しましょうとゆう区切りになるそうですね。娘がいない、娘が死んだ、理解はしてるけれど100日経とうと1000日経とうと悲しみは薄れないですよね。
        時間は解決してくれない気がします。自分で解決しなきゃいけないんですよね。

      • ようこさんの娘さんはハルちゃんと言うのですね!びっくりです。実は私の下の子も小さいとき「ハルちゃん」と呼ばれていました!亡くなった娘とはとっても仲良し姉妹だったので、向こうでうちの娘はようこさんのハルちゃんを妹のように思って私のいとこと三人仲良くしているに違いないです!「みんな、すごく頑張ったね」って言って、苦しみのない場所で今度こそ楽しく遊んでいることと思います。なんだか、考えただけで涙がでてきました。ようこさん、ありがとうございます、そのように言ってくださって…
        娘さんが旅立ってから、まだたったの100日なんですね…。さぞかしおさびしくお辛い毎日をお過ごしのことと思います。私は、二年近く経ちますが泣いてます。少しは悲しみと上手に付き合えるようになってきたかなあと思いますが、ようこさんの言うとおり何日経とうとも、何年たとうとも娘を思うたびに泣くと思います。だから、世間の人がなんと言おうと子供を亡くしたことのない人にはこの悲しみはわからないので、無理しないでください。涙が一番のお薬だと私は思っていますから(^_^.)
        ところで、私も、ツイッターは全然わかりません ^_^;  

  2. こんにちは娘を亡くした田中です。kikiさん。
    弟さんも病気で若くして何と言っていいのか。
    心からお祈りしてます。
    今は僕もkikiさんも悲しみの中ですがいつか希望が見える事を
    祈ってます。
    僕の行ってる診療内科の先生が良い言葉を教えてくれました。
    今はLet it be なすがままに感じて下さい。
    それがプロセスですと。

    • Let it be、そうですね。なすがまま、あるがままに感じ生きるうちに何かが見えてくるかもですね(^^)田中さん、素敵な言葉をありがとうございます。

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