自殺(自死)で愛する人を亡くした方へ

罪悪感と自己否定のはざまで

支えてくれるみんなのためにも早く元気になりたかったのです。それと同時に、駄目な自分でいたら友達も夫もみんな離れて行って見捨てられるという恐怖もありました。

娘の死から立ち直り、早く笑顔でなんでもこなせる普通の自分にならなくてはという焦る自分がそこにありました。友人も、私がいつまでも家に引きこもっていることを心配しいろいろな助言をくれました。

「家にばかりいたら駄目だよ、なるべく外に出て活動的にならないと」

「自助グループには参加してみた?」

「ジムに行って体を動かしたらいいよ」

それでも頭の中は娘のことでいっぱいで、ぼーとする日々が続くばかり。忘れ物を探すようにあたりを見回しては涙がこぼれる。

こんなことではいけない、立ち直らなくては、娘の死から三か月も経つのにいまだに立ち直れずウツウツした自分でいたら駄目だ、と、叱咤激励して一生懸命「普通の生活」に戻ろうと、強くなろうと、この二週間頑張りました。

励ましてくれる友達のためにも元気にならなくちゃって。

そんな時、親友が自宅でのホームパーティに誘ってくれました。

「家族だけの気軽な夕食会だから」とアメリカに家族のない私を元気づけようと一生懸命な彼女の気持ちがうれしく彼女の期待に応えたいと思い誘いを承諾しました。娘を亡くしてまだ二か月の時に招待されたクリスマスパーティにはどうしても行く気になれず断ってしまったことに対する罪悪感もありました。

『今回は、断れない』と思ったのです。

しかし、「大人だけの集まりだから」という当初の彼女の言葉とは裏腹に彼女の二人の娘さんも同席すると聞いて不安になってきました。

『動揺せずに過ごせるだろうか…』

そして日曜日の朝。夫と二人でジムに行って、シャワーを浴びて…、と、ここまでは良かったのですが、パーティの時間午後5時が近づいてくると次第に憂鬱になってきました。

「行きたくない」と、夫にこぼしてしまいました。

「それなら行かなきゃいい」と夫はいとも簡単に言ってのけます。

良い大人が、「気分がすぐれないから」とドタキャンはできないと考え直し、ようやく重い腰をあげ支度を始めました。時間は、既に四時。途中で手土産を買って彼女の家についたのは5時を少し回っていて、もう一人の友人が玄関先で呼び鈴を押すところでした。

「Are you all right? You look tired. (大丈夫?顔色が優れないけど)」と私の姿に気がついたその友人が心配して声をかけてくれました。

さっきまで泣いていたのが顔に出ていたと知り、一生懸命笑顔を作って、「I am OK. I am just tired. (なんでもないよ、大丈夫。ちょっと疲れてるかも)」と作り笑いをしながらなんとか答えました。これから楽しいパーティだというのに友人に心配をかけたくなかったのです。

中に入ると、友人のご主人の娘家族も来ていました。彼女が「家族だけ」と言った時に「家族」とは、彼女のご主人の別れた奥さんとの間の娘夫婦とその子供が来ることだということに気が付くべきでした。

とたんに不安が増し自分の笑顔がこわばっているのがわかりました。

彼女は、家族に囲まれてとても幸せそうでした。彼女の長女もミネソタから帰って来ていました。大学生の次女も、お料理を手伝っていました。ご主人のお孫さんがあたりを走り回っています。新築のお宅はどこもかしこも贅沢でとても美しい。

二人のお嬢さんとの何気ない会話。彼女の優しい微笑み。お嬢さんたちの生活についての会話。とても仲よさそうな親子…。私が失ったもの全てがそこにありました。必死で得ようと頑張って、頑張って失った時間がそこにありました。

『彼女の幸福を喜ばなければいけない』と頭では思うのに心の中では羨ましさでいっぱい。そして、いかに自分が母親として価値のない人間か思い知らされる時間-ワタシハムスメヲシナセテシマッタ-。

娘は生きることに疲れて自らの命を断った。

我が子が苦しんでいるのに助けることもできず死なせてしまったその母は、こうして今も生き続けている。死ねばよかったのは自分。

私とは対象的に幸せそうな家族を目の前に「母親として失格」と思いたくなくても思わざるを得ないのでした。私が失った大切なもの、もう決して戻れない時間。

ただそこにいるだけで苦しくかった。無理してなんでもない顔で会話に同調するのが苦しかった。早く家に帰りたかった。でも、アメリカのパーティは、集まってからすぐには始まりません。食事の用意ができるまでグラスを片手に近況を語り合うのが常なのです。

午後7時になってようやく食事がはじまりました。彼女の優しさには申し訳ないのですが、私には話すことが見つかりません。家族の話はできない、娘の話をしたら泣いてしまいそうで。

以前、「家族だけだから泣いたっていいんだよ」と彼女は言ってくれたのですが、どうしてそんなことができるでしょうか。彼女がそう思っていても、彼女の家族は私を家族だなどとは思っていないのは明らかで、楽しい夕食会で自殺した娘の話をして泣いて雰囲気を台無しにするわけにはいきません。

無理だったのです。まだ、身近な人以外の集まりで普通に振舞えるほど立ち直ってはいなかったのです。

翌日は全身の倦怠感で何もできず、ただ理由もわからず悲しくて泣いていました。自分を責め、生きていることが申し訳なく、喪失感と罪悪感がせきを切ったように溢れだしていました。

この2週間必死に感情をこらえるだけで精一杯で疲れ果てたのでした。

今日も無気力。まるでこれまでの頑張りの反動が出たかとでもいうような。少し動くだけで体がだるくもともと悪い腰とひざがギシギシ音を立てて泣いています。何もする気が起きずお昼のしたくをするだけで精一杯。なんて私は役立たずなんだろう。

生きてる意味がない…。

自殺で身近な人を亡くした人の集いの席で渡された小冊子をとりだしてもう一度読んでみなければ、そう思いました。

自分を見失い、またあの暗闇に引きずり込まれそうになったからです。

What Do I Do Now? (今、私は何をしたらよいのか)

そこには、英文で以下のようにありました。

大切なのは、いつか必ずこの困難を生き抜くことができるのだと心に留めて忘れないことです。時には、苦しくて耐え抜くことなどとてもできないと感じることがあるかもしれません。しかし、必ずその時はやってきます。

その悲嘆から回復した遺族からの言葉です。

  • 自殺で身近な人を亡くした方の中には周囲の人に事実をどのように伝えたらよいかと苦悩される方がいらしゃいます。どのようにしようとあなたがそれが一番良いと感じる方法をとったほうが良いですが、ほとんどの方は、ただ率直に愛する人が自らの命を断ったと伝えることが一番良かったと感じています。
  • 家族や友人に連絡を取ることは助けになると感じる方がいらしゃると思います。しかし、人によってはなんと言ってあなたに声をかけて良いのかわからずにいる人もいるでしょうから、自分の方から自死を伝え、自分の気持ちを伝え、助けを求めるることが必要になるかもしれません。
  • 他の方と連絡を保つことはとっても大変に思われるかもしれません、が、しかし、身近な人を自死で亡くしストレスでいっぱいの時は特に連絡を保つことは大切ですのでコンタクトを取り続けるようにしましょう。
  • 悲しみ方は人それぞれであるということを忘れないようにしましょう。ある人は、墓碑を毎週訪れることかもしれません。また、ある人は、墓地を訪れることさえ苦痛と感じるかもしれません。悲嘆に暮れる度合い、そして期間も人それぞれです。回復に決まったペースや期限などないのだということを理解しましょう。
  • 記念日、誕生日、祝日は特に辛く感じるかもしれません。その日をどのようにして過ごすのか、考える必要があるかもしれません。今まで通りに過ごすのも良いでしょう。または、新しい過ごし方を考えるのも良いでしょう。
  • 突然思いもよらず悲しみが押し寄せてくることがあるかもしれません。それは、グリーフプロセス(悲嘆からの回復過程)では良くあることだということを知っておきましょう。
  • 人によっては、地域や、宗教、精神活動、信頼できる聖職者に話すなどすることで慰めを見つけられるかもしれません。
  • 多くの遺族は、日記を書く、詩を書く、作曲をするなどの芸術活動に癒しを見いだしています。
  • 健康に注意するようにしましょう。定期検診を忘れないように。
  • 自分自身に優しくありましょう。大丈夫と感じたら自分のもとの暮らしを始めましょう。いつか生きる喜びを感じる日が戻ってきます。人生を楽しむことは、失った愛する人を裏切る行為ではなく、あなたが回復し始めた証であることを知りましょう。

回復した遺族からの助言

  1. この困難を耐えられると知りましょう。とてもできないと感じるかもしれません、でもその苦しみは必ず和らぐときがきます。
  2. もう答えを知る必要がないと感じる、または、部分的にも答えを知り納得がいたっと感じるそのときまで「なぜ?」そのことが起こったか考え抜きなさい。
  3. あまりにも極度な感情で耐えられないと感じるかもしれません、しかし、あなたが感じるすべての感情は当たり前のことだと知ってください。
  4. 怒り、罪悪感、混乱、健忘などは一般的反応です。あなたが気が違ってしまったわけではなく、ただどうすることもできない悲嘆にくれているだけなのです。
  5. 時に、自殺してしまった人に対して、世の中に対して、神様に対して、自分自身に対して怒りを感じることがあるということを心に止めておきましょう。その怒りを表現しても構わないのです。
  6. 考えること、してしまった事、しなかった事に罪の意識を感じることがあるかもしれません。自責の念は許しをとおして悲嘆へと変化させることができます。
  7. 死んでしまいたいと思うことは普通です。実際にあなたがその考えを実行するということではありません。
  8. 焦らないことです。
  9. あなたの気持ちにより添って聞いてくれる人を見つけましょう。必要であれば電話してみましょう。
  10. 泣く事を恐れないでください。涙は回復に繋がります。
  11. 自分自身に癒しの時間を与えましょう。
  12. あなたの大切な人の自死は、あなたの選択ではなかったということを忘れないでください。一人の人がある人の命を左右するのではなくそこには多くの要因が存在したのです。
  13. 後退をあらかじめ予期しておきましょう。もし、潮の満ち引きのような感情が行きつ戻りつするようであれば、それは悲嘆の切れはし、処理し残した一端を経験しているのかもしれません。
  14. 重要な決断は今すぐに行わず延期しましょう。
  15. 専門家の助けを必要だと感じたら迷わず利用しましょう。
  16. 家族や友人の痛みにも気がつきましょう。
  17. 自分自身に、そしてあなたの苦しみをわかってくれない人にも寛容になりましょう。
  18. 自分の限界を知り、「No」ということを学びましょう。
  19. あたなに何を、または、どのように感じたら良いか教えたがる人に煩わされないようにしましょう。
  20. 自助グループの存在があるということを知ってください。もし、近くに利用できる自助グループがないようでしたら、専門家に自助グループの結成を働きかけて見るのも良いでしょう。
  21. 心の支えになる信仰を求めるのもよいでしょう。
  22. 頭痛や、食欲低下、不眠など、悲しみに打ちひしがれている時は体の不調を経験することは稀ではありません。
  23. 笑いには癒しの効果があります。
  24. 疑問、怒り、罪悪感、そしてその他のいろいろな悲嘆に関わる感情を手放せるまで考え感じましょう。そのような感情を手放すということは忘れてしまうということではありません。
  25. 元の自分にもどれはしないことを知ってください。しかし、あなたは生き、今よりも前に進むことができるのです。

(引用:Survivors of Suicide: Support packet, La Frontera Arizona, EMPACT-Suicide Prevention Center, INC. p. 6-7)

何度も何度も自分に読み聞かせ、「大丈夫、いつかこの苦しみを手放す日が来るから」「もう一度明日に向かって歩き出す日が必ず来るから」と大きく深呼吸し空を仰ぐのでした。

自殺(自死)で愛する人を亡くした方へ」への7件のフィードバック

  1. ピンバック: 自死遺族が生きていくために心に留めておきたい言葉 | Kiki East2AZ·

  2. こんにちは。初めまして。
    過去記事にコメント失礼致します。

    私は2011年7月に夫を自死で亡くしました。
    気持ちが落ち込んでいるときにこちらのブログを読ませていただき、『回復した遺族からの助言』の項目を読んで、なんて言うのか、目の前に光が指した感覚になりました。
    それから私は徐々に前向きになれたのです。
    本当に素晴らしい言葉を教えていただきありがとうございました。
    この言葉はプリントアウトして保存してあります。

    私は自死遺族のカテゴリーでブログを書いているのですが、私が救われたこの言葉をいくつか自分のブログで紹介したいと思っているのですが、もしお許し頂ければそれは可能でしょうか?
    無理なら無理でも構いません。
    無断で載せることは出来ないと思い、メールをさせていただきました。

    突然にこのようなメールを差し上げてしまいました非礼をお許しください。

    それでは失礼致します。

    • y’s ETSUKOさん、ご連絡ありがとうございます。
      少しでもお役に立てたと知り嬉しいです。
      私自身、アメリカの自死遺族サポートグループの会合でいただいてきたパンフレットを引用翻訳したもです。
      引用先を記載していただきリンクを張っていただけるのであれば結構ですので、ぜひブログでご紹介ください。
      元のページは、前段が長いため再度その部分だけこちらに掲載しましたのでこのページをリンクしてください。

      • 早速の返信ありがとうございます!

        今現在、日の浅い遺族の方々に是非とも
        読んでいただき、少しでも前に進んで貰えたらいいな、の思いからお願いしました!
        また再度の記事もありがとうございます!
        必ずそのように紹介させていただきます。

        これからもこちらもブログは読ませて頂きます。
        よろしくお願いします。

        本当に本当にありがとうございました!

  3. 愛する妻に36年間の終止符をうたれ辛すぎる時間を過ごしています。11年前に発症したうつ病で5年おきに自殺未遂で三回目は助ける事が出来ず「どうして」を繰り返す自分がいます。子供達や親戚、友人が心配してくれています。自分には縁の無いと思っていた辛い出来事に整理が出来ない状態です。確かに時間が解決してくれると思います。これ以上涙が出ないほど泣きました。今でも毎朝妻がいない事に涙が止まりません。このブログを読ませて頂き、現実を受け入れる事から始めます。それも辛い事ですが、前に進める事が出来ないと思える様になれそうです。ありがとうございます。

    • どんなにか辛く悲しい日々をお過ごしのことかと心が痛みます。特に男性が与えられた社会での役割を考えるとき、女性とは異なり悲嘆を表現できる場所も時間も限られ、孤独の中で喪失と向き合わなければならずその悲しみは本当に計り知れない苦しみであることと思います。愛する者を亡くす、それも自死という形で突然愛する者を失うことほど辛いことはない、と、自らが経験して初めてわかりました。私も自分には縁のないことと娘を自死で亡くすまでそう信じて疑いませんでした・・・
       文面からどれだけ深く奥様を愛されているか、それなのに突然一方的に終わりを告げられ後に残された者の痛みを感じ、また、同じように奥様を亡くされたある男性の姿を思い出しました。アメリカの自死遺族の分かち合いの会でお目にかかる方です。会で聞いたことは口外しない約束ですので詳しくは書けませんが、連れ添った年数も奥様を亡くされた状況も、またお子様をお持ちであることも酷似しています。その方も何度も奥様の危機を救ってこられたのですが最後は救うことができなかったと泣いておられました。これまで二人で歩いてきた道が途絶え、これからは一人で歩いていかなければいけない・・・。振り返ればそこには美しい思い出があふれているのにその思い出さえ涙なしには振り返られない・・・。前に進む事ができなくて当然、心の整理がつかなくて当然、それが普通なのだと私はそう言い切れるようになりました。
       残されたものには到底理解できない理由ですが、奥様は家族を愛していたからこそ生きる苦痛に耐えられず旅立たれたのです。悲嘆と折り合いをつけながらうまく生きられるようになるには時間がかかります、他の人には計り知れない忍耐と愛がいります、それでもいつか必ず奥様からの愛が光となって行く先を照らしてくれる日が来ます。ですからどうか忘れないでください。一人じゃない、私達が、同じ心の痛みを知って生きる者が、ここにいることを。

  4. ピンバック: 子供を自死で無くした四か月後、無感覚、無感動 | Kiki East2AZ·

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